「危機が迫った時に私たちは容易に人を攻撃する」人文社会科学系の委員が新型コロナ対策で貢献したこと、残った課題

政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家分科会」が廃止され、人文社会科学系の研究者として参加した武藤香織さんが貢献したこと、課題として残ったことについて総括しました。
岩永直子 2023.09.15
誰でも

政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家分科会」が廃止され、9月14日に退任の記者会見を開いた東京大学医科学研究所公共政策研究分野教授の武藤香織氏が3年半を総括しました。

人文社会科学系の構成員として果たした役割について語る武藤香織氏

人文社会科学系の構成員として果たした役割について語る武藤香織氏

詳報します。

人文社会科学系委員として、貢献したこと、見つけた課題

私も2020年2月から、国の新型コロナウイルス感染症の対策に関与させていただき、今は東京都でも対策に関わっています。

感染症対策の素人でして、私の専門は医療社会学です。医療の倫理を研究してきました。

そのような素人だった私を受け入れてくださって、それこそ言い合いになるような関係性まで築かせていただいて、多くの専門家の方々に感謝したいと思っています。

私からは大きく二つのことを振り返りでお話しさせていただきます。

一つはこうした対策の会議の場における少数派の委員である人文社会科学系の委員としての私の立場について。

もう一つは多少なりとも貢献できたかなと思う施策と、今でも積み残し課題でありこれからも課題であろうことについて、振り返りをさせていただきます。

後から研究する人文社会科学系学者が、リアルタイムで関与する意味

公衆衛生や医療の専門家と違って、人文科学系の専門家というのは、今、まさに何かが起きているという事象をその場で関わることは非常に少なくて、後から論評したりそこで集められたデータを使って研究することが一般的な研究実践となります。

パンデミックとか災害のように、非常に限られた時間、非常に限られた情報で政策判断を迫られる環境で助言をすることについては、ほとんどの人は巻き込まれたくない。そんなところに関与するのは学者の仕事ではないと思っている人が多いと思います。

私は2020年の2月3日に、厚生労働省の方に電話で頼まれて、最初は厚労省のアドバイザリーボードのメンバーからスタートしました。そこに投入された以上は、対策に関して助言する責任を尾身(尾身茂氏)さんや岡部さん(岡部信彦氏)をはじめ、医療・公衆衛生の専門家と一緒に分かち合う責任を負うことになります。

そのような人文社会科学系の者がパンデミックの渦中にすごく複雑な法制、政治過程の中でリアルタイムにできることは一体何なのか。それは当初から重い課題としてあり、今でも答えとして出ていません。

科学や医療を客観的に見る人文社会科学系の学問が見出した原則をぶつける

その中で私が自分なりに見出した役割は4つあったと思っています。

一つは情報が制限されて短時間で政策決定されるような現場であるからこそ、生命倫理や公衆衛生倫理といった分野が培ってきた倫理的な原則、考え方、概念、それから社会学や文化人類学、科学技術社会論のように、科学や医療を客観的に見る人文社会科学系の学問があります。そういう学問が見出してきた概念に立ち返って物事を見ることは非常に大事だと思いました。

実は、尾身さんや岡部さんをはじめ専門家の方々も、それまでの感染症対策の原則から見て現状はどうなんだということを判断してきました。

その原則同士をぶつけ合うようなことが大事なのでしょう。そして専門家や政府の議論が危うい時に、それを私が伝えるということが役割の一つでないかと思います。

専門家視点の政策で負の影響を受ける人々の声の代弁

二つ目は、公衆衛生や医療の専門家に見えているリスクや危険、それを回避するための方策を検討する過程で、その政策によって負の影響を受けるかもしれない人々、声を上げられない人々の存在、あるいはその方々がどう見るかということについてできる限り想像して伝えるというのも役割だと思いました。

公衆衛生や医療の価値観とは別の価値観を伝える

三つ目は、公衆衛生や医療が重視する価値は極めて尊重されるべきものですけれども、さまざまな価値観が存在する社会では、その価値観はごく一部であるという言い方もできるでしょう。

公衆衛生や医療の専門家の議論が白熱している時には、それを少し距離を置いて見て、「ちょっとそれはそんなにゴリゴリ押せないんじゃないでしょうか?」ということを伝えるのも私の役割だと思いました。

メディアや一般の人が医療に対して抱く誤解を解きほぐす

それと同時に最後の四つ目の役割としては、人文社会系の人たち、あるいはメディアの方々、一般の方々が公衆衛生や医療に対して誤解をしたり、疑っていたりして、それが事実と違うなと思う時に、それを解くような役割。これも自分のミッションだと途中から考えるようになりました。

人文社会科学系の研究グループも議論を支える体制が必要

公衆衛生や医療の方々、政治家や官僚の方々も、それぞれの持ち場で直面し悩んでいることについて色々と率直に意見交換していただいて、私が申し上げることについては何度となく共感していただきました。全く話が通じなくて無視されることは一度もありませんでした。

