8割の婦人科がん患者が治療の経済的負担で生活や健康に悪影響 「経済毒性」研究者が心配する高額療養費見直しの副作用
高額療養費制度の見直しに、様々な患者団体から反対の声が上がっている。
治療費の負担が経済的な問題を引き起こし、生活の質の低下や治療を諦めることにもつながる「経済毒性」。
比較的若い患者が多い婦人科がんの経済毒性を研究する東京⼤学⼤学院薬学系研究科 医療政策・公衆衛⽣学研究員の梶本裕介さんに、高額療養費制度の見直しによる影響をどう見ているのか聞いた。

梶本裕介さん(撮影・岩永直子)
※取材は2月18日に行い、その時点の情報に基づいている。
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命や心身に多面的な影響を与える経済毒性
——まずがん患者の「経済毒性」とは何か説明していただいてもよろしいですか?
がんになって治療を受けると、医療費や交通費など通院のための費用がかかり、休んだり退職したりすれば収入も下がります。それがうつや不安、痛みの増加や疲労、認知機能障害、生活の質にも影響を与えることが報告されています。
経済的な負担が重過ぎれば、治療を断念したり、節約のために通院や薬を減らしたりして、症状の悪化や生存期間の短縮など直接的に命や健康の問題につながることさえあります。そういう経済的負担による悪影響を経済毒性と呼びます。

梶本裕介さん提供
治療による経済負担が大きかったり、仕事ができないことで労働損失があったりすると、貧困や破産、資産売却、借金につながり、それが精神的な負担や心身の症状、治療拒否につながって、働けなくなる。また、寿命が短くなったり生活の質が低下したりする、負のサイクルが生まれるのです。

梶本裕介さん提供
働く世代や子育て世代が多い婦人科がんの経済毒性を調査
——先生はなぜ婦人科がんの経済毒性を調べたのですか?
元々婦人科がんについて研究していたこともありますし、婦人科がんの患者さんは全員女性で、他のがんと比べて若い方が多いのですよね。子宮頸がんだと30代〜40代が発症率のピークですし、卵巣がんや子宮体がんも50代の方が結構多い。
働いている世代で、子育て中の世代でもあるので、そういう属性の患者は、治療費の負担でどういう影響を受けるのか調べたわけです。
COSTというアメリカ発祥の経済毒性を評価するための質問票があり、これを元に愛知県がんセンター薬物療法部医長の本多和典先生が日本語版を開発しました。

COST日本語版
これを婦人科がんの患者に回答してもらった結果を分析したのが私たちの研究(Validity of the COmprehensive Score for financial Toxicity (COST) in patients with gynecologic cancer 婦人科がんにおける経済毒性に対するCOSTの妥当性)(Association between financial toxicity and health‐related quality of life of patients with gynecologic cancer 婦人科がん患者の経済毒性と健康に関するQOLの関連性)です。
婦人科がん患者の8割以上が経済毒性を経験
このCOSTのスコアが低いほど経済毒性は増すのですが、大まかにスコアによって3段階に分けられます。
グレード0が経済毒性はほとんどないレベル、グレード1はそれなりに経済毒性を感じているレベル。そして最も厳しいグレード2〜3は経済負担を強く感じ、治療を減らしたり、断念したりして命や健康への影響が懸念されるレベルです。

梶本裕介さん提供
調査の結果、日本の婦人科がんの患者の8割以上がグレード1以上の経済毒性を経験していることがわかりました。

梶本裕介さん提供
また意外なことに、経済毒性はボディイメージに関する生活の質の悪化にも関わっていました。
経済的な負担が増すと。まずどこを節約するかといえば化粧品などです。経済的負担で見た目を構えなくなることから、ボディイメージに自信がなくなってくるのではないかと推測しています。
若い世代で経済毒性悪化 貯金がなく、治療の見通しが立たないことが影響
また、本多先生ががん患者の経済毒性について調べた先行研究と比べると、中央値が58歳の若い婦人科がん患者では、低い数値が多く経済毒性がより強く出ていることがわかりました。

梶本裕介さん提供
若い方が経済毒性が強く出ることが他の様々な先行研究でも共通して明らかになっているのですが、貯金が少ないこと、治療がどこまで続くか見通しが立たないことが影響していることがわかっています。

梶本裕介さん提供
従来の抗がん剤治療なら、半年ほど治療したら終わるというだいたいの見通しが立てられていたのですが、最近の分子標的薬や免疫チェックポイント阻害剤を使うと、再発を防止するためにずっと高額な薬物治療を継続することになってしまいます。新しい薬では、どれぐらいまで使えば十分かまだエビデンスが確立していないからです。
1〜2年どころか、長い人だと4年、5年かかっても再発が怖くてやめられず、いつまで治療費がかかるのかという経済的な負担を抱え続けることになる。それが、経済毒性の悪化につながっているのではないかと分析しています。
逆に歳を取っていると、定年退職している人も多く、高額療養費の上限が低く抑えられるわりに、貯蓄は多いので経済毒性は低くなるのだと思います。
——婦人科がん患者の分析をしてみて、予想通りでしたか?
予想よりも婦人科がんの経済毒性のスコアは悪く出たなと感じています。やはり若い人が多いからだと思います。
治療の拒否や遅れ、治療継続の低下につながる恐れ
——高額療養費制度の見直しで、婦人科がんなどを患う若いがん患者は、経済毒性がますます厳しくなりそうですね。
若い世代のがん患者ほど高額療養費の恩恵を強く受けていることが明らかになっていますから、見直しで経済毒性の悪化を助長しかねないことを心配しています。
婦人科がんの方は子育て世代が多いので、子供がいれば将来の学費なども心配するでしょうし、自身の生活費や将来の資産形成の計画も狂うでしょう。身体的な後遺症や薬の副作用と同様、経済的な副作用も大きくのしかかるのではないかと思います。
——今回、政府は高額療養費の見直しで捻出した金を子育て支援に回すそうですが、子育て中の婦人科がん患者さんには皮肉に響きますね。
まさにそうですね。
現在の日本で起きている経済毒性は間接的なものが中心です。病気になって、治療を選択して、医療費や高額療養費がかかって、患者さんや家族への経済的な負担がかかる。その負担の重さから、家を売ったり、車を売ったりといった資産売却があり、預貯金の減少が起こります。そこから経済活動の制限や、精神的・身体的負担が生まれ、それが健康にも影響しています。

