患者への差別や偏見と戦う研究者、二木立さん講演の再録 「私が『生活習慣病』の用語見直しが必要と考える理由」

医療経済学や医療政策学の専門家、二木立さんが日本学術会議のフォーラムで「私が『生活習慣病』の用語見直しが必要と考える理由」という講演をしました。二木先生のご厚意で講演全文を再録します。
岩永直子 2025.03.01
誰でも

すっかり私たちの日常生活に定着した「生活習慣病」という言葉。

糖尿病や高血圧、脂質異常症などだけでなく、それが悪化して引き起こされる心臓病や脳卒中などの病気、そしてがんもその範囲に入れられている。

しかし、一人ひとりの不摂生だけが原因のように受け止められるこの言葉は、正しいのだろうか?遺伝や社会的な要因も影響するこれらの病気を、個人の責任のように見せてはいないだろうか?

そんな疑問を投げかける講演が2月24日、日本学術会議主催の学術フォーラム「成人病から生活習慣病、そして今後〜疾病予防をさらにすすめるために」で行われた。

医療経済学や医療政策学の専門家で日本福祉大学名誉教授の二木立さんの講演「私が『生活習慣病』の用語見直しが必要と考える理由」だ。

二木立先生(撮影・岩永直子)

二木立先生(撮影・岩永直子)

二木先生のご厚意で、読み上げ原稿を提供してもらい、実際に話した内容を取材して微修正を加えて掲載させてもらう(著作権は二木先生にある)。

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技術進歩と患者・障害者の人権の複眼的視点から研究

私が「生活習慣病」の用語見直しが必要と考える理由についてストレートに、しかしエビデンスに基づいてお話しします。

実は、私はこのテーマについて今まで2回論文を発表しており、今日が三度目(の正直)です。

まず、2017年、この用語の提唱者である日野原重明先生がお亡くなりになった直後に、「厚生労働省の『生活習慣病』の説明の変遷と問題点-用語見直しを検討する時期」を発表しました(1)。

次に2024年に、八谷寛・名古屋大学大学院教授(公衆衛生学)から教えていただいた最新情報も踏まえて、「『生活習慣病』と『健康の社会的決定要因』の用語見直しの必要性・再論」を発表しました(2)。

本日は、この2つの論文をベースにしつつ、それ以降入手した文献や数値も用いてお話しします。

本題に入る前に、私の恩師の教えを紹介します。私は、リハビリテーション科専門医出身の医療経済・政策学研究者で、2人の恩師がいます。医師で医事評論家だった故川上武先生と元東大病院リハビリテーション部教授の上田敏先生です。

私は、この2人の先生から、相通じる教えを受けました。

川上先生は、「医療の進歩は2つの力(医療技術の革新と社会の人権意識の強弱)によって与えられている」と主張されていました(3)。先生は、技術と人権という視角から日本の医療史・病人史を明らかにした『現代日本病人史』と『戦後日本病人史』という2冊の大著も出版されています(4、5)。

上田先生は、長年、「障害者の全人間的復権としてのリハビリテーション」を提唱され、「『復権』がキーワード」だと指摘されています(6)。

そして私も、この50年間、恩師の教えを守って、技術進歩と患者・障害者の人権の複眼的視点から、医療の経済分析・政策研究を行ってきました。この視点から見ると、生活習慣病という用語は、糖尿病患者やがん患者等に対する偏見・差別を助長し、しかも日本の医療政策を歪めていると考え、以前から「生活習慣病」にカッコを付けています。

以下、5つの柱でお話し、最後に「結論・提言」を述べます。

「意見具申」には、「生活習慣要因」だけでなく、「外部要因」や「遺伝要因」も併記されていた

まず、1996年の公衆衛生審議会「生活習慣に着目した疾病対策の基本的方向性について(意見具申)」は「生活習慣病」概念を提唱したが、重要な指摘も2つしたことを指摘します(1、2)。

