「医療の進歩で長く生きられるようになったのに」 16年間進行乳がんの治療を続けてきた女性が不安を抱く高額療養費制度の見直し

愛知県に住む加藤那津さんは、31歳で乳がんと診断されて以来、肝臓や骨への転移を経て、16年間治療を続けてきました。治療の進歩で長く生きられるようになったものの、常に不安だったのが治療費の問題。高額療養費制度の見直しの議論も固唾を呑んで見守っています。
岩永直子 2025.12.12
誰でも

いよいよ山場を迎えている高額療養費制度の見直し。

この制度を使っている患者たちは、どのように変更されるのか固唾を呑んで見守っている。

その一人、愛知県在住の加藤那津さん(47)は、31歳の時に乳がんと診断されて以来、肝臓や骨への転移を経て、高額な薬を命綱に治療を続けて生きてきた。

これまでの議論が、自身にどのように響いているのか。制度に何を期待するのか。現在、体力を回復するために一時入院中の加藤さんに、病室からオンラインでお話を伺った。

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31歳で乳がんと診断 

加藤さんは2009年5月、30歳の時に生理前のような痛みが右胸に続き、乳腺クリニックを受診した。当時、乳がんで若くして亡くなった女性の実話を映画化した『余命1ヶ月の花嫁』を見たこともあり、不安が募ったからだ。その時はエコー検査だけして、乳腺症と診断された。

その少し前の1月、自転車に乗っていた加藤さんに車が衝突する事故に遭い、後遺症の鞭打ちの治療のために整形外科に通っていた。乳腺症との診断後、いつものように整形外科でうつ伏せになってマッサージを受けていたら、ブラジャーに膿のようなものがついているのに気づいた。

心配になって再び乳腺クリニックを受診。石灰化を指摘され、大学病院に紹介された。そこで、乳がんになった家族はいるか聞かれ、父方の伯母が30代で乳がんに、父方の伯父が男性乳がんになったことを伝えた。家族歴があると、若年でも乳がんを発症する遺伝性乳がんの可能性が出てくる。乳房の組織の一部を切り取って検査し、10月に乳がんと確定診断された。

「ショックというよりも、私が心配性で神経質だったから、早く見つけられたのかなと思いました。乳房を温存する部分切除手術を受け、女性ホルモンで増殖するタイプの乳がんだったため、女性ホルモンの分泌を抑えるホルモン療法と放射線治療を受けました」

遺伝性乳がん・卵巣がん症候群であることが明らかに

しばらく経った2013年8月、同じ右乳房にまた痛みとしこりを感じ、局所再発がわかる。今度は乳房を全摘し、同時に乳房再建手術も受けた。再び遺伝性乳がんを疑われ、手術前に遺伝カウンセリングを受けた。

カウンセラーは、「家族歴もあるし、男性乳がんの血縁者もいるから、遺伝子検査を受けなくてもほぼ遺伝性だと思う。もう全摘するのも決まっているし、遺伝性と分かってもできることは変わらないから、高いお金を出して検査を絶対受けるべきだとは言えない」と言ってくれた。

だが、加藤さんは遺伝子検査を受けることを選んだ。

「私が乳がんになったことについて、母親から食生活が良くなかったからとか、ストレスが原因だとか言われて鬱陶しかったんです。遺伝性がんであるならば父からの遺伝でしょうけれど、父を責める気持ちは全くないし、自分の体質でがんになったのだと分かれば納得できると思ったんです」

遺伝子検査の結果、BRCA2という遺伝子に病的な変異があり、若くして、何度も両側の乳がんや卵巣がんになりやすい「遺伝性乳がん・卵巣がん(HBOC)」であることが判明した。全摘手術後は、飲み薬に加え、注射薬のホルモン療法も追加で始まった。

ホルモン療法は基本的に5年、可能ならば10年続けるのが標準的で、当時は閉経後にしか使えなかった注射薬の影響で、毎月高額な医療費がかかった。間もなく、多数回該当(※)が適用され、毎月の支払いはグッと下がってホッとした。この時はまだ大学で秘書をしており、収入もあった。

※1.直近12ヶ月で3回以上高額療養費の対象になった場合、4回目以降はさらに自己負担限度額が引き下げられる特例制度。

肝転移の驚きと治療費への不安

それから3年経った2016年、吐き気が続いてCTを撮ったところ、肝臓に多発転移が見つかった。最初の診断から7年経って、ついにがんは乳房以外にも広がった。

「その時は、遺伝性乳がんの取材でテレビが取材に入っていて、誰も結果を予測していない状況でした。主治医に『あれ?肝転移の疑いって書いてあるよ』と言われ、とにかく驚いたのを覚えています」

