薬剤師の僕が小腸がんになって気づいたこと 人を傷つけ、救いもする医療者のコミュニケーション
薬剤師のコミュニケーションを向上させようと取り組んできた薬剤師が、ステージ4の小腸がんになった。
自身が患者として医療者と向き合い、一つひとつの言葉や態度に救われ、傷つけられてもきた。
そんな薬剤師、野村洋介さん(44)は今、日本保険薬局協会に出向しながら、和歌山県立医大でがん患者を惑わす情報の波に、薬局薬剤師がどう力になれるのかを研究している。
転移の可能性を抱えて抗がん剤治療中の野村さんに、話を聞いた。
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旅行中の強烈な痛みで発症に気づく
がんに気づいたのは、2023年の盆休みに妻と韓国に旅行している時のことだった。最終日の8月14日朝、ジョギング後にホテルに帰ってきてシャワーを浴びていると、みぞおちのあたりが痛い。胃薬を飲んで収まるかと思いきや、痛みは強くなっていくばかり。
悶え苦しみながら夜の飛行機に乗り、羽田空港に着いた時にはもう手足が痺れて動かなくなっていた。車いすで入国審査を受け、そのまま救急車で空港近くの病院に運ばれた。
痛み止めで落ち着いたので、羽田空港に停めておいた車を取りにかえり、8月15日の未明、運転して自宅に帰った。ところが、明け方4時半頃、また猛烈な痛みが襲ってくる。
「たぶん尋常でない何かが起きていると思いました。タクシーで再び横浜の自宅近くの病院の救急に駆け込みました」
朝6時頃に消化器内科の医師に診てもらい、レントゲンで腹水が溜まっていることも分かった。即入院だ。大腸がんで上昇する腫瘍マーカー、基準値が1桁〜2桁なはずのCEAとCA19-9が3桁後半まで上がっていた。薬剤師だから、その数字の意味するところがすぐに分かった。
「その数字を見た途端、これは危ないんじゃないかとわかりました。絶望しました」
腫瘍は、小腸の最も下流の部分である「回盲部」にできていた。小腸がんについてはあまり知らなかった。スマホで検索すると10万人に0.2〜0.5人程度の発症率の希少がんで、経過もあまり良くないと書かれていた。
「余計に絶望しました。腹膜にがんが広がって手術もできないような状況になっているんじゃないかと不安になりました。手遅れになりたくなくて脳腫瘍が専門の自分の兄に紹介状を書いてもらって、PET-CT(※)を早く撮る手配をしました」
※陽電子放射断層撮影 がんが糖分を多く取り入れる性質を利用し、がん細胞に集まる放射性薬剤を注射し、がんが体のどこに広がっているかを精密に見つける検査。
リンパ節や大腸にも広がった小腸がんと確定診断
8月20日に別の病院でPET-CTを撮り、がんは限られた部分に留まっていそうだと確認した。知り合いの医師に勧められたがんに専門性の高い病院でセカンドオピニオンを受け、その日のうちに転院が決まった。25日に入院し、29日に手術を受けた。小腸の回盲部を全て切除し、周辺のリンパ節も取った。
治療を受けるために入院中の野村さん(野村洋介さん提供)
手術の結果を受けた確定診断は9月27日。妻と二人で聞いた。
がんは大腸の直腸の部分にも広がり、結局、リンパ節にも転移していた。ステージ4の進行がんだ。主治医は冷静に、どれぐらいがんが広がっているか事細かに説明した。
「この確定診断の宣告が一番ショックでした。患者になって初めてわかりましたが、ネガティブな報告を受ける時って、思考回路が停止する感覚があります。録音しながら聞いたのですが、先生の説明を聞いているのに、全然頭に入ってきませんでした」
その後の療養生活でもずっとそうだったが、厳しい確定診断を受けた後も、妻の里瑛子さん(38)は常に楽観的だった。
「どうなるかわからないじゃない。抗がん剤、効くかもしれないじゃん」
ものごとの明るい面を見て、いつもポジティブな態度で接してくれた。
「医療者ではないことも大きいのかもしれないし、状況のシリアスさをあまり理解していなかったのかもしれません。僕がどんなに落胆していようとポジティブな姿勢が変わらない。常に落ち着いて凪状態でいてくれて、すごく助かりました」
救われた化学療法の先生の「軽さ」
主治医から説明を受けた後、野村さんはあまりにも落胆して黙りこくっていた。妻ともなかなか会話を交わせなかった。