よく知られているように、「意見具申」は、「成人病」に代え、「『生活習慣病』という概念の導入」を初めて提唱し、「生活習慣病(life-style related diseases)」を「食習慣、運動習慣、休養、喫煙、飲酒等の生活習慣が、その発症・進行に関与する疾患群」と定義しました。厚生省はこれを受けて、すぐ「成人病」から「生活習慣病」に呼称を変更しました。

しかし、「意見具申」が以下の2つの重要な指摘もしたことは、現在ではほとんど忘れられています。

1つは、「疾病の要因と対策のあり方」図で、「外部(環境)要因」と「遺伝要因」と「生活習慣要因」の3つを同等に扱ったこと、つまり「生活習慣病」の要因として、生活習慣のみを挙げたわけではないことです。

もう1つは、「『生活習慣病』に着目した疾病概念の導入の必要性」の項の最後で、「但し、疾病の発症には、『生活習慣要因』のみならず『遺伝要因』、『外部環境要因』など個人の責任に帰することのできない複数の要因が関与していることから、『病気になったのは個人の責任』といった疾患や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがあるという点に配慮する必要がある」と注意喚起したことです。

歴史にIf(もし)という言葉はありませんが、私は、もし厚生省が当時、この点を正確に広報していれば、「生活習慣病」を個人責任と見なす風潮を、ある程度は予防できたと思います。

「意見具申」についてもう1つ指摘すべきことがあります。それは、「意見具申」が生活習慣との関連が明らかになっている「がん」として、大腸がん(家族性のものを除く)と肺扁平上皮がんの2つのみを例示したことです。

それに対して、厚生省の「健康日本21(第一次)」(2000)では「がん」全体が循環器病と共に生活習慣病とされ、さらに2002年に成立した「健康増進法」第16条の政令では、「生活習慣病は、がんおよび循環器病とする」と法的に定義されました。私は、がん全体を「生活習慣病」に含めたことは、学問的にも政策的にも大きな誤りだと思います。

日野原先生も生活習慣のみに言及 誤解や偏見が蔓延する原因に

しかし、その後、厚生(労働)省はこれらの点にほとんど言及しなかったため、「生活習慣病」=「個人の不摂生が原因・自己責任」との誤解・偏見・差別が蔓延しました(1、2)。

実は、「生活習慣病」の提唱者である日野原先生自身も、誤解・偏見を招く主張をストレートにしていました。先生はこの概念を初めて提唱した1978年の論文でこう述べました。「あなたの日常の悪い習慣からくる病気、何年も何十年も毎日繰り返しているあなたの習慣の中に、何か悪い因子があって、そのために病気がだんだんと作られるそのような病気を総称して、私は『習慣病』と呼びたいのです」(7)。

先生は、「意見具申」が出てからも、生活習慣以外の要因(外部環境要因、遺伝要因)にはほとんど触れず、同じ主張を繰り返しました。

例えば、「意見具申」が出た直後に出版した一般読者向けの著書『「生活習慣病」が分かる本 あなたがつくり、あなたが治す病気』では、「だれのせいでもなく、自分が長年の悪い習慣のためにつくってしまった病気」、「あなたが自分でつくる病気」等、もっぱら患者の自己責任を強調し、「現代日本人の病気の約四分の三はこのタイプ」とさえ述べました(8)。

つまり、「生活習慣病」という用語は、最初から、患者の自己責任のみを強調し、病気と患者への誤解・偏見・差別を生む素地を持っていたのです。なお、先生は「がん」も生活習慣病に含めていましたが、「意見具申」と同じく、「一部のがん」(肺扁平上皮がんと大腸がん)に限定していました。

麻生副総理、長谷川豊氏らの暴言を生んだ「生活習慣病」への誤解・偏見

生活習慣病そのものではありませんが、それの代表とも言える糖尿病患者に対する麻生太郎副総理・財務相の2013年4月の次の有名な(?)発言も忘れるわけにはいきません。

