現行の高額療養費制度でも利用者の6人に一人が生活が破綻する「破滅的支出」に 医療経済学者が分析

秋までに再検討される高額療養費制度の見直し。医療政策学者の五十嵐中さんが所得別の分析で、現行制度でも生活が破綻するレベルの支出に陥っている人が数多くいることを明らかにしました。「高額療養費をいじるよりも、別の医療の無駄を省くべき」と提言しています。
岩永直子 2025.06.06
誰でも

医療費が高額になった場合、収入に応じて自己負担額の上限を定め、患者に過度な支出を負わせないようにする「高額療養費制度」。

この高額療養費が年々膨らみ医療保険財政が逼迫しているとして、秋までの制度見直しが検討されているが、現状の高額療養費制度を利用している人でさえ、6人に一人が医療費で生活が破綻しかねない「破滅的支出」になっていることがわかった。

五十嵐中さん(撮影・岩永直子)

五十嵐中さん(撮影・岩永直子)

東京⼤学⼤学院薬学系研究科 医療政策・公衆衛⽣学特任准教授の五十嵐中さんが分析した。

年収550万円未満に限ると3人に一人の制度利用者が破滅的支出となっており、五十嵐さんは「高額療養費制度の自己負担を上げるよりも、他に削減を考えるべき領域がある」と話している。

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政治家や患者団体、厚労省の専門委員会の声を受けて所得別の負担度合いを分析

五十嵐さんは、政治家や患者団体のヒアリング、5月26日に開かれた厚生労働省の「高額療養費制度の在り方に関する専門委員会」などで、家計に占める所得の割合や所得別の負担度合いのデータを見たいという声が数多く上がっていたことを受け、分析した。

具体的には、まずDeSCヘルスケア株式会社のレセプト(医療機関が保険者に請求する医療費の明細書)データベースから、2022年度に高額療養費制度を利用している11.5万人を抽出。この11.5万人のうち、同社のアンケートアプリ「”kenkom」で所得の回答があった756人について、医療費の自己負担と所得との関係を分析した。

WHO(世界保健機関)は、収入のうち、生活費を抜いた分の40%を医療費が超えてくると、生活が破綻する「破滅的な医療費支出」となり得るとしているが、所得別の可処分所得に占める医療費の割合や、医療費が破滅的支出になっている割合を分析した。

税金や保険料(棒グラフの緑)、生活費(紫)を引いた後の、医療費支払い能力(医療費に使い得る金額、黄色)を出し、それに占める高額療養費の金額の割合を計算した形だ。

五十嵐中さん提供

五十嵐中さん提供

その結果、全体では17.0%、6人に1人が破滅的支出となり、その割合は年収が低いほど増えた。年収550万円未満に絞ると36.4%、3人に一人が破滅的支出となっていた。

五十嵐中さん提供

五十嵐中さん提供

現行制度下でも6人に1人が破滅的支出に

——分母にした「医療費に使い得る金額」(黄色)は可処分所得という意味なのでしょうか?

おそらくそれに近いのだろうと思うのですが、明確な定義がわからないので、今回の高額療養費制度の問題で「破滅的医療費支出」を最初に紹介した伊藤ゆり先生の「医療費支払い能力」という言葉を使っています。

上のグラフで、赤が破滅的支出になっている人、緑が破滅的支出になっていない人です。

例えば、年収300万円でも、医療費の支払い能力は120万円になっています。医療費自己負担が年間50万円を超える人はそれほど珍しくないので、これでは簡単に破滅的支出になってしまいます。

全体では、世帯年収データのあった756人のうち、17.0%の128人が破滅的支出に陥っていました。

——政府が上限の引き上げを考えている現行制度でも既に6分の1の人が破滅的支出になっているということですね。

さらにもう一つ、思考実験ですが、もし高額療養費制度がなくて全員ずっと3割自己負担だったらどうなるかも計算しました。

五十嵐中さん提供

五十嵐中さん提供

破滅的医療費支出は高額療養費制度がある場合の17.0%から、26.7%に増加しました。

五十嵐中さん提供

五十嵐中さん提供

かつ、所得や年齢と、支出可能額に占める医療費の割合との関係を調べてみました。やはり所得が低いと医療費が占める割合は上がり、破滅的支出になっている人の割合も高くなっていきます。

一方、年代別に見ると、20代で2割強、30代では少し低くなって、その後40、50、60代と徐々に上昇していきます。統計解析をした結果では、60代のみが他の世代と差がありますが、その他の世代間では差は見られませんでした。これまでの分析と同様、若い世代でも大きな負担が発生していることはわかります。

現行制度でも既に破滅的 改定案も分析する姿勢

——この分析結果を受けて、高額療養費制度の見直しについて、先生はどのようなご意見をお持ちなんですか?

