ミュージシャンでライブハウス経営者の僕が、新型コロナ対策に乗り出した理由
2020年に日本でコロナ禍が始まった頃、感染を広げる恐れのある場所として名指しされたのが、ライブハウスなど音楽を楽しむ場所だった。
なぜ、音楽業界が槍玉に上がるのか? お客さんが安心して生の音楽を楽しむために何ができるのか?
そんな思いで行政、政治家と交渉し、感染対策のガイドライン作成に奔走した人がいる。
自身もミュージシャンで、都内で複数のライブハウスを経営する一般社団法人「日本音楽会場協会」理事長の阿部健太郎さん。
さらに今度はなぜか、子供の感染対策にも乗り出した阿部さんにお話を聞いた。
阿部健太郎さん(本人提供)
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緊急事態宣言で営業自粛 行政や都議にアプローチ
都内で複数のライブハウスを経営していた阿部さんが、新型コロナウイルスの流行で最初に大きなダメージを受けたのは、2020年4月7日に発令された緊急事態宣言だった。
「飲食店やライブハウスへの営業自粛要請が出ることになりました 。最初、僕は強硬派でしたから、『バカ言っちゃいけない。営業するよ』と思っていました。でも、世間からは『所詮、そういう反社会的な業界だよね』と言われてしまう。また、営業自粛要請に従ったら協力金が出ると聞きました」
「店舗が無理に営業しても、今まで仲が良かった取引相手さんとキャンセル料などで衝突する可能性がある。それなら営業しないで様子を見て、協力金をいただいてどうにか生き延びる。そうやって体勢を立て直すことが業界にとって得策じゃないかと思い直したのです」
しかし、インターネットで検索しても、どうすれば協力金をもらえるのか、基準や手続きがわからない。アポなしで都庁に突撃して聞いてみたが、たらい回しに遭い、必要な情報は手に入らなかった。
「ただ、その時に親身になって話を聞いてくれた課長さんがいました。そして、都庁側も『ライブハウス業界に伝える窓口がなくて困っていた』と言うのです。そこで僕は『いったん僕を窓口にしてください』と、行政と音楽業界をつなぐ役割を買って出ました」
それと同時に、都議会議員にもアプローチを始めようとしたが、都議に知り合いは一人もいない。近所を歩いていてたまたま目に入ったポスターの議員、ネットで検索して感染対策に熱心に取り組んでいそうな議員に連絡を取った。
その中でしっかりと話を聞いて対応してくれたのが、都民ファーストの尾島紘平氏だった。
「電話した翌日には話を聞きに来てくれました。彼もなんと昔、ビジュアルバンドなどのバンドマンだったんです。ご理解いただけることが多く、数日後に都庁の産業労働局と総務局の担当者の面談を設定してくれました。僕は当時、まだ何をしていいのかわからなかったので、ただただ音楽業界の憤りをぶつけました」
それが行政との関わりの一歩目だった。
個人経営の小さな店の手伝いも
一方、都庁は都庁で、ライブハウス業界にどのように働きかけたらいいのか悩んでいた。
「当時、ライブハウスと接待を伴う飲食店、フィットネスクラブが、感染拡大の『危険3業種』と言われていました。内閣官房がコロナの感染対策のガイドラインを作ろうとしていた時です。僕は都庁に『ライブハウスを安全に営業するためのガイドラインを作りますよ』と持ちかけたのです」
都庁側も「お願いします」と受け止めてくれたが、なんの後ろ盾もなく、勝手に自分がガイドラインを作っても同業者への説得力に欠ける。
「だから僕は、都庁に対して、僕に対してガイドライン作成の正式な要請をご検討くださいと伝えました。すると後日、都知事の名前で正式な要請書が出されたのです」
小池百合子都知事から受けたガイドライン作成の依頼状
その頃、阿部さんは既に「日本音楽会場協会」を作っていた。実はこの業界には既に「日本ライブハウス協会」「ライブハウスコミッション」という二つの団体があった。でもコロナ禍でみんな困っているのに、どちらも同業者に情報を届けようとしていないように見えた。
「彼らは世代も上の人たちなので、僕には『先輩たちは何をしているんだ!』という苛立ちがありました。だから自分で団体を作ったのです」
「ただ、ライブをやる会場は、皆さんが思い浮かべるライブハウスだけじゃなくて、もっと小規模なものの方が多い。クラシックサロン、20〜30人しか入らないジャズ、シャンソンの生演奏をやる店。しかも、そういうところほど声を上げられないのです」
特に阿部さんより上の世代の個人経営者が営むそんな小規模な店は、SNSもやっておらず発信力がないことも多い。情報収集力も弱い。オンラインでの申請も苦手だ。
「僕が経営するのはスタンディングが中心の一般的なライブハウスですが、そうではない、特に小規模な店のオーナーたちの声も拾わなかったら意味がないと思いました。だからあえて僕の団体はライブハウスという言葉を使わず、音楽会場協会という名前にしたのです」
政府のガイドライン作りに参画
東京都の後押しも得て、ガイドラインを作ることになったが、一人で勝手に作ろうとは思わなかった。
「専門家ですら迷って考えている状況なのに、僕一人の拙い知識や情報で作ってはいけない。SNSで『みんなで作りませんか?』と呼びかけました」
ガイドライン案には、意見を募った一般の人の声をどんどん取り入れていった。
その時考えたのは、新型コロナの状況はもっとひどくなるかもしれないし、逆にすぐに収束するかもしれないということだ。仮にコロナが終息したとしても、他の感染症が出てくる可能性はある。