「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、糖尿病になって病院に入っているやつの医療費はおれたちが払っている。公平ではない。無性に腹が立つ」

実は、麻生氏はその3か月前(1月21日)の社会保障制度改革国民会議で、高齢者の医療について「死にたい時に、死なせてもらわないと困っちゃうんですね。しかも、その金が政府のお金でやってもらうというのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」と発言して批判を受け、すぐに撤回していたのですが(9)、こちらの発言には支持する声も多く、撤回しませんでした。

 「生活習慣病」患者への誤解・偏見・差別という点で、私の知る限り、最悪の言説は、最近、人権意識の低さで批判を浴びているフジテレビの元アナウンサー・長谷川豊氏のものです(1:160頁)。

長谷川氏は、2016年に、人工透析患者の8~9割は「自業自得」の食生活と生活習慣が原因だとして、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」との暴言を吐きました。長谷川氏はこの発言で炎上しましたが、翌2017年の総選挙に日本維新の会公認で立候補し、落選しました。氏は、2019年の参議院議員選挙でも同じく日本維新の会の比例代表候補になる予定でしたが、今度は部落への差別を助長する暴言を吐き、公認停止となりました。懲りない人ですね。

講演する二木先生(撮影・岩永直子)

講演する二木先生(撮影・岩永直子)

経済産業省でヘルスケア産業化政策の中心的役割を果たしていた江崎禎英氏(氏は今年1月に岐阜県知事に就任しました)も、2018年に、長谷川氏と類似した主張をよりマイルドに、次のように述べました。

「生活習慣病は主として患者自身の自己管理に原因があります。このような疾病の性質の違いを全く考慮せずに保険制度が適用されるため、健康管理に努めていようが、不摂生な生活をしていようが、病気になれば全く同じように医療給付を受けることができるのです」

「自覚症状のない人に自覚を促すためには、分かりやすい制度設計が必要となります。例えば、健康管理への取り組み(健康状態ではありません)を昇進の際の評価項目にすることです」(10)。

医療政策の研究者としては、「生活習慣病」(患者)への誤解や偏見は現実の医療政策にも歪みを生んでいることを危惧しています。

例えば、2016年に自民党の「人生100年時代の社会保障へ(メッセージ)」は、「医療介護費用の多くは、生活習慣病、がん、認知症への対応」であり、「これらは、普段から健康管理を徹底すれば、予防や進行の抑制が可能なものも多い」にもかかわらず、「現行制度では、健康管理をしっかりやってきた方も、そうではなく生活習慣病になってしまった方も、同じ自己負担で治療が受けられる」ことを問題視し、健康管理での自助を促す「健康ゴールド免許」(健康維持に取り組んできた方が病気になった場合は、自己負担を低くする)の創設を提唱しました(1:151頁)。

日本維新の会の昨年10月の総選挙公約も、これとソックリの主張をしました。「医療保険に保険料割引制度を導入」する、「具体的には、定期的な検診受診者や健康リスクの低い被保険者などの保険料を値引きすることで、一人ひとりが健康価値を高める行動を起こすインセンティブを設けます」(11)。

遺伝的要因や環境要因、そして社会経済的要因が大きな影響

しかし、「意見具申」後の膨大な実証研究の積み重ねにより、「生活習慣病」の発症・悪化には、遺伝的要因や環境要因、社会経済的要因が大きな影響を与えることが明らかになっています。

 例えば、日本における健康格差研究を主導した近藤克則千葉大学教授は、2017年、『健康格差社会への処方箋』で、「生活習慣病」は「成人期の生活習慣だけでなく、30年以上前の小児期や、さらには妊娠期にまで遡れる」ことを示したライフコース・アプローチ(疫学)の研究成果を詳しく紹介し、「生活習慣病」が個人の生活習慣のみに帰するとする考えを批判しました(12)。

世界的にも、国民の健康増進のためには、「健康の社会的要因(soical determinants of health. SDH)に取り組む必要が強調されるようになっています。

