「心の叫びを出さずにはいられなかった」 夫の事故後、SNSに投稿し続けた写真と言葉
島根県在住のアマチュア写真家、小池紀子さんのフォトエッセイ集『ふうふ写真散歩』(飛鳥新社)。
出版のきっかけは、夫が不慮の事故に遭い、紀子さんが吐き出すようにSNSに投稿した写真と言葉の数々だった。

夫婦で写真散歩した時に撮った日御碕の海(小池紀子さん提供)
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不慮の事故で意識不明に 元気な頃の夫の写真を探した
激しい雨の朝、外出した夫を見送って数時間後、紀子さんの携帯に見知らぬ電話番号からの着信があった。夫が事故に遭ったという知らせ。詳細もわからぬまま、気がつくと病院に向かって走り出していた。
気が動転していたのか、最初に着いた県立病院に夫はいなかった。近くの大学病院に搬送されたと確認し、連絡した母と共に駆けつけると、夫は集中治療室にいた。全身を強くうち、意識不明の重体。命が助かるかどうかもわからない状態だった。
不安で、心配で、ただ祈ることしかできなかった。3時間の手術の後、なんとか一命は取り留めた。状態が落ち着いたのを確認して、いったん帰宅し、紀子さんがまず行ったのは、夫の写真を探すことだった。

紀子さんが撮った一番好きな徹さんの写真。「主人の優しさや人となりが出ていて気に入っています」と言う(小池紀子さん提供)
「元気な頃の夫に会いたかったからです。普段からお互いの写真を撮っていたので、夫が写った写真がたくさん見つかりました。泣きながら写真を見ていたら、その中に思わず大笑いしてしまう面白い写真がありました」

夫が事故に遭った日、泣きながら写真を見ていたらこの写真に心が緩んだ(小池紀子さん提供)
公園に置かれた恐竜の像の真似をしているおどけた徹さんの写真。泣きながら笑い、事故後、初めて気持ちが緩んだ。
「私はこの写真に心救われました。かっこいい写真だけでなく、笑ってしまうような写真も残しておいて良かったと心底思いました」
桜ばかりを撮って
次の日も、その次の日も夫の意識は戻らなかった。事故の日、ずっと側に付き添ってくれていた母は、「とにかく平常心でいなさい」と言ってくれた。
「どうしようもできないことを考えていてもしょうがないし、私が落ち込んでいても主人が心配するだけです。とにかく日課である毎朝のラジオ体操と、三食きちんと作って食べるということを心がけていました」
写真も、事故の翌日から一人で撮った。夫婦での写真散歩で撮っていたような街のスナップは撮ることができなかった。思い出があり過ぎて、夫の不在が胸に迫るからだ。
その時はただ、街中に咲いている桜ばかり撮った。
「この時は、とにかく桜しか撮っていません。自分がこういう立場になると、美しいもの、生命力のあるものを撮りたくて、それは桜だったんです。毎年桜なんて撮ったことはなかったので、自分でも驚きました。後で考えると、その生命力のようなものを、主人に送りたかったのかもしれません」
その時撮って、特に気に入った桜の写真は夫の病室にも飾った。

事故直後に撮り、病室に飾っていた桜の写真(小池紀子さん)
「だから桜のシーズンが終わった時は悲しかったです。これから何を撮ればいいのかと思って。桜が終わってからはまだ別の花を撮っていました。花写真家じゃないかというぐらい。それまで花なんてこんなに撮ったことはないのに、突如として花ばかり撮っていました」
吐き出したかった心の叫び
平静でいようと努力はしたが、夫は一向に目を覚まさなかった。
私は大学病院に入院していた半年間、毎日会いに行って、ベッドで目を閉じたままの夫に、30分の面会時間中ずっと声をかけ続けた。必ず笑っておどけてみせた。私にできることは、それくらいしかなかったから。
その甲斐あってか、変化も訪れた。夫が目を開けたのだ。自分を見ているのかどうかはわからなかったが、視線を動かして何かを伝えたそうにも見えた。あくびもするようになった。
それでも、いつまでも意識は戻らなかった。
時折、「もう二度と一緒に写真が撮れない」という思いが込み上げてくることがある。
「これはつらいを通り越して、心が痛いという感じです。あれだけカメラが大好きで、写真が大好きな主人が、もう二度とファインダーを覗いてシャッターを切れないんだなと思うと、それが一番つらいです」
そんな思いを、自分の中で留め置いておくことができなくなった。
「心の叫びのような形で、とにかく胸の外に出したかったんです。それがたまたまXという場でした。ある意味、リアルな私のことを知らない人たちばかりなので、それが逆に良かった。リアルな友達や親しい人には、そんな気持ちは言えなかったんです」
元々、紀子さんは、撮影した写真を投稿するアカウントを持っていた。それまでは、地名と共に投稿する程度だったが、昨年秋、初めてあの結婚写真を言葉と共に投稿した。

