思い出と喪失と赦しと 沿岸部の被災地に通い続ける音楽療法士が漫画で伝えたかったこと
盛岡在住の音楽療法士、「かときちどんぐりちゃん」こと、智田邦徳さんが、初の漫画作品集『とつこ』(信陽堂)を6月6日に出版した。
東日本大震災直後から、岩手沿岸部の被災地に音楽療法に通い続けている智田さん。
大切な人との思い出や別れを静かに見つめるこの作品集で、何を描きたかったのだろうか?

かときちどんぐりちゃんこと智田邦徳さん(盛岡市にて、撮影・岩永直子)
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被災地で聞いた津波前の思い出話を元に創作
——この作品集、Twitter(現X)に投稿した漫画を集めたのですよね?いつ頃から始めたのですか?
記録を見ると、2020年5月22日から描いています。全部スマートフォンのアプリで描いています。
——新型コロナウイルス感染症が流行中の時ですね。
コロナで仕事が中止になったり、変更になったりして、大槌町や宮古市、釜石でのサロン活動(音楽療法と健康体操などを組み合わせた被災地での活動)があまりできなくなったんです。手持ち無沙汰だったので、描くようになりました。
——漫画は前から描いていましたよね?
前は100円ショップで買った落書き帳にボールペンで描いていたんですけれども、スマホのアプリを使って初めて描いたのがこの中にも入れている「カメヤ」という作品です。
ある老人ホームに「カメヤ」と呼ばれる老人がいる。もうほとんど話すこともなく、甲斐甲斐しい妻の看病もむなしく、眠り続けるカメヤ老人。やがて世間に疫病の嵐が吹きあれる頃、面会のできない妻がスタッフに託した<あること>とは。
これは、サロン活動で聞いた昔の思い出話をもとにして描いた物語です。サロンでは、震災前の思い出話を聞くと、みなさん結構喜んでくださるし、回復や心のケアになるんです。
——震災前の前の暮らしは取り戻せない過去ですよね。その話を聞くことがなぜ心のケアになるのでしょう。
さも心のケアですって感じで聞くのではなく、初めて行く自治体や土地だとこちらも案内がないので、昔はどういう土地だったのか教えていただきたいのですよね。みなさん、今はこうした仮設住宅に住んでいますが、津波で流される前はどこの集落に住み、どんなところだったのか聞く。
それに付随して、その必要な情報以外のちょっとはみ出た部分が私はむしろ印象に残ったので、それを記録していたんです。
はみ出た部分の一つが、方言です。コミュニティの中でしか通じないような符牒だったり、その土地独特の訛りだったりを知ると、そこでのコミュニケーションが円滑になる。
仮設住宅に入る時にばらけてしまって、元いた集落の紐帯、絆が断ち切れてしまった人のよすがとしてのそういう糸をたどりたいと、話を聞いていました。もちろん津波のことが思い出されるから嫌だという人には聞きませんが、話したい気配のある人には積極的に聞くようにしていたんです。
懐かしい思い出として話される逸脱者たち
方言のほかに、はみ出した部分で、セクシュアルマイノリティの一人である私が一番興味を持ったのが、少し常識から外れた人とか、眉をひそめるような人だとか、何かコミュニティの中から逸脱した存在です。そんな異質な存在をみなさんが思い出話として語るのを印象深く聞いていて、その中に女装者が複数いたんです。
しかもネガティブではなく、懐かしい存在として話すんですね。とある港町では、ジェンダーやセクシュアリティーなどを抜きにして、当たり前のように女性の服を着ている。こんなカジュアルだったのかと驚きました。
その一つがスカート、みなさんの言葉では「簡単服」を漁師さんが着ていたというのです。
——いわゆるアッパッパですかね?