日本では、イギリスの「社会的処方」が有名ですが、アメリカでも米国科学工学医学アカデミー(日本学術会議と似た組織)が2019年に「社会的ケアを医療提供に統合する」報告書を発表し、それ以降、病院がSDHに取り組んだ報告と研究が急増しています(13)。

「健康の社会的決定要因」という訳語にも疑問

SDHはWHOの報告書の初版(1998)の日本語版が2002年に発行されて以来、ほとんど「健康の社会的決定要因」と訳されています(14)。

しかし、私はSDHを「健康の社会的決定要因」と訳すことには強い疑問があります(2)。私には、社会的要因が健康の「決定的要因」だと連想させる「健康の社会的決定要因」という訳語は、個人の生活習慣が病気の「決定的要因」だと連想させる「生活習慣病」という用語と、ベクトルは逆でも、極端という点で共通していると思えます。

そのために、私はSDHの訳語としては、「健康の社会的要因」、または2024年版医師国家試験出題基準が用いた「社会的な健康規定要因、または2019年に「医療経済学会のスコープ」が用いた「健康の経済的・社会的要因」が妥当と思っています。私自身はもっともシンプルな「健康の社会的要因」を用いています。

なお、先に述べた1996年の公衆衛生審議会の「意見具申」も、「疾病の要因と対策のあり方」として、3つの「要因」(生活習慣要因、外部要因、遺伝要因)を用い、「決定要因」は用いていません。これが医学・医療の一般的用語法と言えます。

健康増進や健康寿命の延伸で医療費は減らせない

ここで誤解のないように、私は、政府・自治体の健康増進・健康寿命延伸と健康格差縮小政策にも、個人が健康増進に取り組むことにも、強制が伴わない限り、賛成です。

私自身も、長年、禁酒禁煙、毎日定時に3食摂取、早寝早起き(夜9時就寝、朝5時頃起床)を励行している「健康優良爺(not児)」です。大学を70歳で退職した2018年からは、それに毎日35分以上の「速歩」を加えています。そのためか、77歳の現在も、心身共にすこぶる健康です。

しかし、医療経済学の膨大な実証研究に基づけば、健康増進・健康寿命延伸政策により、国民の健康状態を改善することはできるが、総医療費・生涯医療費を減らすことは困難です(15、16)。

ここで1つクイズを出します。「この問題で大事なのは、予防と健康づくりは財政のためではないということ。あくまで一人ひとりの幸せのため。そこを置き去りにしてはいけません」(17)。こう発言したのは誰でしょう?私もこの考えに大賛成ですが、私ではありません。

答えは、自民党の小泉進次郎議員です。氏は、2019年に菅義偉官房長官 (当時)との対談で、こう述べました。実は、小泉議員は、先に述べた「健康ゴールド免許証」を提案した自民党の「人生100年時代の社会保障へ」を中心になってまとめました。私は、この発言を読んで、小泉議員のわずか3年間での認識の「深化」を知り、目を見張りました。

健康増進・健康寿命の延伸で総医療費を大幅に抑制できるとの主張は厚生労働省も2006年に行いました。具体的には、厚生労働省は、「平成18年(2006年)医療保険構造改革」時に、生活習慣病予防(メタボ健診など)により平成37年度(2025年度)には、医療費を2兆円「適正化」(抑制)できると主張しました(18)。

しかし、これは経済財政諮問会議や財務省が求めた医療費の「『伸び率管理』への対抗」として、厚生労働省がひねり出した「根拠のない数値目標」だったと、当時財務省から厚生労働省に出向し、この政策作りにも関与した村上正泰氏(現・山形大学大学院教授)が2009年に詳しく証言しています(19)。

ご参考までに、私は、1980年代以降、厚生(労働)省や一部の研究者が発表した「医療の質を向上させつつ(維持しつつ)医療費を抑制する」とのさまざまな提案・主張を検討してきましが、そのほとんどは論理的または実証的に成り立たないとの結論を得ています(20)。興味のある方はお読み下さい。

