最愛の姉を遺伝性の卵巣がんで亡くして 自身にも潜んでいたがんになりやすい体質

遺伝情報に基づく「ゲノム医療」を推進し、ゲノム情報による差別を禁止する「ゲノム医療法」が6月に成立しました。私たちの生活にどんな影響があるのでしょう?当事者や専門家に取材する不定期連載第1弾は、遺伝性の卵巣がんで姉を亡くし、自身も同じ遺伝子変異を持つ太宰牧子さんに聞きました。
岩永直子 2023.07.15
誰でも

人の体質や個性を決める遺伝情報。一人ひとり異なるその遺伝情報を活用して、その人に最適な医療を提供する「ゲノム医療」が広がっている。

特定のがんになりやすい体質であるかを調べて予防的な治療を行ったり、特定の薬の効果が期待できる体質であるかを判定して治療方針を決めたり、がその一例。

米国の女優、アンジェリーナ・ジョリーが乳がんや卵巣がんになりやすい遺伝子変異を持っているとして、まだがんになっていない両乳房と卵巣・卵管を予防的に切除したニュースを聞いたことのある読者も多いだろう。

個人の遺伝情報は生涯変わらず、血縁者にも影響がある「究極の個人情報」だ。ゲノム医療を進めるには、遺伝情報の保護や、保険加入の拒否や就職での不利益な扱いなど、遺伝情報による差別を防ぐ必要性が叫ばれてきた。

その実現のために6月9日に議員立法で成立したのが「ゲノム医療法」だ。

この法律が何を目指すのか、私たちの生活にどのような影響を与えそうなのか。遺伝性の病の当事者や専門家たちに取材した不定期連載によって、考えてみたい。

まず、遺伝性の卵巣がんで姉を失い、自身も同じ遺伝子変異を持っていた一般社団法人ゲノム医療当事者団体連合会代表理事で、遺伝性乳がん卵巣がん当事者会「NPO法人クラヴィスアルクス」理事長でもある太宰牧子さんにお話を聞いた。

太宰さん(左)と、幼い長男の梢太朗君を抱く姉の徳子さん(真ん中)。二人とも遺伝性乳がん卵巣がんの遺伝子変異を持っていた

太宰さん(左)と、幼い長男の梢太朗君を抱く姉の徳子さん(真ん中)。二人とも遺伝性乳がん卵巣がんの遺伝子変異を持っていた

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姉が37歳で卵巣がんを発症

太宰さんの姉、徳子(のりこ)さんが卵巣がんを発症したのは2004年8月のことだった。

幼い子供たちに絵本を読み聞かせている時、腹ばいになって下腹部にごろごろするゴムボールのようなものがあることに気づく。便秘だろうと思ったが、翌日もその違和感は消えなかった。

3人姉妹のうち、長女の姉と次女の太宰さんは結婚しても「きっき」「のりこ」と呼び合っては毎日電話をし合う仲のいい姉妹だった。「最近、お腹がごろごろするんだけど」と姉に相談され、太宰さんは「何かあったら怖いから病院に行って診てもらった方がいいよ」と勧めた。

産婦人科のクリニックを受診すると、すぐに大学病院を紹介された。卵巣が腫れていると言われて様々な検査を受け、後日、二人で結果を聞きに行った。

「卵巣がんですね」

診察室に二人で座るなり、医師は単刀直入にそう告げた。

「どういうことですか?がんって悪性っていうことですか?」

呆然とする姉の脇で、太宰さんはそう医師に質問したことを覚えている。

卵巣が15センチ以上に大きく腫れているというのに、手術の予約は3ヶ月後の11月に入れられた。がんが進行しないか心配した母が総合病院で看護師長をしている親戚に連絡を取り転院。手術を9月初めに早めてもらった。

