ALSになっても、好きなところで好きな人と暮らしたい 彼女が24時間の公的介護を申請した理由

32歳でALSを発症した青森県八戸市在住の元高校教師、小笠原元子さん。介護の負担が重くなったパートナーとの生活に限界を感じ、24時間の公的介護を取得しました。生活はどう変わったのでしょうか?
岩永直子 2025.10.30
誰でも

難病、ALS(筋萎縮性側索硬化症)になっても、好きなところで好きな人と暮らしたい。

青森県八戸市在住の元高校教師、小笠原元子さん(41)は、そんな願いを24時間の公的介護を入れることで実現した。

その過程を追った短編映画、『好きなところで好きな人と暮らしたい〜24時間介護保障を求めて』(ALS協会製作、宍戸大裕監督)について、11月15日に開かれる「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット」主催のシンポジウムで語る予定だ。

小笠原さんに、お話を伺った。

小笠原元子さん。インタビューには視線入力で打ち出した文字を音声で読み上げる方式で答えていただいた。

小笠原元子さん。インタビューには視線入力で打ち出した文字を音声で読み上げる方式で答えていただいた。

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32歳で発症 指が動かしにくくなり気づく

発症は2016年、高校の家庭科教師を務めていた32歳の時だった。熱中していたラテン系のダンスフィットネス、ズンバの講習会の時に、指が動かしにくいことに気づく。まもなく箸がうまく使えなくなり、ものをよく落とすようになった。

ズンバに熱中していた頃(左)。体を動かすことが大好きだった(小笠原さん提供)

ズンバに熱中していた頃(左)。体を動かすことが大好きだった(小笠原さん提供)

脳神経内科のクリニックに行き、検査を重ね、18年にALSと正式に診断された。血の気が引き、「なんで私なのか?」と絶望した。

「詰んだ、と思いました。教師としてベテランになっていて任されることも増えてきましたし、前の年から任された授業の教材研究が非常に面白く、各回の授業の完成度を上げたいと意気込んでいました。ダンスフィットネスももっと上達したかったですし、彼と共通の趣味だった格闘技エクササイズのプログラムを受けに、旅行がてら県外にも行きたかった。結婚して、父に孫の顔でも見せられたら良いなあとも思っていました」

そんなやりたいこと、叶えたいことがたくさんあった。漠然と思い描いていた未来が消えてしまったように感じた。体が動かなくなっていき、12年間続けてきた教師を辞めた。悔しかった。

だが、同時期に父が脳梗塞で倒れ、人が変わったようになった姿を見たことを機に、気持ちを切り替える。

「脳梗塞で倒れた父は奇跡的に歩行器を使って歩けるまでに回復したのですが、認知機能の低下が著しく、記憶や思考があいまいで、会話が成り立たないこともありました。以前は毎日ウォーキングをしてゴルフを楽しんで、冗談交じりに話すのが好きだったのに。母も脳梗塞であっという間に亡くなったことも思い出して、突然の病で急に出来ることや日常が奪われるのを実感しました。じゃあ私はどうかと考えたら、急激に進行はしないし、頭もクリアです。くよくよしてないでやれることをやらなきゃ!と思えるようになりました」

言葉が話せなくなった時のために、視線で文字を入力する装置の訓練をし、自身の声を録音して、自身の声で読み上げられるようにした。

一人きりの時間、窒息の危険も

公的な介護の支給時間は当初、月143時間。日中、細切れにヘルパーが入り、訪問看護師も日中に2回来ていた。夜間の介助は同居するパートナーの小森祐輝さんが全面的に担っていた。日中、フルタイムで働いて、夜間は介助の必要がある度に起きる。体力が限界を迎えた。

「夜間は寝る前の歯磨き、トイレ、服薬、そのあとにベッドに横になり体勢を整えて寝るまで、短くても30分はかかりますし、その後、寝返りの他に、暑い、寒い、体が痛いとか、トイレとなれば都度呼ぶ必要がありました。彼は日中普通に働いているので、頻繁に呼んで起こすわけにいきません。夕飯の後、仮眠をとり、深夜に一度起きて寝る前の準備をして、私は寝返りをしなくてもギリギリ辛くないリクライニングのソファに横になって過ごす、彼はベッドへという方法で1年くらいは乗り切っていました」

日中、小森さんもヘルパーもいなくて一人きりでいる時も、よく困ることがあった。

「トイレと同じ姿勢でいることによって、身体が痛みます。あとは暇だなあと思っても何もできませんでした」

身の危険を感じたこともある。

「ベッドで自力で体勢を整えようとして、うつ伏せになってしまったこともありました。顔はギリギリ横を向けたので窒息は回避できましたが、苦しかったです。今、思い出しても冷や汗が出ます」

短編映画の前編で、パートナーの小森さんが「自分では介助が行き届かない」と語るのを聞いて、小笠原さんが涙を流す場面がある。それは、どんな思いからだったのだろうか?