肝転移で体調は不安定になり、2018年3月、それまで勤めていた名古屋大学を辞めた。それまで入っていた協会けんぽから国民健康保険に変わったことで、多数回該当の適用がいったんリセットされた。

「その後の3ヶ月間は高額療養費の自己負担上限まで支払うことになり、とても大変でした。しかも前の年は収入があったから、自己負担額も今より高かったんです。私は両親と一緒に暮らしているのですが、当時は父も母も働いていて、自己負担の上限額を決める世帯収入も多かったんです。だから、上限を下げるために世帯分離の手続きもしました」

治療の副作用や転移のショックだけでも大変なのに、転移・進行がんではそれから長く続く治療費をいかに工面するかの心配も心にのしかかる。

2018年に肺転移を疑って検査入院した時。結果はがんではなかった(加藤さん提供)。

2018年に肺転移を疑って検査入院した時。結果はがんではなかった(加藤さん提供)。

だんだんと肝臓のがんが大きくなっていき、2018年4月から抗がん剤治療も始まった。当初はアバスチンとパクリタキセルを投与していたが、痺れの副作用が耐えられなくなり、治療を変更。

その頃から保険が適用された分子標的薬、リムパーザ(一般名・オラパリブ)を2019年2月から使い始めた。このリムパーザを使うには、BRCA遺伝子に変異があることが要件となる。加藤さんは既に自費で遺伝子検査を受けて変異があることを確認済みだったが、自費検査の結果は適用できないと説明され、同じ高額な検査を保険で再び受けることになった。

骨への多発転移、卵巣・卵管の予防切除も

だが、病気は加藤さんにさらに追い討ちをかけた。腰の痛みが酷くなり、CTを撮ったところ、2019年9月、今度は腰や首の骨に転移が見つかった。これまでの薬物治療に、今度は骨折を防ぐ「ランマーク(一般名・デノスマブ)」による治療も加わった。

咳き込むだけで肋骨が何度も折れ、趣味のマラソンの練習で大腿骨(太ももの骨)が骨折しそうにもなった。太ももの骨の中に骨折を予防する金属の棒を入れる手術もした。

2017年3月、名古屋ウィメンスマラソンに参加し、初のフルマラソン完走。「完走したら乳腺外科の主治医にプレゼントする」と決めていたティファニーの箱と記念写真。腸骨を骨折していた。

2017年3月、名古屋ウィメンスマラソンに参加し、初のフルマラソン完走。「完走したら乳腺外科の主治医にプレゼントする」と決めていたティファニーの箱と記念写真。腸骨を骨折していた。

「先生にはウォーキング程度なら続けてもいいよと言われていたのですが、結局その後、ただ歩いているだけで足の甲の骨が2回折れてしまったんです。日常生活で歩くのはやむを得ないけれど、運動としてウォーキングをするのは諦めました」

治療の影響もあり、43歳で閉経。HBOCは卵巣や卵管にもがんができやすくなる。2024年6月には、予防的な卵巣・卵管の摘出手術も受けた。

「もう手術は受けたくないという気持ちもあったのです。でもリムパーザが効いているので、もしかしたらあと数年という単位ではなく、もう少し長く生きられるのかなと思って受けることにしました」

高額療養費制度の見直しで「支払い続けることができるのか」不安に

2009年に乳がんと診断されて以来、相次ぐ転移に何度も落ち込みながら、進歩する医療と医療費の負担を減らす制度に支えられて生きてきた。

そんな加藤さんを再び不安にさせたのは、昨年末から急に持ち上がってきた高額療養費制度の見直しの方針だ。

現在、仕事を辞めて収入がない加藤さんは、貯金の切り崩しと、加入していたがん保険、4年前に申請した障害年金で治療費を工面している。加藤さんが使っている薬で最も高いのは、現在も効果を発揮している分子標的薬のリムパーザ。段階的に使用量を減らしてきたが、毎日400mg飲んで、3割負担で15万円程度の医療費がかかる。

だが、高額療養費制度の多数回該当が適用され、毎月の自己負担上限は2万4600円に抑えられている。これが多数回該当を外れると上限額は3万3300円になる。

政府が昨年末に高額療養費の自己負担上限額を引き上げる方針を示した当初は、「低所得だから、それほど引き上げられないのではないか」と思っていた。

しかし、よくよく聞いてみると、現在使っている高額なリムパーザが効かなくなり、もっと安い抗がん剤に変えたら、上限額が引き上げられたら高額療養費が適用されなくなる可能性もある。

「そうなると、上限ギリギリの金額でずっと払い続けなければならなくなるのかな。支払い続けられるかなと不安になってきました」

さらに、一連の医療費の見直しの議論の中で出てきた、「OTC類似薬(※)の保険外し」は、これから制度がどう改変されるのか、不安が強まった。

※市販薬と成分や効能が似ているが、医師の処方箋が必要な薬。保険が適用されているため、市販薬より大幅に安く購入することができる。湿布や解熱鎮痛剤、アレルギー薬などが挙げられている。

