キッチンカーで夢見ていたイタリアンのオーナーシェフに 脳腫瘍で倒れた後につかんだ新しい未来

一流レストランで修行を積み、独立のための準備を始めていた時に脳腫瘍で倒れた貫井昭洋さん(34)。両親が農業を営む土地のそばにキッチンカーでイタリアンの店を開きました。どんな道を歩んできたのでしょうか?
岩永直子 2023.11.13
誰でも

いつか自分の店をと願って、一流レストランで14年間、修行した。

やっと独立のための準備を始めていた2年前、脳腫瘍で倒れた。

そんな苦難を経て、両親が農業を営む畑の隣に昨年、開店したイタリアンのキッチンカー「Fio Nuku(フィオヌク)」(東京都西東京市)。

少し前に思い描いていた未来とは違った形になったが、オーナーシェフの貫井昭洋さん(34)は自分の作った料理でお客さんを笑顔にするという夢を叶えている。

両親が農業を営む土地のそばでイタリアンのキッチンカーを開店したオーナーシェフ、貫井昭洋さん(撮影:岩永直子)

両親が農業を営む土地のそばでイタリアンのキッチンカーを開店したオーナーシェフ、貫井昭洋さん(撮影:岩永直子)

「コックになりたい」 幼い頃からの夢を叶えるために修行

幼い頃から、自分でご飯を作るのは当たり前の子供だった。

祖父母の代から農業を営む貫井農園では、収穫などで忙しい時期に両親は家にいない。夕飯も遅くなる。

両親が野菜を作る畑。なしや柿の果樹園もある(撮影:岩永直子)

両親が野菜を作る畑。なしや柿の果樹園もある(撮影:岩永直子)

「食べるのが好きですし、お腹が空くので自然と作るようになりました。ご飯を鍋で炊いて、簡単な卵料理を作るぐらいでしたが、料理は好きで、小学校6年の卒業文集では既に『コックになりたい』という夢を書いていました」

高校を卒業して調理師専門学校に入り、卒業後は五つ星ホテル「グランドハイアット東京」のイタリアンレストラン「フィオレンティーナ」で修行した。一通りの基礎はそこで身につけ、神楽坂のコース料理中心の個人店に移って全ての工程を一人で切り盛りする術も学んだ。

その後、ホテル時代のシニアソムリエが独立して開店したイタリアンレストランに誘われて料理長となり、4年ほど働いた後、いよいよ独立して自分の店を開く準備を始めた。

横浜のレストランは週1回の勤務に減らし、生活費を得るために近所の老人ホームで週2〜3回ほど調理のアルバイトをした。

「サラリーマンの料理人がいい人もいると思いますが、僕はずっと独立したいと思っていました。実家の野菜を使った料理を作りたかったので、近所に作ろうと思って店舗物件を探し、調理機材や皿、仕入れ先などを選んでいました」

夢に向かって具体的に動き始めていた時、運命が立ちはだかった。

風呂上がりに倒れ、脳腫瘍が明らかに

2021年1月15日夜、風呂から上がった時、脱衣所で意識を失って倒れた。自分では倒れたことも覚えていない。近くにいた妻が見つけた時には意識が戻り、妻から連絡を受けた近所に住む両親が駆けつけた。

「頭を打ったかもしれないから、念の為病院に行ってみたら?」

そう母に言われ、翌日、脳神経外科病院を両親と受診した。

MRIを撮ると、左前頭葉の広い範囲が白くなっていた。脳腫瘍だと告げられた。

「『余命が2年もないと思うから、早く手術したほうがいい』と急に言われて、呆然としました。母は泣いていましたが、自分は医師がそう言っているのだからそうなのだろうと思いながら、わけがわかっていなくて涙も出ませんでした」

高校時代はラグビーをやっていたがっちり体型で、それまで病気一つしたことがなかった。頭痛はあったが、それほど強い痛みだったわけでもなく、倒れるまで気になる症状は全くなかった。

まさかのがん告知だった。

手術で言葉や手足の機能が失われる恐れも

その日のうちに国立がん研究センター中央病院を紹介され、2月1日に手術を受けた。二人目の子供の出産予定日を翌月に控えていた時だった。

「腫瘍を全て取ると動けなくなるから全部は取れないけれど、中心部分はがんで機能を失っているから、切除しても状態が変わることはないと言われました。左前頭葉の中心部を取り、あとは放射線や抗がん剤治療をするということでした」

左前頭葉は、言葉を話す機能や手足を動かす機能、理性、人格などを司る。「手術をすると、言葉が出なくなったり、手足が動かなくなる可能性もある」とも言われた。

「がんと言われた時点で呆然として、独立するぞという気持ちや準備はストップしたので、料理人としてどうなるかという不安よりも、とりあえず手術をしなければという気持ちばかりでした」

