「仕事中もトイレに行きたくなるし、ご飯は食べる」多様な生産者のニーズを軽んじない職場、制度に

重度の障害がある人の食事やトイレなどを長時間、介助する「重度訪問介護制度」。仕事中、就学中は使えませんが、この制度の問題点は何でしょう?東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎さんが論理的に分析した講演を詳報します。
岩永直子 2023.09.29
誰でも

重度の障害がある人に対し、長時間の見守りも含めた食事、トイレ、入浴、外出などの生活に関わる介護を提供する国の「重度訪問介護制度」。

ところが、この制度、就労・就学中は使えないという大きな欠点がある。例えば、その間、トイレに行きたくても、水分補給や食事をしたくても、ヘルパーの介助が認められないため我慢しなくてはいけない問題が起きてしまう。

この「介助付き就労」が国に認められていない問題について、実態調査をした研究チーム(研究代表:嶋田拓郎・一般社団法人わをん事務局長)が9月28日、都内で「介助付き就労学習会」を開いた。

東京大学先端科学技術研究センター准教授で、同大学バリアフリー支援室長の熊谷晋一郎さんが「必要性(福祉)と生産性(経済活動)の同時発生」というタイトルで基調講演をし、「人間の現状に合った制度設計になっていない」と批判した。講演内容を詳報する。

熊谷晋一郎さん

熊谷晋一郎さん

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人間の現状に合わない重度訪問介護の制度設計

私たち人間は障害があろうがなかろうが、自分一人では生きていかれない弱い動物です。ですから常に二つの仮面を被っています。

一つは、誰かに手助けをしてもらわないと自分のニーズを満たしてもらえない「必要性」の仮面を被っています。

もう一つは誰かの必要性を満たしてあげるために、さまざまな製品やサービスや知識を生み出す「生産者」の仮面も被っています。

二つの仮面をみんな被っているわけですが、その二つの仮面を「9時〜5時は生産者」「アフターファイブは必要性の利用者」という風に使い分けているわけでは決してない。

仕事中もトイレに行きたくなるし、仕事中もご飯を食べなくてはいけないし、空気を吸わなくてはいけない。眼鏡もかけなくてはいけない。

そういったベーシックな生存権に関わるような「必要性」の側面を常に持ちながら仕事をしている。当たり前のことですよね?

振り返れば当たり前のことですが、今の(重度訪問介護の)制度設計は、あたかも障害者にこの二つの仮面を同時に被ることを禁じているかのようなものになっています。

しかし、健常者を見てみれば二つの仮面を同時に被っているわけです。福祉制度はそれに合っていない。一言で言うとそういう制度設計になっていて、人間の現状に合っていない制度設計になっているというのが結論です。

勤務中の介助者の費用 負担できる職場ばかりではない

改めて自己紹介をします。

熊谷晋一郎さん提供

熊谷晋一郎さん提供

私は脳性まひの身体障害を持っていて、まさに介助付き就労を20数年行っておりました。今日も私の横には介助者がいます。制限はそのままにした介助者の費用の助成制度「雇用施策との連携による重度障害者等就労支援特別事業」という制度を国は始めましたが、国家公務員やそれに準じた就労の現場では適用できません。

熊谷さんの講演中、パワーポイントの操作をする介助者(左)

熊谷さんの講演中、パワーポイントの操作をする介助者(左)

私は国立大学に勤めているので、ここでは重度訪問介護は使えないわけです。

なので、私の横にいる勤務中の介助者の費用は大学が負担しています。私はいつも大学には少し負い目を感じなくてはいけないし、どんな大学でも支援者の経費を支払えるほど潤沢な財源があるわけではないので、何か違う場所に行ってみたいと思っても選択肢は非常に少ない状況があります。

それに、表向きは差別はないとはいえ、同じぐらいのパフォーマンスの時に、大学側からすると介助費を支払わなくてはいけない研究者とそうでない研究者を比べてしまって、払わなくていい方を選ぶインセンティブは当然働くわけですよね。おそらく。

そういう風な機会の不平等が私の周りを取り巻いているわけです。

大学では医学を研究して小児科医としての臨床も経験してきて、2009年からは大学で研究をしています。

障害者の側ではなく、社会環境とのミスマッチに問題を見出す「社会モデル」

改めて、私が生まれた1970年代は、「医学モデル」という考え方が主流の時代でした。環境に適応するために、私の心や身体を健常者に近づけさせようという考え方が主流な時代に幼少期を過ごしました。

