「主人はいつもすぐそばにいる」再び写真散歩を始めた妻が今、感じていること

いつも一緒に写真散歩をしていた夫が事故で意識不明になって1年4ヶ月。小池紀子さんは二人のフォトエッセイ集を出したことを区切りに、写真散歩を再開しました。
岩永直子 2025.08.07
誰でも

20年間夫婦で撮り続けてきた写真とその歩みをエッセイに綴ったフォトエッセイ『ふうふ写真散歩』(飛鳥新社)

今回、著者の小池紀子さん(55)にインタビューするため出雲に行き、夫婦で写真散歩をした場所を案内してもらった。

夫の徹さん(64)が事故で意識不明となってから1年4ヶ月。再びカメラを持って写真散歩を始めた紀子さんを支えるものは何なのだろうか?

出雲日御碕灯台の近くで、愛用のライカM3と(撮影・岩永直子)

出雲日御碕灯台の近くで、愛用のライカM3と(撮影・岩永直子)

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写真で気づいた「ずっと見守られていたこと」

出雲に着いてまず向かったのは、雲州平田駅だ。松江と出雲を約1時間で結ぶ島根県のローカル私鉄「一畑電車」、通称「ばたでん」の駅。徹さんが事故に遭う前々日、最後に夫婦で写真散歩をした思い出の場所だ。

ばたでんの前で、入場券を手に一枚(撮影・岩永直子)

ばたでんの前で、入場券を手に一枚(撮影・岩永直子)

あの日と同じように入場券を買い、駅舎の中に入ると、紀子さんは「ああ懐かしいですね」とあたりを見渡した。

夫婦で写真散歩に行くと言っても、常にべったり二人で並んで歩くわけではない。目的地に着いたら、それぞれ自分が興味のあるものを思い思いに撮り、また自然に合流するのが二人の流儀だった。

日御碕灯台に続く道(撮影・岩永直子)

日御碕灯台に続く道(撮影・岩永直子)

「私は声掛け写真もたくさん撮りますが、主人は、正面から人を撮ることはあまりしませんでした。私たちそういう点では逆のスタイルなんですが、主人は、愛するものを撮っているんですよ。東京の街が好きで東京を撮り、結婚してからは妻の写真を撮って、出雲の風景も撮って。主人の写真の根底には、愛があるんです」

出雲市民にとって出雲大社は単なる神社ではなく、もっと身近な心の拠り所と話す紀子さん。二人でもよく写真散歩に来た。いまはお参りの旅に夫の回復を祈る

出雲市民にとって出雲大社は単なる神社ではなく、もっと身近な心の拠り所と話す紀子さん。二人でもよく写真散歩に来た。いまはお参りの旅に夫の回復を祈る

思い出の場所を歩きながら、紀子さんはこんなことを話してくれた。

「今回、写真集や写真展のための写真を過去のネガから選んでいて、私が気づかないうちに私を撮っていた写真がたくさんあったんですよ。それを見ていたら、ああ私は主人にずっと見守られて生きてきたんだなと気づいたんです」

5月に東京で開いた出版記念の写真展で、一番評判が良かったのが紀子さんが自室の窓から外の景色を眺めている後ろ姿を徹さんが撮った写真だった。

自室の窓から外を眺めている紀子さんを徹さんが後ろから撮った写真(小池紀子さん提供)

自室の窓から外を眺めている紀子さんを徹さんが後ろから撮った写真(小池紀子さん提供)

「知らないうちに撮られていたんですが、被写体が自分であることを除いてもいい写真だなと思います。ここには主人の愛情が写っています」

寝っ転がって文庫本を読んでいる紀子さん、将棋が好きで将棋盤に集中している紀子さん——。自分が気づかないうちに徹さんが撮ってくれた自分の写真は、どれも温かかった。

文庫本を読んでいる紀子さん(小池紀子さん提供)

文庫本を読んでいる紀子さん(小池紀子さん提供)

「何気ない日常の瞬間をたくさん撮っていて、私はこんなに主人に愛されていたんだな、主人はずっと愛情を持って見つめてくれていたんだなと思いました。私にとってそれは発見でしたね。写真を選んでいく作業は、主人の思いに気づいていく作業でもありました」

夢で見た「あの世の景色」を探して

出雲に移り住んでからは、夫婦でフォトブック「出雲通信」を作っては写真仲間の希望者に分けていた。それとは別に、夫婦でそれぞれ、自身のテーマで撮りためた写真をまとめたフォトブックも作っていた。

徹さんが最後に作ったのは、島根の風景を集めた「夢」というフォトブック。徹さんは常々、「夢で見た景色を探して、写真を撮っている」と話していた。

東京でも出雲でも、広い空と大地が広がる、幻想的な風景をよく撮っていた。

「主人は、『自分は夢の中であの世の景色を見ている気がする。それが素晴らしくて、そういう風景を探して、写真を撮っているんだ』と話していました。主人には主人の世界観があった。私はそんな主人の写真が好きでした」

今回出版した写真集の後半は、二人が出雲で撮った写真を掲載した。最後の写真は、徹さんが出雲の神戸川を撮った夕景だ。

写真集の最後に収めた徹さん撮影の神戸川の夕景(小池紀子さん提供)

写真集の最後に収めた徹さん撮影の神戸川の夕景(小池紀子さん提供)

此岸と彼岸の境目に立つような、そんな写真を撮る時は、徹さんは一人で出かけていた。夢の中の風景を追いかけているうちに、一人でふとそちら側の世界に迷い込んでしまった——。いつまでも意識が戻らない徹さんの姿はそんな想像もさせてしまう。