「生活習慣病」は日本だけが使う「ローカル方言」

5番目に、国際的には「『生活習慣病』はすでにローカル方言・死語となっている」ことを指摘します。これは、橋本英樹東京大学大学院教授が、2021年に発表した論文「『生活習慣病』というラベルの歴史と国内外の動向、そして功罪」の見出しの1つで、非常に的を射た指摘と思い、借用しました(21)。

この論文は、国際的視野から、「生活習慣病」概念の興隆とその時代背景を説き起こし、最後を「『生活習慣病』を克服するときが来た」と結んでいる格調高く、かつ論争的な論文です。橋本氏は、私と同じく、論文全体で「生活習慣病」にカッコをつけています。

私が調べた範囲では、2011年に、デンマークの公衆衛生学研究者のヴァルゴーダ氏が、「『生活習慣病』概念は廃棄されるべき」と、世界で初めて主張しています。具体的には、氏は、デンマーク、ノルウェイ、フィンランド、イギリスで進められていた「いわゆる生活習慣病対策」は疾病の原因のひとつのみを取り出し、人々の行動またはライフスタイルにのみ焦点を当てるため、健康を改善する他の可能性を無視していると批判し、「生活習慣病」概念は廃棄すべきと主張しました(22)。

橋本氏の指摘は、私自身も2017年と2024年のPubMed検索で確認しています(2)。2024年1月25日の検索時に、"life-style diseases"は84件しかヒットせず、そのうち32件は日本人の発表であり、しかもそのうち19件は日本語の雑誌(15件)または日本の学会の欧文誌(4件)に掲載されていました。これは"non-communicable diseases"(NCDs.非感染性疾患)15,803件のわずか0.5%にすぎませんでした。

本日の講演のために、2月10日に再検索したところ、"life-style diseases"は85件で1件しか増えていないのに対して、NCDsは49,882件と3.2倍に激増していました。その結果、lif-style diseasesのNCDsに対する割合は、0.2%にまで低下していました。

それに対して、同じ日に日本語のデータベースであるCiNii で検索したところ、「生活習慣病」は22,989件もヒットし、非感染性疾患は265件にとどまっていました。以上の結果は、橋本氏が指摘したように、「生活習慣病」がもはや日本のみの「ローカル方言」になっていることを示しています。 

とりあえず「生活習慣関連病」への変更を提言

最後に、結論・提言を述べます。それは、日本糖尿病学会と日本糖尿病協会は、糖尿病の呼称変更を検討している。それと合わせて、「生活習慣病」の呼称見直し(健康増進法改正等)も行うべきです。 

同学会・協会は2023年9月に、糖尿病の呼称変更の有力候補として、「ダイアベティス」を示しています。ただし、「ダイアベティス」への異論も根強く、成案はまだまとまっていないそうです。私も「ダイアベティス」というカタカナ語は分かりにくく、国民の支持・理解は得られないと思い、個人的には「高血糖症」の方が良いと感じています。

「生活習慣病」の呼称見直しとしては、2016年に原昌平氏(当時読売新聞大阪本社編集委員)が提唱したように、とりあえず「生活習慣関連病」に変えるのが現実的と考えています(23)。具体的には、健康増進法第16条の「生活習慣病」を「生活習慣関連病」に変えることです。その際、「生活習慣関連病」の範囲も見直し、最低限、「がん」全体を含むことは止めるべきです。

「生活習慣関連病」という用語にも、「生活習慣に関連する病気だから自己責任だ」と思われる危険がありますが、「生活習慣病」という用語が行政を含め、広く使われていることを考慮すると、残念ながら大幅な変更はすぐには困難だと思います。

