HPVワクチンのキャッチアップ接種に大学が力を入れる理由
子宮頸がんなどを予防するHPVワクチン。
接種の機会を逃した年代(1997年4月2日生まれ〜2008年4月1日生まれ)に無料接種の再チャンスを与える「キャッチアップ接種(追いつき接種)」が来年3月まで行われているが、接種率の伸び悩みが課題となっている。
そこで筑波大は5月下旬から、茨城県内に住む学生や教職員を対象に、大学附属病院内で接種できる「筑波大学でHPVワクチンキャッチアップ接種機会を提供するプロジェクト(HPVワクチンプロジェクト)」を始めた。
プロジェクトを運営する同大医学医療系助教(公衆衛生看護学分野)の井坂ゆかりさんや、同准教授(国際社会医学)の堀愛さんは「接種のハードルを下げて、多くの女性にこの機会を活かしてもらいたい」と話している。
筑波大学「HPVワクチンプロジェクト」を運営する、同大医学医療系井坂ゆかり助教(右)と、堀愛准教授(左)
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キャッチアップ接種は伸び悩み
HPVワクチンは日本では2013年4月から、小学校6年生から高校1年生相当の女子を対象に、公費負担で接種できる「定期接種」となった。
ところがその前後から、接種後に体調不良を訴える声をメディアがまるで薬害であるかのようにセンセーショナルに報じたことから、不安が広がった。厚労省はわずか2ヶ月後の2013年6月、対象者に個別にお知らせを送る「積極的勧奨」を停止した。
この影響で接種率は、一時1%未満まで激減。2021年11 月に積極的勧奨は再開され、22年4月からは、接種しそびれた女性を対象にキャッチアップ接種も始まった。
ところが、キャッチアップ接種の接種率は伸び悩んでいる。これに関心を抱いたのが、キャッチアップ世代の接種率を伸ばす方策を研究課題としていた井坂さんだ。
キャッチアップ接種済みは3割 「学内接種希望」8割
井坂さんは、2023年11〜12月に、筑波大学の9学群の女子学生(3243人)を対象に、どれぐらいがキャッチアップ接種を受けたか、アンケートした。
「私の仮説では、実家から住民票を移していない学生も多く、接種券が手元に届いていないから接種していない人が多いのではないかと考えていました。筑波大学は地方から入学する大学なのでその割合は高いのではないかと思いました」
調査には455人が回答し、1回以上キャッチアップ接種を受けた人は102人で32%だった。
「回答する学生はHPVワクチンに関心が高いバイアスがかかっている可能性が高いので、実際の接種率はもっと低いことが考えられます。住民票を移していようが移していなかろうが、接種率に変わりはありませんでした」
また、大学内で接種できるなら接種したいかも質問したところ、接種したいと答えた人が292人、78%もいた。
感染症内科、産婦人科、ウイルス学の教授らも集結
井坂さんはこの結果をもとに、大学内で接種できるようにしたいと動き始めた。大学院時代の指導者だった堀さんも賛同し、「筑波大学でHPVワクチンキャッチアップ接種機会を提供するプロジェクト(HPVワクチンプロジェクト)」を立ち上げた。
堀さんは学内の関連する多くの教員を巻き込もうと、医学部の教授らにメールを送った。
みな「教室をあげて協力する」と積極的に賛同してくれて、感染症内科・感染制御部の鈴木広道教授、分子ウイルス学の川口敦史教授、産婦人科学の小畠真奈准教授もプロジェクトに加わった。
「附属病院を持っている大学の強みなのですが、学生に教えながら大学病院で診療もしている先生が、病院での接種の実施に向けて動いてくださったのが大きかった」と堀さんは振り返る。
2月の半ばには主要メンバーでミーティングを行い、大学病院が実現に向けた道筋も作ってくれた。
健康診断や学内にブースを設けて周知
対象は学生と教職員で5584人だ。つくば市に住む学生が多いため、大学病院が市役所と掛け合ってくれて予診票を取り寄せてくれた。学生が市役所に行かなくても、接種会場に行けばすぐに受けられるようにして、接種のハードルを下げた。
ただ、住民票を茨城県に移していない学生半分以上は対象外となりそうだ。対象外の場合大学でいったん自費で接種して、住民票がある地元の役所で償還払いをしてもらう方法もあるが、事前の事務手続きが煩雑なため、ほとんどその方法を選ぶ学生はいなそうだ。