それが数多くの「いいね」を集め、出版の話にまでつながったのは、前編で書いた通りだ。
「いいね」に感じた応援の気持ち
その後も、楽しかった思い出、意識が戻らない夫への思いを添えながら、毎日、夫と自分の撮った写真と言葉を投稿し続けた。
「まず心の叫びがあるんです。そして、それに合わせた写真を投稿しています。逆に、写真を見ながらちょっとこみ上げてくるものがあって、その時の思い出や気持ちを文章にする時もあります。ただ、心の叫びのほうが先に来ることが多いですね」

一人で抱えていた思いを外に出すことで、気持ちに変化はあったのだろうか?
「外に出すことで何か変わるというよりも、出さずにいられなかったんです。私は普段、SNSのフォロワー数とか、いいねの数とか、全然気にしないタイプです。ただ、今回ばかりは、いいねがたくさんついた時に、皆さん主人を応援してくれてるんだなとか、私のことまで応援してくれているんだなと捉えました。皆さんの優しさにすごく感動して、心が少しずつ和らぐような感覚はありました」

「Xってコメントを書く人はあまりいなくて、いいねをする人が結構多いSNSだと思っているんですけれど、そのいいね1つ1つにそういう優しさを感じました。『応援してくれてありがとうございます』と皆さんに伝えたいなと思うぐらい、本当に心の支えになりましたね」
当初は徹さんの事故については、触れてはいなかった。
「あまり個人的なことをSNSには載せたくない気持ちがあったんです。誰かのためではなく、自分のために書いていたし、人にあまり心配をかけさせたくない性格でもありますし。友達にも最初は事故のことを知らせていないほどでした」
「でも、『過去形なんですね』というコメントが結構あったんです。この人何かあったのかなと皆さん、思われていたようですね。心配してくださるフォロワーさんもいらしたので、少しずつ状況を伝えていかないと申し訳ないと思いました。その頃から、いつも励ましてくださる皆様に対して自分たちの情報を公開していきました」

大切な瞬間が焼きついた写真が心の支え
紀子さんは今も時折、夫が撮り溜めてきた大量のフィルムネガを見返している。夫は常々、「写真には時間がない」と言っていた。

徹さんがフィルム現像して几帳面に整理したネガフィルムのファイル(撮影・岩永直子)
「1枚の写真で、『この時はこうだったな』と色々なことを思い出します。写真ってすごい。私たちにとって写真は本当に大事なもので、本当に主人の言う通り、写真に時間はないんですよね。その瞬間が焼き付いてるものなので、その時の色々な思い出が一瞬で蘇る。だから大切な瞬間が焼き付いている写真は、私の今後の人生においても、すごく心の支えになると思っています」
「フィルムネガは我が家の宝物です。夫の写真人生がそのままネガに焼き付いています。夫が現像したネガの中には、私が撮影した写真のネガもあります。元気な頃の夫の姿や私たちが暮らしていた街の風景などを見ていると、懐かしさで胸がいっぱいになります。夫婦で写真を撮り続けていて本当に良かった。写真は私を支えてくれる大切な存在です」
(続く)
医療記者の岩永直子が吟味・取材した情報を深掘りしてお届けします。サポートメンバーのご支援のおかげで多くの記事を無料で公開できています。品質や頻度を保つため、サポートいただける方はぜひ下記ボタンから月額のサポートメンバーをご検討ください。
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