国際的にはWHOが提唱しているNCDs(非感染性疾患)が広く使われていますし、「健康日本21(第三次)」(2023)では、ほとんど「生活習慣病(NCDs)」と記載されています。しかし、私はNCDsは範囲が不明確で、しかも広すぎると思います。また、「生活習慣病(NCDs)」と併記するのは、控えめに言えば混乱を招きやすい、率直に言えば粗雑・安直です。

なお、2023年5月に発表された「健康日本21(第三次)推進のための説明資料」には、以下の記述がなされました。

「生活習慣病」は生活習慣のみならず、個人の体質等が発症に影響を及ぼすにもかかわらず、その用語から生活習慣の影響のみで発症すると誤解されやすく、第三者からの偏見・差別や、自己否定といったスティグマを生み、場合によってはそのスティグマが健康増進の取組を阻害するという指摘がある。一方で、「生活習慣病」という用語が世間的に広く定着していることを踏まえ、用語のあり方については、社会動向等も踏まえ、中長期的に検討が必要である。
「健康日本21(第三次)推進のための説明資料」

厚生労働省の審議会の文書に、「生活習慣病」という用語への批判・「指摘」が明記されたのは初めてで、特に「用語のあり方については、社会動向等も踏まえ、中長期的に検討が必要である」と書かれたことは意義深いと思います。ただし、「健康日本21(第三次)の本文には、このようなストレートな表現はありません(2)。

痴呆から認知症へ、精神分裂病から統合失調症に変更された例も

ここで、過去の医学用語の変更例を3つ、簡単に紹介します(24)。

まず「老人性痴呆」から「認知症」への変更は、厚生労働省の「『痴呆』に替わる用語に関する検討会」(座長:髙久史磨)で公式に検討され、2014年に「報告書」が発表された後は、マスコミを含めて速やかに用語変更が行われました。これに先立って、日本精神神経学会は全国精神障害者家族会連合会の要請を受けて2002年に「精神分裂病」を「統合失調症」に変更し、それが社会的に広く認知されました。

さらに、私がかつて専門としていたリハビリテーション医療分野でも、「維持期」(リハビリ)という患者・障害者や国民にネガティブな印象を与える用語から「生活期」(リハビリ)への用語変更が、2010年の「地域包括ケア研究会報告書」の提案が契機となり、2011~2012年に厚生労働省(老健局)主導で行われました。

ただし、老人性痴呆や精神分裂病の場合と異なり、この変更はなし崩しで行われたため、リハビリテーション医療界以外にはほとんど知られていません。私の報告は以上です。ご清聴ありがとうございました。

質疑応答

——生活習慣病に関連するものとして、国のメタボ健診(特定健診・特定保健指導)が強く関わっていると思います。個人の生活習慣を変更すること、それを指導することに、巨大な健康関連産業が関わっており、一大産業になっています。これがあるからこそ、「生活習慣病」は個人の生活習慣に帰するという考え方を国は変えられないのではないかという指摘がありますが、これについてはどう考えますか?

その通りだと思います。「メタボ健診」をやる度に、「生活習慣病」患者に対する差別・偏見を強めていると思いますよ。その通りだと思いますよ。

——逆に学術的にはメタボ健診の効果を否定するような論文が複数出ています。特定健診を続けることは政策的に問題があるのではないかと指摘されていますが、予算も多くついて、巨大な健康産業も参入していることから、「生活習慣病」という枠組みを変えられないのではないかと指摘されています。学術的な指摘はあるとしても、そのあたりの「大人の事情」があるから変えられないのではないかという批判が出ています。これについてはどうお考えになりますか?