これは私がリハビリをしている写真です。

熊谷晋一郎さん提供

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しかし、とてもラッキーだったのは、80年代になって、私の心や身体の側に障害があるのではなく、むしろ私の外側に広がる社会環境、例えばエレベーターが設置されていない建物とか、介助付き就労を認めてくれない制度とか、そういった社会環境の側に偏りがあるという考え方が広がってきました。

つまり、私のような人が活躍できないデザインになっている社会環境と、私との間に生じるすれ違い、ミスマッチ、合わなさを障害と捉えましょう、という風に考え方が変わってきたのです。

熊谷晋一郎さん提供

熊谷晋一郎さん提供

障害は私の側に帰属されるものではなくて、環境と私との接触面に生じるミスマッチが障害だということになったわけです。

この「社会モデル」の考え方は今日では常識になりつつあります。しかし、具体的な場面、例えば今日のテーマである就労の場面で果たしてこのミスマッチを環境側、制度を変えることで解消し得ているだろうかというと、必ずしもそういう状況にないわけです。

私たちは職場という環境の中で「社会モデル」の考え方による改善を実現すべく、制度や環境を変えていくことが今回のテーマだと思います。

大学でのケアは誰が担う?

私は医学部生だった頃はこの写真の感じで、かなりインフォーマルな友達のサポートを得ながらなんとかかんとか解剖学実習とか、病棟での実習などをやってきました。

熊谷晋一郎さん提供(一部ぼかしを入れています)

熊谷晋一郎さん提供(一部ぼかしを入れています)

重度訪問介護に関しては、高等教育の中で使えるかどうかというのは非常にグレーで、自治体によって判断が変わります。「通年かつ長期」というマジックワードが重度訪問介護の基準を定めた厚生労働省告示第523号の中に書いてあるので、大学に通うということは通年かつ長期にわたる活動なのかどうかという判断が自治体によって変わるからです。

居宅における入浴、排せつ又は食事の介護等及び外出(通勤、営業活動等の経済活動に係る外出、通年かつ長期にわたる外出及び社会通念上適用でない外出を除く)
厚生労働省告示第523号

これは群馬大学の五味洋一先生が、大学生を対象に重度訪問介護を利用しているのか、どういう風に学内での介助を調達しているのかを調べた調査の抜粋です。

熊谷晋一郎さん提供

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11人の方が回答されていて、例えば通学には家族と障害福祉サービスを利用している学生が主だったもので、特に家族に頼っている度合いが大きいことが報告されています。

熊谷晋一郎さん提供

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学内の移動に関しては、家族以外が負担しているという状況も報告されています。

熊谷晋一郎さん

熊谷晋一郎さん

トイレ、食事に関してはかなりバラついています。

熊谷晋一郎さん提供

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障害のある大学生のみなさんは、色々な資源をその度ごとに創意工夫しながら、あるいは交渉しながら、ここに掲げてあるような障害福祉サービスや大学の負担や、インフォーマルな友人や同級生、家族に頼りながら、高等教育でケアを受けて通っている。

熊谷晋一郎さん提供

熊谷晋一郎さん提供

五味先生たちは海外の状況も調べてくださいました。

その結果、大学でのケア、介助に関して、公的なサービスが利用できるのは左上のような国でした。

それに対して韓国と日本では利用できない。日本がかっこ書きにしてあるのは、自治体ごとに判断が変わるからですが、非常にグレーな状況ということです。先進諸国の中でも日本は非常に遅れているということがここからわかります。

不必要な条件がつけられた大学修学支援事業

ただ相対的に見て、私のことを振り返ると、大学での通学はまだしもなんとかなっていました。改善の余地はありますけれども、その後、病院で勤務を始めるようになってからの苦労に比べると、まだまだインフォーマルなサポートでギリギリなんとかなっていました。

熊谷晋一郎さん提供

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ちなみに重度訪問介護に関して、2018年から「大学修学支援事業」というものが始まりました。

ただし赤字で示しているように、例えば「ちゃんと単位を取らなくちゃいけない」とか、不必要な条件が課されています。留年の権利もないのか?ということです(笑)。そういう不必要な条件がたくさん付いているわけです。