ただ、限られた時間と情報に基づいて助言せざるを得ない私たちのような立場の者を、エビデンスの面から支援してくれる研究者グループは公衆衛生や医療ではもちろん必要でしたし、人文社会科学の方でも必要でした。

今回は個人的なネットワークでボランティアとして助けてくださった人文社会系の仲間がいて、その方々には改めて感謝申し上げたい。

しかし、新たな推進会議の方々が私たちと同じような経験をしないようにするために、機動力をもって研究者ネットワークを組織的に動かせる体制の整備は絶対に今解決しておくべき課題です。

これは政府だけでなく、アカデミア側でもどう貢献できるのか真剣に考えて政府と対話してほしいと思います。

感染者、濃厚接触者に対する差別・偏見への対応に貢献

二つ目の大きなテーマですが、これまでの対策への貢献と達成できなかったことについて述べたいと思います。

貢献できたと思ったことは、感染者や濃厚接触者に対する偏見・差別への対応に関することです。

2020年の当初、院内感染、施設内感染の制御は非常に難しい状況だったにもかかわらず、非常に多くの批判が医療機関や福祉施設、医療従事者、ケア提供者の方々に寄せられて、それが偏見・差別の原因になったと思っています。

また、学校や職場、遊興施設、特に批判されたのは遊興施設だと思いますが、そういったところでのクラスター(集団感染)発生には厳しい批判がありました。

2021年の4月に新型コロナウイルス感染症対策分科会ができた時に、最初に会長であった尾身先生に、この問題を解決するワーキンググループを作ってほしいとお願いしました。

報告書を取りまとめた結果、新型インフルエンザ等対策特別措置法が改正されて、第13条に国や地方公共団体の責務という形で、知識の普及や差別の実態把握、相談支援、防止に向けた啓発などが追加されました。

今後、新たな感染症が流行した時には、当初からこの条文に基づいて活動が始まり、メディアの皆さんにもこれを理解した上で、報道していただきたいと願っています。

当時、このワーキンググループに非常につらい状況の中でヒアリングに協力してくれた方々の中に、ある高校の野球部の方々がありました。今年夏の甲子園にその高校の方々が出場されていまして、非常に感慨深く思ったところです。ヒアリングに協力してくださった皆様に改めてお礼を申し上げたいと思います。

今年、関東大震災から100年ということで色々な振り返りがなされていますけれども、「福田村事件」(関東大震災直後の不安や混乱の中で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などという流言飛語が広がり、朝鮮人と間違われた行商人9人が村人に殺害された事件)とか色々なことが、今も共通するテーマとして残っていると思います。

改めて、危機が迫った時に私たちは容易に人を攻撃するということを、自分たちの弱さとして直視した上で、人権擁護法制を整備していくことも大事ではないかなと思っています。

優先順位の決定の仕方、面会や看取りの制限 残された課題

一方で、当初から懸念して問題提起したけれども、そのままになっているものがいくつかあります。

たとえば、人工呼吸器や病床が不足した時の優先順位の決定の仕方、流行中の感染症と他の疾患の医療のどちらを優先するのかという優先順位の問題、また、どのような時に面会や付き添い、看取りの制限を正当化できるのか。

こういうことは非常に難しい判断を求められるものですが、その多くが現場任せにされました。最終判断はもちろん地域や医療機関によって異なるということは前提としたうえで、どのようなことを考慮してそのような難しい判断をすべきだったのかについて、国も早めに示すべきだったと思っています。

それがあれば、受けられなかった医療、できなかった面会・看取りに納得できない人々からの攻撃を医療や福祉だけに向けさせることはなかったのではないかと思います。

この感染症と共存するために必要なこと

また、今年の春に「マスク外し」をめぐる議論がありました。

5類になったとはいえ、重症化しやすい高齢者へのケアは引き続き必要ですし、高齢者と同居する方々、施設で働く方々の緊張感は今も続いています。

今日の会見は一つの区切りではありますけれども、この感染症と共存せざるを得ない事実は変わることはありません。

後遺症に苦しむ人がおられ、一部の地域では医療の制限も始まっています。

病床を確保しにくい属性の方々がいて、今までは行政が入院調整という形でその方々に医療を確保することをやってきましたが、それもやがてなくなる状況になります。

そのような中で、これから私たちの社会のケアというものをどう考えるべきかを抜本的に考えることも必要だと思います。

誰もが周囲、家族の方々をケアする「1億総ケアラー社会」という表現があります。そのような中で割と女性に偏りがちなケアの負担を女性任せに容認せず、病気休暇制度、ケアの休暇制度を普及させるとかは今後も必要であると思います。ここで議論を止めることなく、政策決定に議論を進めていただきたいと思います。

これまで大変お世話になりましてありがとうございました。

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