接種するのは子宮頸がんの9割以上を予防する効果がある「9価ワクチン」。自己負担なら3回で約10万円かかるのが、キャッチアップ接種期間は無料だ。接種場所は、コロナ対応などで使った別の診療棟なので、学生がたくさん来ても患者に迷惑をかけることはない。接種するのも土曜日にして、平日の診療には影響しないようにした。
3月21日に大学本部の運営会議で承認されて、26日には教職員専用サイトと学生の履修システムのサイトで周知された。
「でもそういうお知らせは通常誰も見ないので、4月の健康診断の会場でリーフレットを女子学生全員に配りました。また、学内のスーパーマーケット前にも週1回ブースを設けて、私たちが予約を案内し、相談にものっています」と堀さんは言う。
学内のスーパーマーケット前で相談ブースも設けて、不安を取り除く。
「『1回目は地元で接種したのですが、対象になりますか?』とか、男性学生が『自分も対象ですか?』と聞いてきたりします。留学生から『自分の国ではうてないので、うちたい』と相談を受けることもあります」と堀さん。
「『親に接種券を捨てられて、親にずっと反対されているのですが......』という涙ながらの相談もあります」と井坂さんも言う。
そんなあの手この手の宣伝で、初日の5月25日は、80人の予約枠が全て埋まった。6月の予約枠もかなり埋まっている。HPVワクチンは半年かけて3回接種するので、キャッチアップ接種に間に合わせるためには9月までに第1回をうつ必要がある。このプロジェクトでも9月で1回目の予約受付は閉じる予定だ。
自身も高度異形成で不安な日々を過ごした経験
こうした大学内での接種は、他にも熊本大、愛媛大、岡山大、東京大、宮崎大、千葉大、長崎大などで行われている。なぜ義務でもないこうした学内接種に大学が力を入れるのだろうか?
筑波大学病院の接種会場
井坂さんは初めて子宮頸がん検診を受けた26歳の時に、前がん病変である高度異形成と診断された。3ヶ月ごとに経過観察をし、第一子を妊娠した時は大学病院で定期的に子宮頸部を観察しながら出産まで不安な日々を過ごした。
「高度異形成といわれた時に今後子供を産めなくなるのではないかととても悩みました。少しでもそういうことで苦しむ女性を減らしたいので、身近なところからこうした予防活動を始め、少しでもHPVワクチンのアクセスをよくできたら」
企業で産業医もしている堀さんは、働いている企業で子宮頸がんになった社員と出会うことがある。
「『仕事に戻りたい』と言いながら亡くなっていく女性を何人も見てきました。しかも30代、40代とまだ若いのに、戻れない。そんな姿を見てきて、防げるものなら防ぎたいという強い思いがずっとあります」
日本はメディアの報道や国の政策の失敗でHPVワクチンの接種率が激減した世界でも稀な国だ。それをなんとかしたい思いが医療者として強いと二人は言う。
「公衆衛生が敗北したのが日本におけるHPVワクチンの状況です。つくば市でもHPVワクチンに反対する議員がいますが、そういう人たちの声の方が、私たち専門家よりも市民に受け入れられている事態がある。専門家としてはここで何とかしなければと思いますし、大学の教員なのでせめて自分の大学の学生には正しい情報を届けて、自分にとって一番いい判断をしてほしいです」
【井坂ゆかり(いさか・ゆかり)】筑波大学医学医療系助教(公衆衛生看護学分野)
2005年3月、茨城県立つくば看護専門学校卒業。2005年4月から、筑波メディカルセンター病院看護部で勤務。2013年3月、筑波大学医学群看護学類、筑波大学大学院人間総合科学研究科フロンティア医科学専攻、筑波大学大学院人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻を経て、2023年2月、筑波大学医学医療系助教に就任。
【堀愛(ほり・あい)】筑波大学医学医療系准教授(国際社会医学)
2002年3月、産業医科大学医学部卒業。筑波メディカルセンター病院、 国立国際医療研究センター研究所疫学予防研究部特任研究員、産業医科大学大学院医学研究科、 東京ガス株式会社人事部安全健康・福利室産業医などを経て、2016年 8月筑波大学医学医療系助教、2022年6月筑波大学医学医療系准教授に就任した。
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