これから高額療養費制度を修正しようというなら、基準を緩和する方向への修正はおそらくないでしょう。当然、引き上げてくる方向での修正になると思います。

しかし、私の分析結果が示したように、現行制度でも既に破滅的な状態になっている人がいます。

国民皆保険の前提は、皆が、必要な医療を、「家計が苦しくならない状況」で受けられることです。破滅的な状態の人が少なからずいる状況は、津川友介先生の表現を借りれば、国民皆保険が成立していない状態とも言えます。それは若い人も同じです。

このような分析を積極的に出しているのは、さまざまな改定案が出された際に、患者さんや家計に対する影響を迅速に出せる、との姿勢を示す意味もあります。

あらかじめデータセットを用意しておけば、どのような改定案が出ても、それによる影響をすぐに公表できる。スピード感をもって出さないと、今回のような議論には耐えられないと思っています。

——「患者への影響が大きくなるような修正を加えた場合、すぐにその影響を数値化して示します。データをもとに議論してください」と政府や国会議員に釘を刺す意味合いもありますかね?

春先の上限引き上げの議論でも、私は患者への影響を随時算出して、公表していました。あれと同じことを準備しているという意味です。今回の分析を発表した「高額療養費制度と社会保障を考える議員連盟」には与党も野党もいますから、どちらが使ってくださってもいい。

あわせて、今後の解析に向けて、単純な所得ではなく主観的な経済状況(経済毒性)についての質問項目も入れています。

例えば同じ年収300万、可処分所得が150万であっても、人によって負担感は全く違います。親族に頼れるかどうかや、貯蓄などの金融資産がどのくらいあるかでも医療費の負担感は違ってくるでしょうし、暮らし方次第でも変わるでしょう。

つまり困り具合は、今回のように税・保険料負担を入れたとしても、やはり判断しきれない部分がある。そうした要素についても質問し、高額療養費制度を利用する人たちの経済特性を調べれば、困ってる度合いももう少しきっちりわかると思います。

高額療養費をいじらずに、無駄な医療を省く

——現状でも厳しい人が高額療養費制度の負担を重くすればさらに厳しくなることがわかるとすれば、この制度はいじらずに別の方策で医療保険財政を改善する必要があると主張されているわけですね。

そうですね。高額療養費に「まず」手を付けるべきではないとしたら、他に手を下せる・削減できるところはないか?を考える必要があります。

例えばセルフメディケーションを推進することであったり、いわゆる予防医療であったり、風邪に抗菌薬など明らかに有効性に乏しい「低価値医療」を保険から外すことであったり、色々考えられますね。そこから切ればいいという話は当然出てくると思います。

五十嵐中さん提供

五十嵐中さん提供

「費用対効果」を見るのは一見正論だが、恣意的に操作されがち

——ただ、何を優先して削るべきかは議論になると思います。

医療費は全体的に厳しくなっているから、高額療養費に手を出せないとして、他のところでメリハリをつけるべき。いいものには良い値段を、そうでないものは削るようなシステムを何か考える必要がある——。

そのような議論をすると、いわゆるコスパ評価、お金と「良さ・効き目」のバランスを評価できる「費用対効果」評価は、とても魅力的なシステムに見えます。理想的な意味での費用対効果評価を進めることは、本質的には反対する理由がありませんからね。

しかし、私は費用対効果評価の専門家であるからこそ、安易な推進論には賛成できないと思っています。

言うなれば、今議論されている「費用対効果」は、理想的な「費用対効果」とは、全く似て非なる存在です。

費用対効果の評価は、同じ治療でも分析のやり方次第で、100点満点の結果も0点の結果も出せてしまいます。

しかし、金銭単位で結果が出てくるのと、もともと馴染みの薄い領域であることも手伝って、いかにも確定的な数字が出たように誤解されやすいのです。前提次第で結果が全く変わることや、恣意的に結果を操作できることは、ほとんど知られていません。

もっとも大きな問題は、「科学的に妥当」という旗印のもとで、ルールブック自体も恣意的に変えられてしまうことです。例えばスポーツでもスキージャンプで日本が金メダルを取りまくったら、体格の小さい日本人に不利な形でルールが改定された問題がありました。

医療の費用対効果評価でも、実はそれに近いことが行われています。例えば、患者集団をどう選ぶかとか、何と比べるかとか、何か揉めると行政側に有利になるようにルールを変えることが当然のように行われています。

見るからに恣意的だなと感じる制度が運用されることと、一見科学的に見える姿勢が蓋を開けたら「これは恣意的だ」と判明することとでは、私は後者の方がタチが悪いと思っています。

メリハリを付けるときにコスパを見ることには、誰も異論はないでしょう。

しかし、分析の前提次第で結果をいくらでも変えられることと、そのこと自体が全く知られていないこと。この二点から、自分としては、今回の議論でこの「費用対効果」という道具を振りかざすのは筋が悪いと思っています。

それよりは、あからさまに無駄なものに関して色々削ってく、考え直してく。そんな地道な作業をまず行った方がいいのではないかと思います。

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