そして利用する条件として、ゆくゆくは大学が負担するプランを書かなくてはいけないという「踏み絵」を踏まされる、そういう問題点が残っています。

職場における特別事業と同様、根本的な解決には至っていない状況があります。

日本と海外の格差 障害があっても働ける制度や技術の整備

私は卒業した後に病院で仕事をするようになったわけですけれども、なかなか支援者はつけられませんでした。インフォーマル、あるいはフォーマルな形で介助をしてくれる人を配置してくれた病院では働けた、というのが実態だと思います。

熊谷晋一郎さん提供

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これも病院の経営者の判断によるところがあるなというのが正直なところです。

ある病院では私の一つ下の研修医を捕まえて、PHSで「ちょっとトイレに行きたいんだけど」と呼び出して、お互いすごく忙しいのですが研修医が私をトイレに運んでくれました。そういうふうなしのぎ方をした病院もありました。

それは本来あるべき姿ではないと思うのです。やはり私の専属の介助者がいる形で仕事をしたかった。そういう経験をしてきました。

熊谷晋一郎さん提供

熊谷晋一郎さん提供

アメリカの例ですと、一番右側の写真は脊髄損傷の内科医が左側にいる介助者をつけて、診察をしている。そういった事例もあります。

真ん中の写真の外科医は、立ち上がることができないので起立をサポートする電動車椅子でオペをしています。

左側の写真は耳が聞こえないお医者さんのために、音を波系に変換する「リットマン」という非常に良いメーカーの聴診器です。

そういったものが技術的に、制度的には実装できるわけです。

生産者が多様になるとサービスの質が向上

私は障害を持つ人々が医療者になったり、さまざまな「生産者」になることにはいろんな意味があると思っています。

もちろんそれは生まれつきの権利であることを大前提とした上で、それ以外にも色々なサービスの、あるいは生み出す価値の向上につながり得ると思っています。

一例を挙げると、こちらは「医師-患者コンコーダンス効果」というものです。

例えば女性の医師が女性の患者さんを担当した時とか、性的指向が類似した医師と患者さんのペアであるとか、類似した障害を持っている医者と患者のペアであるとか、もし提供される医療が同レベルであれば、満足度は属性が一致する方が高くなるという効果です。

予後(その後の経過)も一部良くなるという効果もエビデンスとして報告されています。

熊谷晋一郎さん提供

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ここから何がわかるかというと、医療サービス全体のクオリティを高めるためには患者さんコミュニティのダイバーシティ(多様性)に匹敵する医療者コミュニティのダイバーシティを実現する必要がある。そういうことに緩やかにコンセンサス(合意)が得られつつあります。

おそらくこれは医療のサービスだけではないと思います。あらゆる価値を生み出す生産活動において、多様な人が多様性ならではの視点で価値を生み出すことが、とても大事になってくるのではないか。こういうことにもっと目を向けていいのではないかと思います。

「共同創造」必要性を持つ人が生産性の主役になる

「必要性」を持っている人が、「生産性」の主役になるという考え方、つまり財やサービスを利用する当事者こそが、財やサービスをデザインするのに最適な人材であるという考え方を「共同創造」と言います。

熊谷晋一郎さん提供

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さまざまな職域において、さまざまな必要性、ニーズを持った同僚が加わることで、その組織が生み出すサービスや財というものが真にインクルーシブ(包摂的)な社会を実現するうえで役に立つものを生み出すことにつながるという考え方です。

例えば「DEI(Disability Equality Index 障害者平等指標)」というのは、企業がどれぐらい障害者雇用に力を入れているかを数値化したものですが、この数値が高い企業ほど、業績が高いというデータも一部海外から報告されています。

熊谷晋一郎さん提供

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なぜそうなのか。

障害を持つ同僚を招き入れることで、「楽観性」と「うっとり力」と言いますか、まあなんとかなるでしょうという感覚と、その人の持ち味にうっとりできる力が培われる。

私を一人前にしてくれた上司の顔を思い浮かべてもこの二つがあったなと思うのですけれども、おそらくそれは障害のある部下の問題だけではないと思います。人を育てられる上司はそういう条件はあると思うのですよね。

障害のある同僚が増えることで、例えばイノベーションが向上したり、組織の文化自体が変革することで、組織のパフォーマンスが上がるということも報告されているわけです。

熊谷晋一郎さん提供

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あとは障害のある同僚が増えることで、障害のある消費者のかゆいところに手が届くサービスや製品が生み出される確率も高まるということですね。