その直後に、化学療法の担当医との面談があった。結果的に、この先生との会話で、心を持ち直すことになった。
「化学療法の先生は、後から振り返ると、外科医のシリアスな説明を受けた後の患者さんがどんな状況にあるか熟知している先生だったんです。コミュニケーションの取り方が素晴らしいなと思いましたし、落ち込んでいた気持ちが少し上向きました」
その先生は、最初に顔を合わせた時から、拍子抜けするぐらい軽く接してくれた。
「『野村さん、なんかあれですか?気持ちがまだ追いついてないって感じですか?』って表情も軽いですし、声の掛け方もものすごくライト。後から調べるとかなりベテランの先生なんですが、それをたぶんあえてやっていたんですね」
一番嬉しかったのは、その後に「野村さん、でもこれ、もしかしたら根治行けるかもしれないですね」と希望の言葉を投げかけてくれたことだった。
「『化学療法が効きさえすれば、大腸に転移しているがんが小さくなるし、がんを切除すれば根治まで行ける可能性がある。腹膜に広がってなければいけるんじゃないか』と説明してくれました。今、振り返ると、治療に対する患者のモチベーションも考えて、適切な言葉をかけてくれたのだろうと思います」
初めてがんを受け入れる心持ちが自分の中に生まれてきたのを感じた。
「後から思ったことですが、その先生は本当にコミュニケーションのプロでした。当初は先生がそんなキャラクターなんじゃないかと思っていたんです。でも、後に先生が別の病院に転院する前に会った時に『先生じゃなかったら僕ダメだったと思います。先生のコミュニケーションで救われました』と伝えると、『それはあえてやっているところもあるんだけどね』とサラッと言われたんです。やっぱりそうだよなと思いました」
当事者でありながら、医療者のコミュニケーションがいかに患者を救うのか、医療者目線でも感銘を受けていた。
「患者が入ってきた時の雰囲気を瞬時に嗅ぎ取って、最も適切な態度や言葉でコミュニケーションを図る。これはAI(人工知能)ではできないことです。人間でないとできない。後で薬局の薬剤師のコミュニケーションと重ね合わせて、ネガティブな情報を伝えるコツや仕組みを考えるきっかけにもなりました」
薬剤師の服薬指導に違和感
最初は、オキサリプラチンとカペシタビンのカポックス(CAPOX)に、分子標的薬のベバシズマブを組み合わせた化学療法を受けることになった。
自身は抗がん剤にそれほど詳しい薬剤師ではない。でももちろん、インターネットなどを駆使して調べることはできる。でも、詳しくは調べられなかった。できるけど、やりたくなかった。
「調べ尽くしてしまうと、それによって生存率がどれぐらい上がるのか、生存期間をどれぐらい伸ばすことができるのかが見えてしまう。患者になってみると、シビアな統計に自分を当てはめたくないんです。そこがすごくつらかったです」
8クール受ける予定で、1クール目は入院しながら受けた。最初に受ける直前、病院の薬剤師が服薬指導に来るタイミングがあった。
「その薬剤師が、機械的な説明をするのを微妙な気持ちで聞いていました。相手がどういう人生をこれまで歩んできて、どういう治療を受けてきて、どんな思いをしてきたかはまったく聞かれない。『この薬にはこういう副作用があって、8クール続けると車が運転できなくなるかもしれません。足の感覚がなくなるかもしれず、躓くかもしれません』と副作用を淡々と語るわけです」
型通りの説明を受けながら、心の中では「今まで大変だったんじゃないですか」というような一言があってもいいんじゃないか、と薬剤師目線で考えていた。
「化学療法による体の影響も、患者さんからしてみるとネガティブな情報です。自分がこれからどういう生活ができるのかがとても大事なのに、それがどこかに置き去りにされている感じは否めなかったです」
趣味のジョギングは毎朝20キロ、月に600キロ走るぐらいで、2012年の大阪マラソンでは2時間32分のタイムを記録するほどだった。「野村=マラソン」というぐらいの感覚だったが、がんになり、体に負担をかけるかもしれないと思って、断念しなければならないのかという苦しさがある時だった。そんな不安や苦しさは全く聞かれなかった。