梶本裕介さん提供
今後、高額療養費の見直しがなされると、経済的毒性が間接的なものから、直接的なものに移行していくことを懸念しています。
多数回該当の見直しがいったん保留になっていて、それはそれで良かったとは思いますが、4回目以降が多数回該当で割り引きになっても、最初の3回はドンとかかる。そうなってくると、「高い治療は受けない」という選択をする患者さんが出かねません。
そうなると、新たに承認され、保険適用にもなり、診療ガイドラインでも標準治療になっているけれども、「高いからやらない」という判断が出てくる。つまり治療拒否、治療の遅れや延期、アドヒアランス(治療をきちんと継続すること)低下などによって健康状態が悪化する、直接的な経済毒性が増えないか心配しています。
治療や検査の断念など直接的な経済毒性が増える懸念
そのもととなったデータがこちらです。

梶本裕介さん提供
アメリカだと、経済負担の大きさにどう対処するかというと、薬の量を減らすとか、処方箋を受け取っても薬は高いから受け取らないとか、診療や抗がん剤治療の回数を減らす、勧められた検査や抗がん剤を受けなかったなど、直接治療に影響を与える対処が一定数あります。
——まさに直接的な経済毒性ですね。
そうです。
日本ではどうかといえば、なくはないけれど、1〜3%と低いです。今回の政府の見直しで、この割合が上がってくることを懸念しています。
——がんの治療費がかかるから、一時的にレジャーは我慢しようとか、預貯金を切り崩そう、というのはある意味、よくありそうな節約ですね。
そうですね。このへんはまだ理解しやすいですね。自分もがんになって治療費がかかればそうするだろうと思いますよね。
——でもそれが、より適切な治療選択を我慢したり、検査を断念したりにつながると、命に関わります。
そうですね。治療は進歩しているのに、より良い治療を受けられないし、そういう選択を患者さんに選ばせてしまう可能性があります。直接的な経済毒性です。
——それが増えることを心配しているのですね。
そうですね。今回の見直しで、最初の医療費が「こんなにかかるのか」とショックを受ければ、「家族に迷惑をかけるから、こんな高い治療は受けないでおこう」という考え方になりかねません。そこを心配しているところです。
患者が比較的若い婦人科がんや乳がんは子育てもそうですが、親の介護も重なります。親の面倒もみていられないよ、と様々な方面に悪影響が及ぶ可能性もあるでしょう。
海外ではお金に関するカウンセリングで不安感を軽減する支援があります。しかし間接的な経済毒性はまだ対処できても、直接的な経済毒性は、適切な治療を断念したり、治療が遅れたりしたら、もう取り返しがつきません。より深刻な問題で、まさに命の問題です。
経済毒性の強い人ほど自分で治療を決めたい
——こうした不安に対し、今、患者団体から高額療養費見直しの凍結が叫ばれているわけですが、他にどんな対策があり得るのでしょうか?
これはアメリカの研究ですが、経済毒性を軽減するために、まず病院に通うための交通費の補助が政策として期待されています。アメリカらしいですね。
二つ目は日本にも当てはまりそうですが、事前に医療費を教えてほしいという要望があります。ただこれは教えたら教えたで、治療の抑制やより安い治療の選択につながりかねません。それでも患者さんの立場からすれば知りたいでしょう。

梶本裕介さん提供
また海外の研究では経済毒性の弱い人は主治医にお任せで治療を決めてほしいと考える傾向が出ています。お金を出しても医師が勧めるベストな治療が受けられると考えているからだと思います。逆に経済毒性が強い人は自分で治療を決定したい傾向が出ています。

梶本裕介さん提供
これはもしかしたら、負担を重く感じているのであまり高い治療や検査を受けられないことが影響しているのかもしれません。
——日本でも、今度の見直しで経済毒性が悪化する人が増えたら、経済的余裕の有無が治療の格差につながり、健康格差が広がりそうですね。
そうですね。どんどんアメリカのような状況になって、皆保険制度への信頼感も薄まるかもしれません。これまでは、経済的な余裕がない人も高額療養費があるから、標準治療は受けられるという安心感がありましたが、その安心は減ってしまうかもしれません。日本でも民間保険が重要になっていくかもしれません。
政府はこうした経済毒性のデータも踏まえた上で、政策決定をしてほしいと思います。
【梶本裕介(かじもと・ゆうすけ)】東京⼤学⼤学院薬学系研究科 医療政策・公衆衛⽣学 研究員
2023年東京⼤学⼤学院薬学系研究科博⼠後期課程修了、2023年から研究員として所属。公的研究機関等を経て現在は製薬企業にも勤務。
婦人科がん患者における経済毒性の研究の実施、経済毒性に関する研究班や教育活動への参加など、がん患者の経済的課題を中心に活動をしている。
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