それは違うと思います。厚生労働省所管の利権集団の枠内ではその通りだと思います。しかし、政府の中で一番、メタボ健診を批判しているのは最強の官庁の財務省なんですよ。財務省は厚労省が2006年に「メタボ健診をやれば2兆円医療費を適正化」という名の医療費削減をできるとしたことを今でも持ち出して、「それは嘘じゃないか」と言っているんですね。財政が厳しくなっていますから、メタボ健診が惰性で続けられることはないと思います。

少なくとも今、国会で問題になっている高額療養費制度の患者負担の引き上げをするぐらいだったら、メタボ健診をやめるか、縮小するか、いずれなくすことに財政的にもなると思います。

——この名称にどれぐらいの意味を感じたらいいのかわからない。感触を伺いたい。たとえば、「生活習慣関連病」に変われば、世の中のスティグマは変わるのか。それとも、法律的な用語を変えることに意味があるのか。色々ご経験されているので、ぜひコメントいただけたら。

二つあります。私も元々は臨床医ですから、友人に臨床医がいくらでもいるわけです。地域の病院に勤めている方、研究会に参加している方もいる。幾度もこの言葉が患者さんにネガティブな影響を与えるということを言われます。橋本英樹先生の言説を先ほど引用しましたが、特に「糖尿病」という言葉については嫌だという声がとても多い。

だから「生活習慣病」よりも「糖尿病」の名称変更の方が先に検討されると思うのです。ただ「ダイアベティス」のような舌を噛みそうな名称はちょっと普及しないのではないかと私は思っています。それだったら高血圧と同じように、血糖値が高いのだから「高血糖症」と言えばいいのではないかとかね。ただ私はあくまでも素人ですから、それは感触の話です。

それからやはり法律って大事なんですよ。健康増進法で、正確に言えばその政令ですが、がんと循環器病を生活習慣病とすると書いてしまっているんです。これはすごい重みなんですね。個人や学会の一部がちょこちょこ話すわけではなくて、国の法規で書かれていることはすごく国民を縛るんです。政策を縛る。

だからとりあえず、「生活習慣関連病」がいいのではないかと、妥協的に使っています。私は弱い人間なので、あまり過激なことを言えないのですけどね。そうすれば今よりは(スティグマが)減ると思うんです。言葉が変わったことを政府の広報のレベルでもマスコミのレベルでも宣伝すればずいぶん変わると思うんです。

たとえば、最後に触れましたが、今では誰も「老人性痴呆」なんて言わないですよね?言ったら殺されちゃいますよね?だけどほんの十数年前まではみんなが普通に「老人性痴呆」と言っていたんですよ。それから「精神分裂病」も今では誰も言わないですよね?統合失調症はなかなかうまい名称だと思いますけれども、ほんの十数年前まではごく一部の人を除いて、私も含めて「精神分裂病」と使っていたんですよ。

そういう点で見ると、国のレベルで、法律のレベルで用語が変われば、偏見はなくなるとまでは言わなけれども、だいぶ減る可能性がある。

私がさっき批判的に言いましたが、今、岐阜県知事をやっている江崎禎英さんの本のタイトルじゃないですが「社会は変えられる」ということなんですよ。私は彼の考えに賛成ではないけれど、この本のタイトルはその通りだと思いますよ。以上です。

【二木立(にき・りゅう)】日本福祉大学名誉教授

1947年生まれ。1972年、東京医科歯科大学(現・東京科学大学)医学部卒業。代々木病院リハビリテーション科科長、病棟医療部長、日本福祉大学社会福祉学部教授を経て、2013年日本福祉大学学長に。

2018年3月末、定年退職。『文化連情報』と『日本医事新報』に連載を続けており、毎月メールで配信する「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」は医療政策を論じる多くの官僚、学者、医療関係者が参考にしている。

著書は、『コロナ危機後の医療・社会保障改革』『2020年代初頭の医療・社会保障』『病院の将来とかかりつけ医機能』(いずれも勁草書房)等、多数。

【引用文献】

(1)二木立「厚生労働省の『生活習慣病』の説明の変遷と問題点-用語見直しを検討する時期」『文化連情報』2017年9月号(474号):16-23頁(『地域包括ケアと医療・ソーシャルワーク』勁草書房,2019,.150-161頁)