まさにそうですね。「あそこのおとっつぁんがいつも簡単服、着ていて面白かったよね」と言う。女装というよりは、女の服の方が楽だからというノリで着ていたみたいですね。
その色合いがもう少し強くなってくると、「ハイヒールを履いていたね」とか「口紅をさしていたね」となる。だんだんセクシュアリティーやジェンダー的に異質な人たちの存在にぶち当たってくる。
その中でも私が一番印象に残ったのは、洞窟に住んでいて、米軍の格好しながら、タイトスカートにハイヒール姿だった人が金魚売りをしていたという話です。
——情報量が多いですね。
すごいですよね。これだけでお腹いっぱいなのに、さらにその人は犬を連れていて、防空壕と思わしき洞窟に住んでいました。当事子供だったお年寄りたちは駅のホームから洞窟の奥まで見えたそうです。暮らしぶりまでわかったんですね。
——それを変な人という視線ではなく、懐かしい思い出として話すんですね。
普通に溶け込んでいたみたいですね。

「カメヤ」より(『とつこ』)
——その捉え方も印象的だったのですね。今の時代、LGBTQをすごく意識しなくちゃいけないという空気が強まっていますよね。
そういうクィアネス(多様な性のあり方)に対するアライ(セクシュアルマイノリティを理解し、支援する姿勢を持つ人)的な立場をとらなければいけないとか、今は大上段じゃないけれど、理屈で考えちゃうのですが、当時の人はもっとふわっと雑に捉えているのが面白いと思いました。
——それを膨らませて、創作していったのですね。
そうですね。
いろいろな形のいろいろな人の後悔
——「カメヤ」もそうですし、本のタイトルにもなった「とつこ」も、最初はパッと意味がわからない方言や言葉が出てきますが、後でその物語を象徴する言葉だったことがわかりますね。
本のタイトルにもなっている「とつこ」は宮古の言葉で、糸が絡まることを言うんですね。それをなんで知ったかというと、仮設住宅に住んでいる高齢の女性ばかりで手芸クラブを作って、そのサークル名を「とつこ」にしていたんです。手芸クラブなのに、なぜわざわざ糸が絡まるという意味の名前にしたんだろうと思って。
そこに何か含蓄が含まれているような気がして、とつこという言葉を覚えたんです。
丘の上の保育編へのクネクネ道をひとりのおばあさんがのぼってゆく。ばばちゃん先生と呼ばれる彼女は、元園長。引退した職場に日々現れては、昼寝する子どもたちにまぎれて眠る。そして、涙を流して目を覚ます。心の<とつこ>を解くのは、誰?
——保育園でお世話をしていた障害のある園児が、津波で流された心の傷を抱えている園長先生の話です。実際にあった話を元にしているのですか?
ディテールは変えていますけれど、実際にあったのは、知的障害者作業所の送迎バスが流された話とか、保育園で親が迎えにきたから帰したら津波で流された話とかです。
その時は何が正解なのかわからないけれど、正解でも不正解でもずっと引きずることがある。後悔というのは、サバイバーズギルト(他の人が亡くなる中自分だけ生き残ってしまったという罪悪感)だけでなく、いろいろな形の、いろいろな人の後悔があると思ったんです。

「とつこ」より(『とつこ』)
——東日本大震災の話がテーマの作品が多いです。ご自身でも重い経験でしょうし、活動の中でずっと沿岸部の方の話を聞いてきたことが大きいのでしょうか?
自分が含まれてきた事象ですからね。東日本大震災の被災地と呼ばれてきた時間を一緒に過ごし、「復興」と呼ばれている土地の中に我々は存在してきたので。
欲しかった「もう一つの居場所」
——コロナ禍の間、毎日のようにこれらの作品をTwitterに投稿されていましたね。何が駆り立てたのでしょうか?
もう一つ、自分の居場所が欲しかったから作ったというところがありますね。
——沿岸部の被災地へのボランティア活動、急性期の大変な時が過ぎてもずっと通い続けると決めて、14年通っていらっしゃいます。活動が、もう自身の居場所になっていたのでしょうか?
自分が恵まれていたのは、事務局のパートナーと共に小旅行のように通ったり、沿岸部は盛岡の家から100キロしか離れていないので通いやすかったことです。
——結構な距離ですけれどもね。
そして、もし自分にストレスがあるとしたら、それを表現として出す癖がついていて、それによってストレスを溜め込まずに済んだ。そんな自分の特性が、自分自身を助けてくれていたのだと思います。
——最初「カメヤ」を出してみたら反応はどうでした?
友達が同人誌を作ってくれました。最初、「カメヤ」とその次に描いた「ムシデン」を出したら、同人誌界では名の知れた人が「これは同人誌で出したら面白いかもよ」と言ってくれて、本にしてくれたんです。
だいたい1作品、1週間かからないぐらいで書くんですよ。絵が先に浮かぶので、88枚、最初に描くんです。後からセリフやト書きを入れていく感じです。80枚目を過ぎたあたりで、「ああこういうことだったのか」と気づいて、前に戻ってテキストを書き直して少し伏線を引いたりはします。
パートナーの死と震災と立て続けに経験して
——全ての話に共通していますが、主人公は、別れや失うことを経験します。やはり東日本大震災の経験が影響しているのでしょうか?喪失の地域になってしまいましたね。
私自身が立て続けに経験したからですね。2010年に私の前のパートナーを亡くしているんです。そして、2011年に東日本大震災があった。
パートナーはその1年ぐらい前から様子がおかしくて、帰りが遅いなと思って電話をしたら、電話には出ずに朝に帰ってくることが増えていました。「どうしたの?」と聞いたら「仕事が忙しくて」としか言わない。いつの間にか体にも傷がついているし、なんだろうと思っていた矢先に亡くなったんです。
私は丈夫そうに見えるんですけれども、パートナーを亡くした直後はおかしくなっちゃって。ふらっと神戸に行って、それをいちいちTwitterに載せていたら、西原さん(友人の漫画家、西原理恵子さん)に「おかまのロードムービーつらい」と言われたりしていましたね。
——何年ぐらいお付き合いされていたんですか?