「そうですね。そうなった感じですね、本当に」と紀子さんは言う。

再開した街歩きのスナップ写真

一方、紀子さんは、出雲の自宅の近所を撮影する「徒歩圏」というシリーズをこれまで2冊、フォトブックとしてまとめてきた。

近所で撮りためた写真を集めたフォトブック『徒歩圏』

近所で撮りためた写真を集めたフォトブック『徒歩圏』

『徒歩圏』より(小池紀子さん提供)

『徒歩圏』より(小池紀子さん提供)

だが、夫が事故に遭ってから、街のスナップはぱったり撮るのをやめていた。

「事故があった時、『愛する人の写真をもっといっぱい撮っとけばよかった。なんで街のスナップなんて撮っていたんだろう。街の写真に何の意味があるのか』ぐらいに思ってしまったんです」

それが最近、あるカメラ機種の愛好家が松江市に集まった撮影会には、久しぶりに参加した。

「写真集を5月に出して、こういう思い出の詰まった街のスナップもいいものだと改めて思ったんですね。写真集を出したことが一つの心の区切りになったところもあるのかもしれません」

一人になっても写真は撮り続けていこうとは思っていた。ただ、徹さんと一緒に撮影できなくなった今、どういう形で続けたらいいのかわからなくなっていた。

でも、久しぶりの撮影会。カメラを持って歩き出すと、いつものように気になる被写体に自然とレンズを向けていた。そして撮った写真を見てみると、驚くほど変わらない自分自身がそこにいた。

松江の撮影会で久しぶりに撮った街のスナップ写真(小池紀子さん提供)

松江の撮影会で久しぶりに撮った街のスナップ写真(小池紀子さん提供)

「事故があって、すごい不幸で、辛くて、悩んじゃって、写真にもそういうところが出るなんてすごく嫌ですが、何があっても自分は自分です。相変わらずストレートな写真しか撮れないし、久しぶりにスナップを撮っても私の写真であることは変わらない。単純に私は写真を撮るのが好きなんです。だから自分自身の表現としての写真は、これまでのように続けたいと思っています」

「事故前も撮る時は自由気ままに撮っていましたし、今は撮りながら主人がすぐ側にいるように感じています。私が写真をやめたら主人は悲しむでしょうし、きっと私にずっと撮り続けてほしいと思っているはずです」

寂しいのは撮った写真を見せる人がいないこと

寂しいのは、写真を撮った後に見せる相手がいないことだ。

徹さんが元気な時は、隣に2台並べたパソコンで、自分の撮った写真を見せ合っては語り合うのが何よりも楽しい時間だった。今は、それができる相棒が隣にいない。

隣り合って並べたパソコンで、互いに撮った写真を見せ合っては語り合うのが好きだった(撮影・岩永直子)

隣り合って並べたパソコンで、互いに撮った写真を見せ合っては語り合うのが好きだった(撮影・岩永直子)

紀子さんが大好きな写真家、荒木経惟さんは、東京の街歩き写真に、その写真について亡き妻の陽子さんと語り合った対談を添えた写真集『東京は、秋』のあとがきでこう書いている。

こんなふーに写真を話す相手がいなくなってしまった。実は、写真てーのは写すことより写したものを見せて話すほーが楽しいのだ。もー妻はいない。
『東京は、秋』あとがきより

「これは、本当にその通りだなと実感しています。写真を見せながらああでもない、こうでもないと語り合うことが本当に楽しかった。主人が見てくれなくなって、私もこれからどうしようかと途方に暮れています。私が一番写真を見せたい人は主人でしたから」

それでも、7月から新たなチャレンジを始める。プロの写真家のワークショップに参加することを決めたのだ。そこで人に写真を見せて、語り合うことを久しぶりに始める気になった。

「どんな時間になるのかわかりませんが、また新たな何か1歩に繋がるかなと思っています」

写真集出版を機に、止まっていた時間が動き出した。

撮影・岩永直子

撮影・岩永直子

「私たちは二人でひとつ」

徹さんは事故の数ヶ月後、長期療養型の医療施設に移った。面会に通い続けている紀子さんは、30分の面会時間、必ず笑顔で楽しい話をするようにしている。

徹さんが大好きで手作りもしていたチェブラーシュカの人形とクラシックカメラ

徹さんが大好きで手作りもしていたチェブラーシュカの人形とクラシックカメラ

「私の声が聞こえているかどうかはわかりませんが、話しかけると目を開けるし、写真仲間の話をしているときに口を動かそうとしたり、好きな歌を歌ってあげると目から涙が一滴流れたりします。意識はなくても声は聞こえているのかもしれない。『必ず一緒にお家で暮らせる日が来るからね』と希望の持てるような声掛けをしています」

「私は決して強い人間ではないし、すごく明るい人間でもない。だけど、軽やかに生きていけたらいいなとは思ってるんですよ。あまりにも深刻になって落ち込んでしまったら、一番悲しむのは主人なので。だから、『私は私で元気に楽しくやってるよ。安心してね』って面会の時に言うようにしているんです」

面会の最後に、必ず言う言葉がある。

「私たちは二人でひとつだからね。どちらが欠けても成り立たないから。今日も生きてくれてありがとう」

「主人は今、生きてくれているし、主人の手に温もりがあることが今の私の心の支えです。生きているだけでありがたいし、それだけで十分。あまり先のことは考えず、今を充実させて楽しむ。それが主人が一番喜んでくれることだと思います」

自宅の玄関に置かれた夫婦の写真と徹さんが作った編みぐるみ(撮影・岩永直子)

自宅の玄関に置かれた夫婦の写真と徹さんが作った編みぐるみ(撮影・岩永直子)

(終わり)

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