がん検診の専門家が、検診でステージ4の肺がんが見つかって考えたこと
がん検診の専門家が、検診を受けて見つかったのは、既に両肺、脳、背骨にも転移しているステージ4の肺がんだった——。
厚生労働省の「がん検診のあり方に関する検討会」の構成員を13年、がん対策推進協議会の委員を7年務め、がん検診のスペシャリストとして国のがん検診に影響を与え続けてきた福井県健康管理協会、がん検診事業部長の松田一夫さん(69)。
毎年、国が推奨する検診を受けてきたにもかかわらず、極めて進行した状態で見つかり、がんの手強さを感じているという。
「自身ががん患者になってわかったことを発信していきたい」と語る松田さんに、抗がん剤治療の合間にインタビューさせてもらった。

ステージ4のがんが見つかった松田一夫さん
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「まさか私が」鎖骨上のリンパ節が腫れ、腰の痛みも
——がんが判明したのは検診がきっかけですか?それともその前から自覚症状があったのでしょうか?
私のがんがいつできたのかはわかりませんが、おかしいなと思うことは診断前から色々あったんです。
時々、ジョギングをしていたのですが、去年の夏頃から5キロ走るにも途中で止まるようになりました。
——5キロでも十分長い距離ですが。
続けて走れなくなったんですよね。
次におかしいなと思ったのは今年の正月の5日頃。左の鎖骨から少し上の首のリンパ節が腫れているのに気づいたんです。
鎖骨上窩(鎖骨の上のくぼみ)リンパ節はウィルヒョーリンパ節と呼ばれ、よく内臓のがんが転移するリンパ節です。でも、鎖骨とは少し距離があるし、「まさか、違うよな」と思ってしまった。前月の12月に受けた新型コロナワクチンのせいかなと考えたんです。

松田さんがつけていた健康観察記録。1月5日に「左頸部のリンパ節腫張に気づく(示指頭大)。可動性良好」と書いている
それでも、毎日触ってみて大きさを見ていました。自分で触った感じだとあまり大きさは変わっていないなと思っていたんです。
——がんであることは否定しながらも、気にしてはいたんですね。
職業柄、気づいてしまったから。毎日、勤務日以外の日でも体温を記録しているのですが、リンパ節の腫れに気づいて変化をメモしているんです。今から思うとおかしかったんですが、私としては「まさか自分が」と思っているから、これががんの転移とは夢にも思っていなかった。
この時治療を始めていたらその後の経過がどうだったかはわかりませんが、体調の変化にだけ気づいている状況でした。
次に気づいたのは2月中旬のことでした。土曜日に雪かきをして、翌週の金曜日にすごく腰が痛くなって整形外科にかかりました。椎体(※)の圧迫骨折だと言われました。後から考えると、それは結局、がんの転移だったのです。
※背骨の一部である椎骨の主要部分。
コルセットを作り、X線写真やMRIを撮りました。腰だけでなく、胸も一部写るんですよ。その時、私には肺に点状の変な影が見えたのです。
職場の検診で見つかった時はステージ4
その後、職場の検診が3月18日にあったので、朝一番に撮られた肺のX線写真を見ました。すると、左肺の鎖骨に重なった部分にがんがあって、両肺に白い粒状の影が数多く見えました。実はこれが肺転移でした。
左が今年の写真、右が昨年の写真ですが、今年の写真には、昨年は見えなかった白い影が鎖骨に重なって見えたのです。

松田さんの肺のX線写真。左が今年ので、昨年の写真(右)にはない、左鎖骨に重なった肺がんと、両肺にも多くの小さい粒状の影が見える。
その日の午後に、大学の後輩に予約を入れてもらって福井県立病院を受診しました。すぐに肺のCTを撮って、翌日には首のリンパ節を摘出し、組織検査をしてもらいました。それを遺伝子検査にも回したのです。同じ日にMRIも撮りました。
——精密検査を一気に行ったのですね。
短時間で一気にやってくれました。結局、原発は左の肺がんで、小さな転移が両肺にいっぱいあり、脳や椎体にも転移があることがわかりました。検査が終わるたびに、淡々と画像を見せながら結果を伝えてくれました。
——先生はそれを聞いてどう思われたのですか?