「それならば、感染状況のレベルに応じたガイドラインにすべきだと思いました。平時には警戒はゼロでいい。でも少し感染者が増えてきたなら警戒度を上げなければいけない。当時、都民ファーストの会が都民一般に対してレベルを4段階に分けたガイドラインを議会に提案していました。これはいいなと思って、僕はこれを参考に音楽業界向けに5段階に分けたものを作りました」
2週間ほどで案を作り、都庁に示した。ところが都庁から、「政府でガイドラインを作るらしい。東京都は政府の内容を逸脱することはできない」と言われてしまった。
「僕は『それなら政府のガイドライン作りにも参画します』と宣言しました。政府のガイドライン作りには、日本ライブハウス協会、ライブハウスコミッションが参画する予定だと聞いたので、2団体に『小さな店も入れないとまずいですよ』と申し入れました。そうすると、日本ライブハウス協会の幹部が『阿部さんと一緒にやりたい』と引き込んでくれました」
後日談だが、阿部さんを政府のガイドライン作りに引き込んでくれたこの幹部は、ガイドラインが完成した2年後に、30年続いた下北沢のライブハウスを閉めた。業界の存続のためにガイドライン作りを真剣に考えてくれたのに、自身は持ち堪えることができなかった。心労でバケツいっぱいの血を吐くほど体調を崩しながら身を引いた。
「ガイドライン作りの陰には、業界の方々のこうした裏話があるのです。それほどコロナ禍は我々の業界にとって大変な出来事でした」
現場の意見を盛り込んだ政府のガイドライン作り
都庁のガイドラインを作成後、そんな経緯で政府のガイドライン作成にも加わることになり、2020年6月、政府がライブハウス業界の3団体を集めて開いた二日間の作成会議にも出席した。
叩き台の案では当初、「出演者もマスクを」「客と客の間は2メートル離す」「最前列の客はフェイスガードとマスクの併用」 など非現実的な内容を提案された。
「そんなことをやって営業できるはずがない。ステージ上がどれぐらい暑くなるかも知らない人が考えたことです」
現場からの意見を色々と伝えて、安全も確保しながら、ライブ活動を損なわないギリギリのバランスを求めて交渉した。
こうして、2020年6月13日、「ライブハウス・ライブホールにおける新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」が公表された。
その後も世界中の知見を参考に、内容をどんどんアップデートしていった。
その度に内閣官房や厚労省と補助金や助成金の交渉もした。ライブハウス業界は行政や政治とのつながりをこれまでほとんど持ってこなかったので、交渉力は皆無に近かった。しかし、ライブハウスの苦境に対してて協力を申し出てくれた自民党の参議院議員、片山さつき氏が間をつないでくれた。
阿部さんは、そうやって勝ち取ってきた補助金や助成金をどのようにしたら受け取れるのか、YouTubeなどでわかりやすく発信もした。
元アイドルの区議や研究者と一緒に換気の実証実験も
2020年10月には、元アイドルグループ「仮面女子」に所属し、エンターテインメント業界の感染対策に関心の高い渋谷区議、橋本ゆきさんを紹介された。換気対策研究の第一人者、電気通信大学の石垣陽特任准教授らと共に、ライブハウスで換気の実証実験を行うことになった。
「2021年から僕の経営するライブハウスを使って、換気によってどれほど二酸化炭素濃度が下がるか3回実証実験をしたりもしました。仮面女子の大きなライブ会場でも実証実験をしました」
ライブハウスで換気の実証実験をした(阿部健太郎さん提供)。
「いかに小さいハコで換気ができるかが勝負でした。我々は防音もしなくてはいけないのですが、防音は空気を漏らしてはいけないので換気が悪いのは当たり前なんです。地下にあるライブハウスも多いですし」
いくつかのライブハウスには石垣准教授が作ったCO2濃度センサーをつけて、研究室にリアルタイムで濃度を送った。その数値を元に、ライブハウスのオーナーに「何十分後に危険値に達します」と知らせ、早めの対策を取ることができるシステムも作った。
ビジュアル系バンド「えんそく」の協力を得て、叫んでもらっては、どれぐらいの範囲に飛沫が飛ぶかの実験も行った。
ビジュアル系バンドの協力で飛沫がどれほど飛ぶかの実験も行った(阿部健太郎さん提供)
「こうした実証実験で科学的根拠をもって、行政に対策の重要性を訴えることができました。研究者にしても、今すぐに社会に貢献できるのは大きな喜びだったようです」
行政、政治家、研究者らさまざまなプレイヤーと組んで、音楽を楽しむ場を守るために一つの成果を出していく。阿部さんは、音楽のセッションのように感染対策にも没頭した。
【阿部健太郎(あべ・けんたろう)】作曲家、ドラマー、キーボーディスト、ライブハウス経営者
日本大学芸術学部音楽学科打楽器科でオーケストラなどのクラシック音楽を学ぶ。在学中から作曲家としてラジオニッポン放送・任天堂ゲーム・在京キー局番組テーマ曲などを制作。卒業後は、音楽関連のエンジニア業をしながら、ミュージシャンとしての音楽活動を続ける。日本最古のライブハウス「新宿HeadPower」オーナーとして海外のライブハウスとのネットワーク作りに取り組んだが、コロナ禍で一時中断した。
コロナ禍では一般社団法人「日本音楽会場協会」を発足。内閣官房、厚生労働省と共にライブハウスガイドラインの策定に参画。政府や地方行政との交渉とともに、国内同業者のネットワーク作りを行っている。
(続く)
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