14、15年です。
——それはもう夫婦みたいなものですね。大事な人を失い、地域としても失う出来事が起きた。ただ、どの話も共通するのは、失うだけではなく、再会があることです。それは自分の願いや祈りのようなものなのでしょうか?
とにかくいきなり死んじゃったものだから、「どういうこと?」って本人に聞きたくて、夢でもいいから出てこないかなってずっと思っていたんですけど、そんなに都合よく出てこないしね。なぜ死んだのかという疑問をずっと抱えつつ1年過ごしていたら、3月に東日本大震災があった。
亡くなった相手は岩手県の災害ボランティアを統括する人だったんです。だから、彼が生きていたらもっと違う動き方ができていたんだろうなと思ったりもしました。
——震災でも突然、大事な人を亡くした時、多くの人が「なぜこの人が?」と答えのない問いを繰り返すのを取材してきました。夢でいいから会いたいとおっしゃっていましたが、そんな思いを抱く人を描きたかったのでしょうか?
描きたいという明確な意思はなかったのですが、こういう風に出ているということは、やっぱり無意識に思っていたんでしょうね。なんだか心理療法みたいだなって自分でも思いました。
「赦し」のようなものがあったら
——主人公たちは、もう二度と会えなくなった大事な人たちと、なんらかの形で「再会」し、再生します。こうであってほしいという思いなのか、そういう不思議な経験をした人を実際に見てきたのでしょうか?
私は日常的に認知症の人やトラウマを抱えて病気になっている人と暮らしているので(※智田さんは精神科病院で働いている)、どう接していいかわからない時は、その方の心のうちを想像するほかないですよね。どこに窓が開いていて中が見えるのかなと想像して、作品の中で描いていたりします。
サロンの時も、「目の前で人が流されていった」と話す人がたくさんいます。「あの時、こうしていたら」と話す人もたくさんいる。でもその時の自分の行動を改変することはできない。

『とつこ』書影
——その場面に囚われて、身動きができなくなった人が作品の中でも描かれていますね。でも、何らかの形で二度と会えない人に再会し、解放される。かときちさんの願いなのでしょうか?
「赦し」みたいなものですかね。赦す、赦されるってなんだろうと昔から思うのですけれどもね。
——表題作「とつこ」の主人公も自分を長年赦せないで、絡まった糸の中で動けなくなっている人ですね。
手放せないでいるんですよね。自分の罪をね。
——その本人がもし会いにきて、手放してくれるならそれが叶う。やはり願いのようなものですかね。そういうつらい思いをしている人たちのところにずっと通い続けているから、そういう物語が浮かぶのでしょうか?
私はその人たちが抱えているきついところと無関係な来訪者なので、関係ないからこそ、そこから一歩違う自分として接してくれているのかなと思います。そういう話をする時に客観性を帯びますよね。
——本当はそこにずっと囚われていたり、ずっと考え続けていることなんだけど、無関係な来訪者だからこそ話せることがあって、その時ちょっと俯瞰して見るような話し方をすることがある。
新しい視点を得てくれるのかなとも思います。
——そこに作品のヒントを探ってきたのでしょうか。
やっぱりそういう心のありようは、この方々から学びましたね。
(続く)
【かときちどんぐりちゃん(本名・智田邦徳)】漫画家、音楽療法士、一般社団法人「東北音楽療法推進プロジェクト」代表
1967年生まれ。岩手県盛岡市在住。日本大学芸術学部音楽学科卒業後、盛岡に戻り、音楽療法士として活動。東日本大震災発生後は、三陸沿岸を回り、音楽療法や体操、おしゃべりなどを行うサロンを通じた被災者支援を続けている。著書に『推し嫁ルンバ』(KADOKAWA)。共著に『音楽療法・レッスン・授業のためのセッション ネタ帳〜職人たちのおくりもの』『心ふれあう セッション ネタ帳For Kids』(ともに音楽之友社)がある。
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