それが、全く何も思わなかったんです。
——ショックではなかったのでしょうか?
不思議なことに全くショックもありませんでした。
——なぜでしょうね?
当日の朝に自分自身で胸の写真を見て、肺がんだとわかったからでしょうね。
——診断までに疑惑がどんどん深まっていたわけですね。
淡々と検査が進められて、もちろん何も隠すことなく結果の説明を後輩から受けました。医師同士だからか、先輩後輩の関係だからかもしれませんが、すぐに説明してくれて、不思議なことに全くショックはなかったです。車を自分で運転して病院に行き、一人で結果を聞きましたしね。MRIで脳転移が見つかり、以後の車の運転は禁止されました。
4月になり、入院前に家族で一緒に最終的な結果を聞いたんです。私には4人の娘がいて、長女以外はみんな医師です。次女だけは来られなかったのですが、妻と娘3人一緒に肺がんの多発転移で、ステージ4Bだということや、遺伝子検査の結果も聞きました。
遺伝子検査は通常だと1ヶ月ぐらいかかるのを、2週間ぐらいで結果を出してくれて、がん細胞の増殖に関わるEGFR遺伝子変異が陽性であることもわかりました。
分子標的薬の効果は良好
——治療はどのように進めることになったのですか?
幸いなことにEGFR遺伝子変異が陽性だったので、主治医から治療法の選択肢を聞きました。「肺癌治療ガイドライン」では、第3世代の分子標的薬「タグリッソ」を飲むことが強く推奨されており、無増悪生存期間(※)は14.4か月です。
※治癒するのではなく、病状が悪化しないまま生きられる期間。
一方、それよりも古い第1世代の分子標的薬である「タルセバ」という飲み薬と、血管新生阻害剤である「サイラムザ」点滴の併用療法の推奨は弱いものの、無増悪生存期間が19.4ヶ月です。治療効果がなくなった時点で再び組織の検査をして遺伝子検査をし、その結果次第で第3世代の分子標的薬に変えれば無増悪生存期間は10か月ということでした。
こうした説明を受け、主治医の意見、私の考えと家族の希望が一致して、もっとも長期生存の可能性が高い治療法として、今回の併用療法を選択しました。
4月3日に入院し、翌日の4日から治療を始めました。幸い治療はよく効いて、原発がんは明らかに縮小し、点々と見えていた小さな肺の転移は消えました。脳内転移も小さいのは消え、大きいものも明らかに縮小しました。
腫瘍マーカーも見ているのですが、まだ結構高いです。手術してがんを全て取り除いたという治療とは訳が違うので、すぐに正常値になることはないでしょう。それでも、着実に低下しています。
——副作用はどうですか?
少しのむくみ、皮膚炎、急いで階段を昇ると軽い息切れがある程度で、副作用はほとんどありません。抗がん剤の進歩を実感しました。
あとは今もちょっと心臓が肥大しているんです。左肺には胸水が溜まっているので、利尿剤を使っています。今は以前よりも、息切れは格段に軽くなっています。
4月19日には退院し、21日には職場に復帰しました。
——生活に影響はありましたか?
脳の転移はかなり小さくなっているのですが、車の運転は主治医に止められています。けいれん発作が起きて、事故を起こすことを気にしているのですよね。
人混みに出たり、公共交通機関を利用したりするのはどうかと聞いたら、がんだけではなく正常細胞も壊すような殺細胞性の抗がん剤だと抵抗力が下がってまずいわけですが、分子標的薬を使っているからそれも問題ないと言われています。
——脳の転移はいわゆる知的活動に影響がある場所ではないのでしょうか?