お腹を開けてみると卵巣は直径19センチに腫れており、がんは子宮や大網、腹膜、盲腸にも広がっていた。そのすべての臓器を摘出し、次に抗がん剤治療をすることになった。

姉の死「抜け殻のようになった」

姉には当時8歳の長男、梢太朗さん(現在27歳)と、6歳の長女、夏未さん(同25歳)がいた。

「子供のために生きているような姉で、子供達のためにも絶対に死ぬわけにはいかないと話していました」

入院中、姉の徳子さんが描いて送ってきてくれた猫と一緒に家事をしている太宰さんを描いた絵葉書。姉ががんとわかる数ヶ月前に15年飼っていた愛猫「トロ」を亡くしたばかりの太宰さんを励ますために描いてくれた。思いやりのある姉だった。(太宰牧子さん提供)

入院中、姉の徳子さんが描いて送ってきてくれた猫と一緒に家事をしている太宰さんを描いた絵葉書。姉ががんとわかる数ヶ月前に15年飼っていた愛猫「トロ」を亡くしたばかりの太宰さんを励ますために描いてくれた。思いやりのある姉だった。(太宰牧子さん提供)

抗がん剤治療でがんを小さくした後、翌年2月に再手術し、その後、1年ぐらい抗がん剤治療を続けた。太宰さんは姪や義兄の弁当を毎日作りにいって姉を支えた。

がんが消えることはなかったが、病状が落ち着いたのでいったん抗がん剤治療をやめた。一時はフラダンスを始めるほど元気になったが、1年後、またがんが勢いを吹き返す。抗がん剤治療を再開した。

その頃から姉は死を意識するようになっていた。

「『死にたくない。子供達が高校に行く頃まで頑張りたいけど、どうすればいいかな』とよく話していました。でも薬はだんだん効かなくなっていきました」

全国の有名な婦人科医を受診し、なんとか治療法はないか必死になって探した。でも芳しい答えは誰からも返ってこなかった。

「最終的に医師から『もう治療はできない』と診断される時が訪れました。『もう何もできることはないし、腹水も溜まってきます。苦痛を和らげる緩和ケアを探しましょう』と告げられました」

「私は、改めて現実を突きつけられ動揺しました。ここまで辿り着いたのに、何もしてあげられることは出来なかった。行き場のない思い、不安、恐怖は怒りと化し医師にぶつけるしかありませんでした。当時は患者として何もわかっていなかったのだと思います。その後、私ががんを発症し、HBOC と診断され活動を続けて行く中で、その時に診て下さった医師に再会することになります。深いご縁だったのだと思います」

医療では打つ手がなくなり、両親は代替療法を必死に姉に試みさせた。丸山ワクチン、枇杷の葉療法、温熱療法、菜食療法、醤油を入れた生卵を飲む療法——。

そんな両親の必死の思いも届かず、徳子さんは2008年1月19日に亡くなった。40歳だった。

「私は気が狂いそうでした。毎日話していた相手がいなくなってしまった。性格もやることもファッションも全部違うのに、それでも大好きな姉がいなくなって私は生きがいを失ったような気がしました。抜け殻のようになったのです」

姉が差し出した遺伝子検査の新聞記事

娘の死にショックを受けた両親は、遺された太宰さんや妹に「お前たちは大丈夫なのか?」と繰り返し聞いては心配するようになった。

太宰さんも卵巣がんの治療法をネットで調べた時、卵巣がんや乳がんの患者が家族にいると自分もかかりやすくなると書かれていたことは気になっていた。祖母の姉妹やいとこが乳がんになったことも知っていた。

「怖くて心配で、それからがん検診はよく受けるようになり、週に2〜3回は姉が卵巣がんを見つけた時のように腹ばいになって確かめてもいました。たばこも吸わず、お酒もほどほどで、食事にも気をつけていた姉ががんで亡くなるなら、不摂生な生活を続けてきた私がならないはずはない。姉が亡くなってからがん保険にも入りました」

小さな体の異変がある度に病院に駆け込み、「これはがんではないですか?」と確認するようになった。ドクターショッピングを繰り返し、診察券が束のように重なった。

「お腹がゴリゴリ硬いと『胃がんみたいです』と病院に行き、『それは筋肉だから』『便秘でしょう』と返される。頭が痛いと脳腫瘍だと思って病院に駆け込み、何度も診てくれた医師が精神安定剤を処方してくれました。『心配しなくていい。むしろ気にし過ぎるとがんが寄ってくるよ』と言われても、不安は消えなかったです」