熊谷晋一郎さん提供

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細かいスライドですが、様々な障害を持つ人が働きやすい職場の条件と働きにくい職場の条件を先行研究からまとめたものです。

熊谷晋一郎さん提供

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色々書いてあるのですが、その中で「合理的配慮があるかないか」というところに着目してみたいと思います。

私たちは職場や生活場面で色々な困りごとを抱えるわけですけれども、その困りごとを「自己責任」で対応するのか、それが無理なら「家族」、それが無理なら「企業」、それが無理なら「自治体」、それが無理なら「国」という優先順位で、ダメならこれと同心円がだんだん広がるような考え方を「補完性の原理」と呼ぶことがあります。

熊谷晋一郎さん提供

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これは効率性はいいし、スピーディーに対応できるかもしれないけれど、平等という意味ではあまりよろしくない。これまでみなさん確認した通りです。

生存権に関わる問題というのは、やはり効率性ではなく、むしろ平等というものが非常に重要です。なので、右側の青い矢印、大きい単位から負担をしていく原理が必要になるはずです。

にもかかわらず、現状では特に職場における生存権は相変わらず補完性の原理で考えられてしまっている。これは「関連差別」と言ってもいいかもしれませんね。差別的な状況があると私は考えています。

これは飯田高先生という法社会学が専門の先生から教えていただいた考え方ですが、「補完性原理の乱用」というものが指摘されています。

熊谷晋一郎さん提供

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元々は補完性の原理は個人や小規模な共同体のエンパワーメントを通じた全体の幸福度の向上を意味するものだったにもかかわらず、高次の社会単位、つまり国などの行動を制限、制約するようなネガティブな原理になっている。「国は負担しません」みたいな文脈で補完性原理が持ち出されることがある。

これを飯田先生は「ネガティブな補完性原理」と読んでいて、これは効率的でもなければ、人権に即したものでもないという論を張っておられます。

今回の「介護付き就労」が認められない現状は、まさにネガティブな補完性原理が全面化している現状があろうと思います。

なぜ「経済活動には使えない」という制限を残す?

これまでも触れてきましたが、「雇用施策との連携による重度障害者等就労支援特別事業」というものが2020年からスタートしています。もちろん大きな前進かもしれませんが、基本路線は「ネガティブな補完性原理」が前提となっているわけです。

自治体が手を挙げるかどうか、事務手続きを担ってくれるかどうかに依存しているところが現状としてあります。

熊谷晋一郎さん提供

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さらには、国家公務員やそれに準じた仕事をしている私のような立場の者もこの恩恵には与れない現状があるわけです。

そういう意味では重度訪問介護の基準として付記されている、経済活動には使えないという文言をなぜ削除できないのだろうか、私は改めて素朴にそう思います。

お金がないからという言い訳は成り立たないです。家でじっとしていれば、出してくれるわけですから。いざ障害者が生産活動をしようとすると打ち切られるわけですから。資源がないという言い訳はできない。

じゃあなんなのか、というところをもう少ししっかりと言語化してほしい。そしてそれを議論のテーブルにあげてほしいというところがあります。

必要性に導かれる形で生産活動を

まとめです。

「社会モデル」というもので職場の問題を考えていきましょう。障害だけではないと思います。子育て世代など、様々な必要性を抱えながら仕事をしている人がいると思います。

そうした必要性を軽視した形で「ここは生産性のみの領域なんだ」という風な前提で職場のマネジメントを考える時代はもう終わりだと思うのですね。

熊谷晋一郎さん提供

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社会モデルの重要性、そして必要性と生産性の二つのお面は職場において同時発生しているので、同時に対処する制度設計が必要であるということです。

そして必要性と生産性を比べた時には、必要性こそが生産性を主導する、つまり誰かの必要性を満たした時に生産性に二次的な価値が生まれます。

私たちは必要性を軽んじ過ぎています。それがケアを軽んじることにもつながりますし、職場において困りごとを軽んじることにもつながると思います。

「共同創造」というのはまさに社会の仕組み自体を必要性に導かれる形で生産活動をしていこう、必要性にもっと力点を置きましょうということを意味していると思います。

最後に、ネガティブな補完性原理という考え方から私たちは脱却して、制度を考え直していく必要があろうと思います。

(終わり)

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