普通に仕事をして、会話をして、講演もしているので、まあ大丈夫ではないかとは思っています。申し訳ないことに、毎日車で妻に送り迎えしてもらっています。
——それは奥様に感謝ですね。
そうなんですよ。
——他に生活で変えたことはありますか?
全然ないですね。これまで同様、週末にはワインを飲んでいます。主治医から、飲酒も許可されています。
今、婦人科医の三女が私の職場で働き始めました。私が今後どうなるかわからないし、子育て中で時短勤務をしたいというので、引き摺り込みました(笑)。
——では講演活動などもいつも通りにこなしているのですか?
いつどうなるかわからないので、先の予約は入れないようにしています。6月に旭川で日本消化器がん検診学会総会があって、私は二つのセッションで司会をする予定だったのですが、病気が見つかった時点で会長に無理を言って、現地参加でなく、自宅からウェブによる司会にさせていただきました。
それとともに、ある程度先の講演の依頼はできるだけ受けないようにしています。今のような体調なら、今年の秋ぐらいまで講演は大丈夫かなと思っています。
つい最近、10月締め切りの原稿と、10月の講演の依頼はオンラインでさせていただくことになりました。
それから、10月に福井で開催される「リレー・フォー・ライフ(※)」には参加するつもりです。これまでは医師としてがん教育を担当していたのですが、今年は患者としても話します。
※がん患者や家族が共に歩き、語らうことで生きる希望を抱き、先に逝った仲間を追悼して勇気を讃え合うチャリティーイベント。がんへの理解を広げ、がん制圧を目指す。2024年現在、世界36か国、約1800か所で開催され、年間寄付額は約146億円にのぼる。日本でも2024年度は48か所で、のべ4万7643人が参加した。
一喜一憂はするけれど
——がん検診の専門家ががんになって、ショックはあまりなかったということですが、今後の治療について思うところはありますか?
一喜一憂するところはありますよね。画像上ではすごく良くなっていますが、心臓がまだ大きいし、胸水もある。一方で、急いで階段を昇ると息切れがあったのが最近はあまりなくなっているし、特に不自由もしていません。
でも、原発のがんが完全に消えていないから、もっと小さくなったらいいなと思いますし、転移が完全に消えたらいいなとも思っています。
今の分子標的薬は、効果の指標は無増悪生存期間なんです。
途中でやはり効かなくなったりして、タルセバだけでは生存期間はだいたい3年と出ています。ほとんど病状が変わらない無増悪生存期間は1年と言われていて、点滴薬との併用だとそれが19か月ぐらいです。
最初は、そういう平均的な数字を出されて、一体どれぐらい残された期間があるのかなと思ったこともありました。でも、人によっても薬の効果は違うでしょうし、今使っている薬が効かなくなったら、また次の手を考えるわけです。
10月終わりに神戸である学会や、来年6月、横浜で開かれる消化器の学会には行きたいと思っています。そんな少し先の予定が見通せるような状況になってきたかなとは思っています。
ただ、個人の都合で取り止められる学会参加などはいいのですが、講演などみんなの都合に関わる予定はキャンセルすると非常にまずいので受けないようにしています。
それでも10月の予定は入れています。10月まではなんともないだろうという見通しがあるということですね。
(続く)
【松田一夫(まつだ・かずお)】福井県健康管理協会 がん検診事業部長
1981年、自治医科大学医学部卒業。福井県立病院での研修、県内の病院に勤務。1990年からの市立敦賀病院外科勤務を経て、1994年より福井県民健康センターに赴任。2000年4月より同センター所長(2022年3月退任)。2011年4月からのがん検診事業部長は定年退職後の嘱託となった今も継続している。
長年、がん検診の精度管理や受診率向上について研究を続け、厚労省のがん対策推進協議会委員、がん検診のあり方に関する検討会構成員を務めた。
医療記者の岩永直子が吟味・取材した情報を深掘りしてお届けします。サポートメンバーのご支援のおかげで多くの記事を無料で公開できています。品質や頻度を保つため、サポートいただける方はぜひ下記ボタンから月額のサポートメンバーをご検討ください。
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