「彼もわからないなりに一生懸命私の要望に応えようとしてくれているのに、きつく言ったりしてしまって申し訳ないなという気持ちと、なんでこんな苦労をしないといけないんだろうと、病気になったことに対する悔しさです」

介護の負担が増したパートナーとの仲も険悪に 24時間介護を申請

体が動かなくなっていくにつれ、介助に求めることはますます細かくなっていった。

「例えば車椅子の移乗やベッドでの寝返りなどを介助してもらう時に、自分で少し動けたときは多少力任せな介助をされても、私の方が自分で体勢を整えたり力を入れて踏ん張ってバランスをとったり、介助者に合わせたりすることができていました。でも、それができなくなると、私が動きやすいやり方をすごく細かく指示するようになりました。手の位置やメガネの位置なんて数センチ、数ミリ単位の調整です。一般的な事業所のヘルパーさんや看護師さんは何人も担当するわけですから、私の細かい指示に合わせるのは難しいとおもいます。でもそうしないと体が辛い。面倒くさい人だなと思われても細かく言わないといけなくて、それもまた辛いですね」

小森さんとのケンカも増えた。

「売り言葉に買い言葉で、『もう出ていく!』と彼が言って、こっちも『出ていけ!』と言う。でも彼は絶対に出て行かないんですけどね」

映画の中で、小笠原さんはこんな言葉もつぶやく。

「今喋れてもこのくらいやってほしいことが伝わらないのに、さらに進んだらもっとなわけで。それを考えると死にたくなります」

2022年、限界を迎えていた介助の状況に気づいてくれたのが、難病患者の在宅療養を支援する「ALS/MNDサポートセンター さくら会」副理事長の川口有美子さんだった。川口さん自身、ALSになった実母を12年間在宅で介護した経験がある。

Twitterで、彼と介助についてケンカしたことを書いた小笠原さんに、川口さんがコメントを入れてきた。自身で介護事業所を運営する形(自薦方式)で、1日24 時間、公的介護を取得しないか、と伝えてきたのだ。

「最初は、自薦って青森でもできるのかな、と思いました」

しかし、このままでは自分もパートナーも潰れてしまう。自薦方式で難病患者が自宅で暮らすことを支援する「全国ホームヘルパー広域自薦登録協会」を紹介してもらい、23年8月、自宅のある青森県八戸市の市役所に24時間介護を申請した。八戸市で初めての、24時間介護の申請だった。

「役所との交渉自体は大変ではなかったのですが、前例がなかったので役所の方も他の自治体に聞いたりする必要があり、時間がかかったのは精神的に落ち着きませんでした。相談員さんを通じて進捗をこまめに聞いていました」

半年後の2024年2月、24時間介護が認められた。

好きな時に好きなことができる生活に

プロのヘルパーに全面的に介助を任せられるようになると、生活は大きく変わった。

「決まった時間じゃなくても飲み食いできるし、トイレに行けるし、思いついたら散歩にも出られます。週末の買い物も彼の負担は減ったし、ヘルパーさんが車椅子を押してくれるので、彼と並んで歩いたり、向き合って話すこともできます。当たり前で些細なんですが、そういうことが嬉しいですね」

とりわけ、好きな時にトイレに行けるようになったのは大きかった。

「以前は毎日我慢していました。間に合わなくて悔しいやら悲しいやらで泣いたこともありました」

家族の一員である飼い犬との時間も大切にできるようになった。

大好きなムム(黒色)と新しく迎え入れた妹分メメ(白色)と。ムム&メメをデザインしたTシャツも作って楽しんでいる(小笠原さん提供)

大好きなムム(黒色)と新しく迎え入れた妹分メメ(白色)と。ムム&メメをデザインしたTシャツも作って楽しんでいる(小笠原さん提供)