実は姉がまだ治療中の頃、厚生労働省の研究班で乳がんや卵巣がんなどになりやすくなる「BRCA1」「BRCA2」遺伝子の変異があるか検査をする人を募集中、という新聞記事を姉が切り抜いて見せてくれたことがあった。

「『今、この検査ただで受けられるみたい。私も受けるからキッキもやろうよ』と姉に言われました。でも私はその頃、遺伝子検査なんて知らなかったので、『そんなの怪しいから止めなさい』と姉に言ったのです。その時は受けませんでした」

自身は乳がんを発症 妹が調べてきた「遺伝子検査」

姉の死から3年近く過ぎた2010年の年の瀬、お風呂上がりに保湿クリームを塗っていた時に、太宰さんは左胸の脇に近い部分に違和感を覚えた。

「豆粒のような硬いゴリゴリしたものがありました。でもこんな乳がんはないよなと思い、家族に相談しても『それは筋肉だ』とか『骨が欠けたんだ』と言われる。生理で乳腺が腫れているのかなと、乳がんを一生懸命否定して、しばらく様子をみようと思っていました」

それでも1月の終わりにどうしても嫌な予感がして、一度病院で確かめてみようと、自宅近くの病院の乳腺科を受診し、エコーで診てもらった。

「その医師がエコーの画面を見ながら、怪訝な顔をしたんです。あ、これはがんなのかと気づいて涙が止まらなくなりました。細胞を取って調べるために、その医師が働く別の大きな病院に紹介されて行くことにしました」

検査結果を聞きにいくと、「確実に乳がんだ」と告げられた。42歳のことだった。

「しかも悪性度が一番高いとも告げられました。それを聞いて、私も死んじゃうかもしれないと思いました」

両親や甥、姪には包み隠さず話した。

「きっきも死んじゃうの?僕が悪いことしたから?もういたずらしないから」と泣き出す梢太朗君を、「私は死にたくないし、死なないためにこれから手術とか治療を頑張るから応援してね」となだめた。

幼い頃の徳子さん(左)、太宰さん(右)と妹(真ん中)の三姉妹。姉二人と同じ遺伝性乳がん卵巣がんの遺伝子変異を持っているかどうか、妹はとても心配した。(太宰牧子さん提供)

幼い頃の徳子さん(左)、太宰さん(右)と妹(真ん中)の三姉妹。姉二人と同じ遺伝性乳がん卵巣がんの遺伝子変異を持っているかどうか、妹はとても心配した。(太宰牧子さん提供)

妹は二人めの姉もがんになったことを聞いて不安に駆られ、乳がんと卵巣がんについて徹底的に調べた。そこで再び行き着いたのが、「BRCA1」と「BRCA2」遺伝子の変異があると乳がんや卵巣がんになりやすくなる「遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)※」の情報だ。

※特定の遺伝子「BRCA1」「BRCA2」に変異が50%の確率で親から子で遺伝することが原因のがん。通常よりも若く、繰り返し、乳がんや卵巣がんが発症しやすくなるほか、膵臓がんや前立腺がんにもなりやすくなる。間隔を狭めた特別な検診や予防切除などで早期発見や発症防止が期待できる。

「ああ、これは姉が記事を見せてくれた話だと思いました。しかもそれを今では検査で調べることができる。妹から『これやっぱり調べたほうがいいんじゃないの?これを調べるとその人に合った治療がしやすくなるみたいだよ』と言われたのです」

その切り抜きを持って主治医のところに行った。

主治医はそれまで「まだがんは小さいし、初期だから部分切除で済むよ」と言っていた。だが、もしBRCA1やBRCAの遺伝子変異があれば、両側の胸に繰り返しがんができやすくなるため、全摘手術を選ぶことが標準的な方法となる。

主治医は紹介状を書いてくれ、遺伝性乳がん卵巣がんの診療に熱心に取り組むがん研有明病院に転院した。

「すぐに検査を」に、待った

2011年3月の終わり、がん研有明病院で一から検査をし、姉が卵巣がんで亡くなったことも伝えた。「ちゃんと調べて原因が知りたい」と伝えると、新たな主治医はこう言った。