加藤さんは、がん治療だけでなく、2009年と2012年に自転車で車に衝突される事故に遭い、その後遺症の治療も受けている。乳がん手術後の痛みの治療も兼ねて、ペインクリニックを受診し始めたのは2010年のことだ。

それ以来、ロキソニンやボルタレン、リリカ、トラムセットなどの痛み止めだけでなく、医療用麻薬であるモルヒネも処方されている。

様々な処方薬の中でアセトアミノフェン、ロキソニンテープと、医療用麻薬や分子標的薬の副作用である便秘を防ぐ酸化マグネシウムは、同様の成分を含む市販薬がある「OTC類似薬」だ。毎日飲んでいるOTC類似薬が保険から外れたら、どれほど医療費が上がるのか。多数回該当から外れる可能性はないか。不安が募った。

「私はまだがん保険のお金を払えているから、なんとか治療を受け続けられていますが、それが払えないほど医療費の負担が増えたらどうなるのか。私だけでなく仲間たちはもっと大変になるんじゃないか。今は働いていないけれど、また体調が上向いて働けるようになったとしても、収入が増えたら上限額も上がるからやはり働かない方がいいのか。あれこれ考えて、どんどん不安が強まっていきました」

高額な薬を使って申し訳ない気持ちに

今年1月、全国がん患者団体連合会が行ったがん患者の緊急アンケートに加藤さんも参加した。

働き、子育てもしながら必死に闘病している仲間たちが、自己負担上限で治療を諦めなければいけないのかと訴える声の数々。加藤さんはそれまで感じていた「不安」から、「申し訳なさ」に気持ちが傾いていった。

「全く働いていなくて、国のために何も役に立っていない私が、すごく高い薬を使い続けていいのだろうかと申し訳ない思いが強くなっていきました」

その思いは、厚労省の「高額療養費制度の在り方に関する専門委員会」で、患者会の代表が「自分が使っている医療費が全額どれぐらいかということの実感が持てなくて、自覚することが少なくなってきたのではないか」と発言した時も強まった。

「自分がどれほど使っているか知らない人はいるのかもしれないですけれど、でも、だいたいの人はやっぱり自分の財布からお金を出していることもあるし、空気のようには思っていないと思います。でも、あの発言を聞いた時に、がん経験者や患者団体の人でもこんなことを言うのだから、一般の人が私がこれだけ医療費を使っていることがわかったら、『なんてやつだ』と思われてしまうんじゃないかと思いました。余計、申し訳ない気持ちになりました」

12月8日の専門委員会で、多数回該当の上限額は現行維持の方針が示されてホッとした。一方、保険者が変わると多数回該当がリセットされる問題については、取りまとめ案でまったく触れられていなかったことにがっかりもした。

「あれは結構キツいです。保険者が変わって上限額が変わるのは仕方ないかもしれませんが、多数回該当がリセットされるのは患者にとってかなりキツいので、考えてほしいです」

OTC類似薬については、全がん連は保険から外さず、患者負担を一定割合で増やすという代替案を提案している。

「おそらくすでに限度額を超えている人の負担は変わらないですよね。それで医療費削減につながるのかわからないのですが、よく状況がわからないのでどう決着がつくのか見守っている感じです」と加藤さんは語る。

厚労省が急に人工透析を受けている人やHIVに感染している人など、特定疾患に当たる人への特例の見直しを提示してきたことも心配だ。

「私はがん患者であるから高い薬を使い続けていられるのに、病気の種類が違うだけで同じように高い薬を使っている人が外されたら、『がん患者だけいい思いをしているじゃないか』となるはずです。さらに申し訳ない気持ちが強くなります」

これからも患者が生きられる制度に

全がん連理事長の天野慎介さんや、事務局長の轟浩美さんが患者のために日々、政治や行政に働きかけてくれていることに強い感謝の気持ちを抱いている。

「ご自分たちも治療や体調不良でしんどい中、今の患者だけでなく未来の患者さんのためにもこうやって身を削るように活動してくださることには本当に尊敬の念しかありません。この制度を守ろうとしてくれている方がいることに勇気づけられますし、だからこそ自分でも少しでも役立てることがあればと思って医療保険部会の報告に協力させてもらいました」

まもなく制度見直しの方針は固まろうとしている。制度を現在進行形で使っている加藤さんは何を期待するのだろう。

「この制度のおかげで私は今も治療を受けて生きられているし、心から感謝しています。これからもこの制度の恩恵を受ける人はいるでしょう。誰もが納得する制度の見直しは難しいのかもしれませんが、がんや他の病気になっても、誰もが安心して治療が受けられる制度であり続けることを願っています」

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