「ムムとも決まった時間しか遊べなかったのですが、今は様子を見ておやつをあげたり、天気が良ければお散歩にも行けたりするようになりました。昨年新たにムムの妹分のメメちゃんを迎え、にぎやかになりました。2匹から癒しと生きる活力をもらっています」

パートナーの小森さんも、自分の時間を確保することができるようになった。

24時間介護が実現して、パートナーの小森さんも趣味のジムに再び通えるようになった(小笠原さん提供)

24時間介護が実現して、パートナーの小森さんも趣味のジムに再び通えるようになった(小笠原さん提供)

「彼はコロナと介護で辞めていたジムに再び通えるようになりました。週末忙しそうにレッスンに出かけていくのを見て、生き生きしてるなと思います。あとは連続して眠れるようになったので、体調も安定しているように見えます」

「二人でいるとあいかわらず私がうるさく言って喧嘩になることもありますが、お互い心の余裕はあるんじゃないかなと思っています」

介護の穴が空き、窃盗事件も でもやりたいことが増えた

もちろん、これで全てが解決したわけではない。

当初は、家の中に常に他人がいることも落ち着かなかった。

「今ではだいぶ慣れましたが、元々一人が好きなので、はじめのうちは人がいることに慣れずそわそわとしていましたね。プライバシーが守られないというほどではありませんが、ヘルパーさんたちも私に異変がないか見守るのが仕事なので、それなりに視線もありますし」

今は基本的に4人のヘルパーが午前10時から午後9時、午後9時から午前10時の2交代制で入っているが、ヘルパーさんの病気や都合で穴が空くこともある。小森さんが休みを取って、穴を埋めることもちょくちょくある。ヘルパーが辞めてしまうと補充するのは大変だ。

「求人を出しても、必要な時に応募が来るとは限りません。退職者が出ても、時期によっては全く応募がないため、そういうときは彼にお願いせざるを得ないです」

信じられないような問題が起きたことがある。

「我が家ではとんでもない事件も起きました。ヘルパーによる窃盗です。警察に届けてそのヘルパーも自供しましたが、自分の人を見る目のなさにはがっかりしましたし、ショックのあまり精神的に落ち込んでしまいました」

それでも、24時間介護が入ったおかげで、色々とやりたいことが増えた。

「まずは旅行です。泊りがけで県外に行けていないので行きたいし、大阪でおいしいたこ焼きも食べたい。講演活動もしていきたいです。一番大きな夢は地域の難病患者や障害者やその家族を支援するような活動です。気軽に相談する場や当事者のネットワークがつくれたらいいなと思います。まずは地域に私のような難病患者がいることを知ってもらう必要があるので、どんどん外へ出てアピールしなきゃと思っています」

自分らしく生きることを模索する姿を見てほしい

今回の映画に出演したのは、病気になっても自分らしく生きることを諦めない自分の姿をたくさんの人に伝えたいからだ。

「ALSになったのは残念ですが、努力しても祈っても回復することはないんだし、どうせなら難病でも自分らしく生きることを模索している姿を多くの人に見てもらえれば、病気になった甲斐もある。同じように地方で若くして病気や障害を抱えている方や、相談員さんやケアマネさんに見てもらいたいです」

「自分は教師だったこともあり、子供たちにも見てもらいたい。こんな生き方もありますよと。大変なこともあるけど、自分の可能性が変わることもあるよと伝えたいです」

高校教師時代の卒業式で。子供たちに何かを伝えたいという気持ちは今も変わらずに持ち続けている。(小笠原さん提供)

高校教師時代の卒業式で。子供たちに何かを伝えたいという気持ちは今も変わらずに持ち続けている。(小笠原さん提供)

そして今、必要な介助が受けられていない人にはこう伝えたい。

「まずは自分がどうなりたいか、明確な目標を持ってください。次に何をする必要があるのか自分でも調べてみてください。そしてわからないことや自分でできないことはプロにすぐ相談してください。こうしたいという思いがあれば助けてくれる人はたくさんいますよ。自分の人生、切り拓きましょう」

介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット(介護保障ネット)は、必要な介護時間を確保するために、専門的な知識やノウハウを持つ弁護士が支援するネットワークだ。小笠原さんが11月15日に出演する介護保障ネットのシンポジウムでは、「自分から動くことの大切さや、今ある制度を使ってみてほしいということを話したい」と話す。

介護保障ネットのシンポジウムチラシ

介護保障ネットのシンポジウムチラシ

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