BRCA1/2遺伝子のいずれかに変異があると、通常よりも若い段階で、乳房や卵巣に繰り返しがんができやすくなること。検診の間隔を狭めて早期発見に努めることができること。健康なうちに乳房や卵巣・卵管を予防的に切除してがんになることを防ぐ「リスク低減手術」が受けられること。

「話を聞いただけで、君はBRCA1遺伝子に変異があると思う」とも告げられた。

「じゃあ先生すぐ検査してください」と訴えたが、医師はこう言って待ったをかけた。

「自分だけの問題ではなくて、同じ変異を遺伝している可能性がある血縁者にも関わることだし、自費診療(当時)だからお金もかかる。自分がその可能性があることさえ聞きたくない人もいるかもしれません」

「日本はゲノム医療の体制が整っていないし、社会的にもまだ偏見の目で見る人がいるかもしれない。何があるかわからないから、まずはきちんと遺伝カウンセリング(※)を受けて、検査の意味やメリット、デメリットを理解してきてください」

※遺伝に関わる不安を持つ人の話を聞き、科学的根拠に基づいた情報提供をしながら、本人が納得する選択ができるようにサポートするカウンセリング。日本では認定遺伝カウンセラーの資格もある。

そこで、遺伝医療に詳しい「臨床遺伝専門医」の資格を持つ医師のカウンセリングを受け、採血して検査に出した。

「残念だけど」という言葉に怒る

3月の終わり、検査結果が出た。

「残念だけど、BRCA1に変異がありました」

医師がそう告げたことにショックは受けず、カチンと来た。

「残念だけどってどういうことですか?残念じゃないです。私はすごくスッキリしました。だってこれで自分に合った治療ができるかもしれないし、部分切除するか全摘するかの大きな決断もできる。なんと言っても姉ががんになった原因は遺伝子の変異であって、姉は悪くないんだってわかったんですよ」

健康に気を遣って生きてきた姉の生活習慣のせいではない。生まれもった遺伝子のせいであって、家族が悪いわけでもないし、姉が悪いわけでもない。自分ががんになった原因も遺伝子が悪さをしただけだ——。

「そうわかってすごくスッキリしたのに、悪いなんて言わないでください。もちろんショックを受ける人もいるかもしれませんが、これで私たち家族はすごく救われたし、前向きになれるんです」

そう泣きながら、医師に反論した。

医師は「ごめん。ごめん。そうだよね」と平謝りした。

その時の説明同意書には、「遺伝子変異を知ることによって結婚で差別を受けるかもしれません。就職できないかもしれません」など、遺伝子変異を明らかにすることで被り得るかもしれない差別が並べられていた。

これについても、太宰さんは医師にこう言った。

「先生、こういう言葉をいつかこの同意書から外してください。こんなことを医療者が言っていたら、患者は検査すら受けなくなります。変異を知ることで前向きになれたり、いろいろな予防措置が取れたりする時代になってきたし、実際に差別や偏見を受けた人を知っているんですか?知らないで書くならあまりにも無責任過ぎます。そういうことを先生も一緒に考えていってください」

後にこの時の医師、新井正美さん(現・順天堂大学教授)は「あの時以来、検査結果を伝える時に『残念ですが』とは言わないようにしているよ」と教えてくれた。

新井正美先生と。今では何でも相談できる頼もしい医師だ。(太宰牧子さん提供)

新井正美先生と。今では何でも相談できる頼もしい医師だ。(太宰牧子さん提供)

家族も太宰さんと同じ変異があるか調べたところ、妹は陰性、父が陽性だった。父方の伯父、伯母も陽性だった。

東日本大震災で日本中が混乱していた2011年3月、太宰さんがこの遺伝子変異や、社会の差別や偏見と戦う日々が始まった。

(続く)

***

不定期のゲノム医療の連載、第一弾(4回連載)は遺伝性乳がん卵巣がん当事者の体験談です。有料となる2回目以降は、太宰さんが遺伝情報による偏見や差別を実感し、将来のリスクや法整備と向き合っていく姿を描きます。よろしければ有料登録をお願いします。

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