(2二木立「『生活習慣病』と『健康の社会的決定要因』の用語見直しの必要性・再論」『文化連情報』2024年3月号(552号):40-46頁。

(3)川上武『現代の医療問題』東京大学出版会、1970,211頁(二木立「川上武先生の医療政策・医療史研究の軌跡と現代的意義」『民主党政権の医療政策』勁草書房,2011,161-178頁で紹介)。

(4)川上武『現代日本病人史』勁草書房,1982。

(5)川上武編著、坂口志朗・藤井博之編集協力『戦後日本病人史』農文協,2002。

(6)上田敏『リハビリテーションを考える-障害者の全人間的復権』勁草書房,1983。

(7)日野原重明「成人病に代わる『習慣病』という言葉の提唱と対策」『教育医療』15(3):1-3,1978(日野原重明『医療と教育の刷新を求めて』医学書院,1979,32-35頁)。

(8)日野原重明『「生活習慣病」がわかる本-あなたがつくり、あなたが治す病気』ごま書房,1997年。

(9)二木立「『麻生発言』で再考-死亡前医療費は高額で医療費増加の要因か?『日本医事新報』2013年3月9日号(4637号):30-31頁(二木立『安倍政権の医療・社会保障改革』勁草書房,2014,130-133頁)。

(10)江崎禎英『社会は変えられる 世界が憧れる日本へ』国書刊行会,2018,47,55頁。

(11)二木立「医療・社会保障の選挙公約での与党と一部野党の『逆転現象』」『文化連情報』2024年12月号(561号):22-25頁。

(12)近藤克則『健康格差社会への処方箋』医学書院,2017,第1章「ライフコース・アプローチ」。

(13)二木立「健康の社会的要因の重視には大賛成.しかし、日本での『社会的処方』の制度化は困難で『多職種連携』の推進が現実的だ」『2020年代初頭の医療・社会保障』勁草書房,2022,168-175頁。

(14)高野健人監修・監訳、特定非営利活動法人 健康都市東京推進会議・日本健康と史学会訳『健康の社会的決定要因 確かな真実の探求』WHO健康都市研究協力センター,2002

(原著:Wilkinson R, Marmot M (eds): Social Determinants of Health: The Solid Facts. WHO, 1998)。

(15)二木立「地域包括ケアと地域医療連携」勁草書房,2015,第5章第3節「健康寿命延伸で医療・介護費は抑制されるか?-『平成26年版厚生労働白書』を読む、同第4節「予防・健康増進活動の経済評価の主な文献」。

(16)康永秀生『健康の経済学 医療費を節約するために知っておきたいこと』中央経済社,2018,228-244頁(「予防医療で医療費を減らせるか?」)。

(17)菅義偉・小泉進次郎「(対談)令和の日本政治を語ろう」『文藝春秋』2019年9月号:94-105頁(二木立『コロナ危機後の医療・社会保障』勁草書房,2020,34頁で引用)。

(18)栄畑潤『医療保険の構造改革 平成18年改革の軌跡とポイント』法研,2007,80頁。

(19)村上正泰『医療崩壊の真犯人』PHP新書,2009,169-174頁(「医療費適正化計画に位置付けられたメタボ健診と平均在院日数短縮」)。

(20)二木立「医療の質を向上させつつ医療費を抑制するとの諸提案の検証」『文化連情報』2024年2月号(551号):32-38頁)。

(21)橋本英樹「『生活習慣病』というラベルの歴史と国内外の動向、そして功罪」『糖尿病プラクティス』38(2):164-168頁,2021。

(22)Vallgrda S: Why the concept "lifestyle disease" should be avoided? Scandinavian Journal of Public Health 39:773-775,2011.((1):159頁で引用)

(23)原昌平「糖尿病・人工透析は自堕落のためか?」「京都保険医新聞」2016年10月10日号。

(24)二木立「『維持期リハビリ』から『生活期リハビリ』への用語変更の経緯を探る」『病院医療の将来とかかりつけ医機能』勁草書房,199-213頁。

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