マラソンは自分のアイデンティティと思えるほどのめり込んでいた(野村洋介さん提供)
それと同時に、もしがん患者が薬局で服薬支援を受けたとしても、同じようなことが起きるだろうと考えていた。
病院の薬剤師と同じことを、街の薬局でもできるようにする流れがあり、患者にどんな副作用が出ているかを確かめるのは薬剤師の重要な役割の一つだ。
「その薬を続けられるかどうかの大事な判断材料になるので、そういう経過を薬局から病院に報告するのは極めて重要なことです。でも、患者さんはその意味を知らない。病院でも副作用の確認をされ、薬局で内服薬をもらう時も同じように確認される。患者さんからすれば、それが自分に何のメリットがあるかわからないのに、医療者が聞きたいことを聞くだけの一方通行のやり取りになっている可能性があります」
「その人が本当は何がしたくて、その副作用で何ができなくなる可能性があるのかの方が患者さんにとってはより重要なことです。僕はずっとマラソンをやってましたから、家の段差で躓くなんて想像ができない。まだ若いし、この先どうなるんだろうかがすごく不安なのに、そんなことは全く置き去りにされて、一方的な説明だけされるのはやはり人間の会話としておかしいと思っていました」
薬剤師は、もっと他にできることがあるんじゃないか。そんな疑問を抱えながら、薬剤師の説明を受け流していた。
急激に下がった腫瘍マーカー
化学療法は8クールの予定だったが、オキサリプラチンだけ5クール目で副作用に耐えきれず中断した。一番つらかったのはどうにもならないほどの倦怠感。起き上がるのもつらかった。痺れもきつく、冷たいものに触れると飛び上がるような痛みが走る。
「冬場は部屋も寒くなるので、パソコンも冷たくなります。手袋をはめないと、パソコン作業もできない状況でした。回を重ねるごとに薬の成分が体に蓄積していくので、どんどん辛くなっていきました。補助療法(副作用を和らげる治療)も行ったんですが、ほとんど効きませんでした」
2クール目からは外来で治療を受けるようになった。副作用に苦しみながら、自宅で一人、この先のことを考えると、涙が出た。一人先叫んだこともある。
だが、きつい副作用や不安を経て、効果ははっきりと出た。腫瘍マーカーは手術直前には1000を超えていたが、化学療法を重ねるごとに半減していき、3クール目が終わった11月下旬には数値的には未だ基準値を超えているものの、明らかに効果を示していた。
「もう少し生きられるかもしれないという希望が出てきました。それまでは絶対死ぬ、すぐ死ぬと思っていましたから。もうダメだろうなと思いながら受けたので、嬉しかったですね」
腫瘍マーカーが正常値に下がったことがわかった日、親に電話をしたのを覚えてる。息子を心配する高齢の両親を、少しでも安心させたかった。
(続く)
【野村洋介(のむら・ようすけ)】薬剤師、日本保険薬局協会特任部長
昭和薬科大学薬学部卒業。
2006年、旧株式会社阪神調剤薬局(現・スギ薬局)に入社。4~5店舗にて従事薬剤師として経験を積んだ後、店長・管理薬剤師に就任。2015年からは8店舗を統括するブロック長として、薬局運営およびマネジメント業務を担当。
臨床業務と並行して、エンパワーメントアプローチを主軸とした糖尿病療養支援に関する研修(スリースターファーマシスト研修)講師活動に従事。2019年に帝京大学大学院公衆衛生学研究科に入学し、行動経済学(ナッジ理論)をテーマに研究を行い、2021年に公衆衛生学修士(MPH:専門職)を取得。
現在はスギホールディングスに在職し、日本保険薬局協会へ出向。
2023年8月にステージ4の小腸がんを発症し、2度の手術および化学療法を経験。自身の患者経験を契機に、薬剤師とがん患者間のコミュニケーションの在り方に強い課題意識を持つようになり、2024年4月、和歌山県立医科大学大学院 医学薬学総合研究科(博士課程後期)に進学。
現在は、がん患者に対する薬剤師のコミュニケーションに関する研究に取り組んでいる。
外部活動として、患者目線でのがん医療の講演や執筆活動を行い、患者経験と専門職としての視点を生かしながら、患者中心の医療の実現に向けて研鑽を続けている。
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