後遺症を極力減らすため、意識のある状態で手術は行われた。8時間かかった。

「事前に何月生まれかとか、きょうだいは何人かとか、ボールはどんな形かなど30問ぐらい質問されて答え、手術中に同じ質問にもう一度答えていく。答えられなくなったり、口ごもったりしたら、そこは取らないほうがいいと判断して、機能を失わないようにしてくれたようです」

ほぼきちんと答えられていたが、「ボールはどんな形ですか?」と聞かれた時に、「丸です」ではなく、「白です」などと答えていたと後で聞いた。そんなギリギリの手術を受けていたのだと実感した。

店舗開業のリスクは背負えない がんの哲学外来やがんカフェで相談

事前の説明通り、腫瘍の全ては取りきれなかったものの、手術後の後遺症も特には感じられなかった。2週間ほどで退院し、手術後は週5日の放射線治療と、1ヶ月に5日間抗がん剤の飲み薬を続けた。

胃もたれやつわりのようなむかつきが出て、ご飯の匂いがダメになった。ツルツルした喉越しの良いものは食べられたので、冷たい麺ばかりを食べていた。

仕事は脳腫瘍の告知を受けた時点で、傷病休暇をギリギリまで取って辞めることになった。

「2019年に長女が生まれ、手術の翌月には次女が生まれたばかりで妻は不安だったと思います。ただ妻も働いていて稼ぎがあったので、生活費の心配はそれほどなかったのはありがたいことでした。それでも、これから自分の仕事をどういうふうにしたらいいのか、すごく悩んでいました」

店舗を構える形で独立の準備を進めていたが、多額の借入をしなければならない。家賃も毎月かかってしまう。

「これからどれだけ生きられるかもわからないので、そこまでのリスクは背負えないと思いました」

がんになって急に変えられた自分の人生。どうやって受け止めたらいいのか。今後の人生をどう考えていけばいいのか悶々としていた時、近所の東久留米市や東村山市などで、がん患者が集まって語り合う「がんカフェ」や、医師と共にがん後の人生を考える「がん哲学外来」があることを知った。

腫瘍の影響でけいれんが起きる恐れがあるので、車の運転はしてはいけないと主治医に言われていた。姉が車で連れて行ってくれた。

「そこでみんなががんになってどんなことに悩んでいるのか聞き、がんに対する考え方や、こんな本があるよなどと教えてもらったりしました。自分の悩みも話し、『前と同じ状況ではないから、夢があって少し路線が変わっても、料理を出して人に喜んでもらうことは変わらないのだから違うスタイルでやってもいいんじゃない?』と言ってもらったりしました」

同じようにがんで人生が変わった仲間たちと話しているうちに、少しずつ自分の未来について「今、できることをやっていけばいい」と落ち着いて考えられるようになった。

キッチンカーでお客さんを喜ばせるには? 

「キッチンカーで店をやればいいんじゃない?」と最初に言ったのは、9つ上の兄だったと思う。

「開店のためにかかるお金などを現実的に考えた時に、やってみようかなと思いました」

両親の畑のそばに車を置いて営業するならば、走る機能をそれほど重視する必要はない。走行距離が長い中古のキッチンカーは安く、購入資金をかなり抑えることができた。

ただ、料理は火力の強いコンロで本格的に作りたい。業務用のコンロや冷蔵庫を買って備え付け、狭いながらも満足できる調理環境を整えた。

火力の強い業務用コンロを使ってパスタソースを作る。3口のコンロのうち、一つはパスタの茹で湯に、二つはパスタのソース作りに使う(撮影:岩永直子)

火力の強い業務用コンロを使ってパスタソースを作る。3口のコンロのうち、一つはパスタの茹で湯に、二つはパスタのソース作りに使う(撮影:岩永直子)

「店とキッチンカーではお客さんの求めるものも違います。レストランなら、席についてお酒を飲みながら料理を食べてその場を楽しんでいただくわけですが、テイクアウトが基本のキッチンカーは自宅で召し上がる。提供を早くしたり、冷めても美味しい料理を出したりする工夫が必要だと思いました」

自慢のローストビーフ。冷めても美味しい肉料理の代表格だ。付け合わせに貫井農園の柿を(撮影:岩永直子)

自慢のローストビーフ。冷めても美味しい肉料理の代表格だ。付け合わせに貫井農園の柿を(撮影:岩永直子)

メニューはパスタ2品と、冷めても美味しいローストビーフなどの肉料理に限定し、パスタはあらかじめ乾麺を水につけておいて、1分ほどで茹で上がるように工夫した。

水につけたパスタ。1分ほどで茹で上がり、素早く提供できる(撮影:岩永直子)

水につけたパスタ。1分ほどで茹で上がり、素早く提供できる(撮影:岩永直子)

2022年に開店 「無理せず続けよう」

こうして、2022年4月7日に開店した。

店の名前は、最初に修行したイタリアンレストラン「フィオレンティーナ」や、大好きな映画『紅の豚』の若き技師、フィオにちなんだ。

貫井農園の入り口にある古い桜の木は満開で、新たな旅立ちを祝ってくれているかのようだった。

満開の桜の木のそばで開店したFio Nuku(貫井昭洋さん提供)

満開の桜の木のそばで開店したFio Nuku(貫井昭洋さん提供)

友人や知り合いが大勢駆けつけてくれて、行列を作った。予想以上のお客さんに、無我夢中で感慨に耽っている暇はなかった。

ただただ「やっと独立できた。無理せずにやっていこう」という、穏やかな満足感があった。

開店の時にはたくさんの花が届いた(貫井昭洋さん提供)

開店の時にはたくさんの花が届いた(貫井昭洋さん提供)

病気の方は今も毎月1〜2回、通院し、抗がん剤治療を続けている。

昨年12月には取り残した腫瘍が大きくなり、2回目の手術を受けた。

主治医からは「段取りを立てるのに必要な部分なので、もしかしたら手術後にそれが難しくなるかもしれない」と言われて不安になった。だが、今回も大丈夫だった。

「腫瘍は小さくなっているわけでもないのですが、現状維持を続けていられれば大丈夫と言われています。今の主治医や看護師さんはとてもいい人たちで、僕の仕事や生活になるべく影響のないように治療も考えてくださっています。MRIを撮る時はいつも緊張しますが、その先のことを考えてもどうしようもないので、なるべく考えないようにしています」

多い時は60人のお客さんも

そして今も、両親の作る季節の野菜をメニューに取り入れながら、週4回ランチの営業を続けている。忙しい時は母や姉が店を手伝ってくれている。

パスタ2品、肉料理の他、予約をしてもらえたら前菜の盛り合わせも作り、余裕があれば季節のキノコを使ったポタージュやジェラートも作る。今はわさびとキャラメルのジェラートが好評で、夏にはかき氷も出す。

ワタリガニのパスタ。貫井農園で採れた里芋とごぼうが入っている(撮影:岩永直子)

ワタリガニのパスタ。貫井農園で採れた里芋とごぼうが入っている(撮影:岩永直子)

「普段は30人前後、テレビなどの放映があった後には60人ぐらいお客さんが来る時もあって、休日の月、木も仕込みで大変ですが楽しいです。『美味しかったよ』と言ってリピートしてくれる人がいるのが嬉しいし、誰にも迷惑をかけず、一人で自由にやることができるのはありがたいことです」

キッチンカーのすぐそばには貫井農園の農産物直売所もある(撮影:岩永直子)

キッチンカーのすぐそばには貫井農園の農産物直売所もある(撮影:岩永直子)

すぐそばで息子のことを見守る父の耕一さん(72)と母の陽子さん(69)は息子が病を抱えながらも、自身の夢を叶えているのを喜んでいる。

「脳腫瘍と聞いた時はパニックでした。でもこうして店を開いて、料理で人に喜んでもらっているのを見ると、私たちも嬉しいですよね。親としてできることはなんでもやってあげたい。これ以上悪くならないよう、この生活がずっと続くよう祈るだけです」

両親の野菜と支えで店を切り盛りしている(撮影:岩永直子)

両親の野菜と支えで店を切り盛りしている(撮影:岩永直子)

がん仲間や家族と深まったつながり

妻や幼い二人の子供も時間のある時は店に来て、自分の作った料理を食べて喜んでくれている。

がん仲間のお客さんが自身のことを心配してくれたり、「こんな薬を飲むことになったんですよ」と自身の治療のことを話してくれたり、交流の場にもなっている。先日は、近所に住む人ががんになって手術を受けると言って、食べに来てくれた。

「がんになったこと自体は不運なことかもしれませんが、主治医や看護師さんなどがんになって出会えた素晴らしい人たちもいるし、僕ががんのことを公にしているのを知って、がんになったお客さんも食べに来てくれます。がんになっても料理を作って頑張っていると感じてもらえたら嬉しいです」

店で働いていた時は1日13〜14時間働き、家族との時間もあまり取れなかった。

「こうした形で店を開き、家族や実家の両親や姉との関係もより親密になっています。保育園のお迎えも行き、きっと店舗で独立していたら持てなかっただろう娘たちとの時間も取れています。病気で道は変わりましたが、良いことだってある。健康が第一なので、体調が悪い時は休みながら無理せず続けていけたらと思います」

【貫井昭洋(ぬくい・あきひろ)】イタリアンキッチンカー「Fio Nuku」オーナーシェフ

1989年、西東京市にある貫井農園の次男として生まれる。2008年、調理師専門学校卒業。五つ星ホテル「グランドハイアット東京」のレストラン「フィオレンティーナ」で修行。神楽坂「Ristorante SOPRA  ACQUA」、横浜「wine and Cheese dinning NINE」料理長を経て、2022年4月、農家のキッチンカー「Fio Nuku」開店。2021年に発症した脳腫瘍の治療を続けながら、実家の「貫井農園」の野菜や果物をたっぷり使った料理を提供している。

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