初めての単著『言葉はいのちを救えるか? 生と死、ケアの現場から』の「はじめに」全文公開

6月26日に初めての単著『言葉はいのちを救えるか? 生と死、ケアの現場から』(晶文社)を出版しました。ニュースレター読者の皆様に、「はじめに」を全文お届けします。
岩永直子 2023.06.27
誰でも

6月26日に初めての単著『言葉はいのちを救えるか? 生と死、ケアの現場から』(晶文社)を出版しました。2007年5月にBuzzFeed Japanに入社してから書いきた記事に、加筆修正してまとめた本です。

この前書きにあたる「はじめに」で私が医療記者になったきっかけと、どんな思いで医療やケアの現場を取材してきたかを書いています。私が言葉に対して抱いている信念も綴っています。

このニュースレターもその延長線上にある発信です。ぜひご一読いただき、本も手に取っていただけたら嬉しいです。最終章では「はじめに」で書いた信念がぐらつく出来事が起こり、私がもがき迷ったことをそのまま書いています。

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『言葉はいのちを救えるか? 生と死、ケアの現場から』(晶文社)。表紙写真は、本の中にも登場する写真家、幡野広志さんがインタビューを受けている時、メモを取る私の手を撮影してくれたものです。「インクで汚れているところが好きだ」と言ってもらいました。

『言葉はいのちを救えるか? 生と死、ケアの現場から』(晶文社)。表紙写真は、本の中にも登場する写真家、幡野広志さんがインタビューを受けている時、メモを取る私の手を撮影してくれたものです。「インクで汚れているところが好きだ」と言ってもらいました。

はじめに

 どうして人はいつか死んでしまうのに生きるのだろう。自分がこの世から消滅する恐怖、ひとりぼっちで死んでいかなければいけない孤独に耐えられるのだろうか。

 大学生の時、父が重い血液がんになったことをきっかけに、そんな疑問が頭から離れなくなった。あれこれ生死に関する本を読んでも答えは見つからない。実際に死を目の前にした人が何を感じているのか知りたい。そんな思いから終末期にある人の苦痛をケアするホスピスでボランティアを始めた。それが、後に医療記者を志すきっかけだ。30年も前のことになる。

 通常、ボランティアは患者の部屋の花瓶の水換えやお茶汲みだけをし、患者や家族とはあいさつ程度の関わりしか持たない。だがその頃、趣味で指圧を習っていた私は、病院の許可を得て状態が落ち着いている患者さんに軽いマッサージをさせてもらっていた。だるさやむくみが少しでも楽になるように丹念に体をさする。個室で二人きりのしんとした時間、ぽつぽつと自分のことを話してくれる人もいた。

 乳がんが全身に転移していた40代の主婦Nさんは、中でも特によく語り合った人だ。振り返ると、今の自分と同じぐらいの年齢だったことに驚く。

 がんで脆くなった首の骨が崩れたら呼吸が止まる恐れがあり、ベッドから全く動くことができなかった。「あなたの元気をもらえるような気がする」と、若かった私がマッサージに訪れるのをいつも歓迎してくれた。

 くるくる動く大きな眼に笑みを浮かべ、「シャンになりましょうね」と言うのが口癖だった。意味を聞くと、「見た目だけでなく、立ち振る舞いが粋で、内面も美しい女性のことを言うのよ」と教えてくれた。

 そして、いつも誰かの役に立ちたがった。

 息子や娘が見舞いに来る度に勉強やスポーツ、毎日の食事について母親らしくアドバイスをする。私がボランティアを始めた動機を話すと、「何でも質問してちょうだい」と、治らないがんになった体験を率直に話してくれる。若い看護師には患者の本音や願いをユーモア混じりに伝え、優しい教育係のようになっていた。まさに「シャン」な女性だった。いつも朗らかだったそんなNさんが、週に一度しか来ない学生の私に少しずつ自分の苦しみや不安を話してくれるようになったのは不思議なことだ。

 自身の病状や治療についてすべて説明を受け、十分理解もしていた聡明な人が、「病は前世の行いの因果応報」と説く宗教に入信し、独自の代替療法を受けていた。その信仰にも徐々に疑念を抱くようになり、家族が買い込んでくる大量の健康食品を飲むのが苦痛だと涙を流した。スポーツで鍛えた身体に自信があったのに病気になり、思春期の子どもたちのそばにいてやれないことを悔しがった。自分の弱さも隠さなくなった彼女のことを私はますます好きになった。

 病状がさらに進むと、子どもたちが通いやすくなるように自宅近くの病院に転院し、私はそこにも見舞いに通った。痛みを和らげる薬のせいか、家族や私の見舞い中もうとうとすることが増えた。ある日、私がいるのに寝ていたことに気づくと、空を見つめてゆっくりと問いかけた言葉が忘れられない。

「これでも人間かしら? 人間かしら?」

 彼女がそんな言葉を口にするのは初めてだった。自分がどう答えたのかは覚えていない。

 会話すること、考えることが難しくなり、苦悩を感じることさえおぼつかなくなっていく。それでもなお生きるNさんの命は、何の意味づけも拒んでただそこに在った。だがわずかに残るNさんの意識は、自身がそのような状態で生きていることを肯定することができないようだった。

 Nさんにそう問わせたものは何なのだろう。「人間である」とはどういうことなのだろう。

 その時、ホスピスが掲げる理想の裏にある「人間らしくない死」のようなものが本当にあるのかという疑いが初めて私に芽生えた。彼女が見せてくれたむき出しの生には、そんな言葉を使わせない凄みがあった。彼女は間もなく亡くなった。

 その後、私はホスピスで今度は1年間、調査をさせてもらって、死にゆく人が抱える恐怖や生死の意味への問いに対して、ホスピスがどのようなケアをしているのか考察する卒業論文を書いた。問いは解消されたわけではなく、さらに深まった。卒業後は、疑問に思ったことを自分の目と耳で追う医療取材をしたくて新聞社に就職し、入社10年後にやっと医療取材の部署に配属された。転職したインターネットメディアでも医療を取材している。

 あのホスピスでの体験が医療取材の出発点となった私にとって、病いは常に医学だけの問題ではなかった。最後に彼女が私に投げかけた問いはずっと私の芯に残り続けた。科学的根拠を取材のベースとしながらも、興味をひかれるのはいつもその人の病いの体験に近づくことだ。

 社会制度や世間の視線が病いや障害がある人を生きづらくさせる。たまたま生まれ落ちた家庭環境や教育が生涯にわたる健康格差をもたらす。ワクチンのためらいにも、ニセ医学に惹かれてしまうことにも、医療者やメディアのコミュニケーションの問題が横たわる。2016年に神奈川県で起きた相模原事件では、「障害者は不幸を作ることしかできません」と言う男が意思疎通のできない知的障害者19人を刺し殺し、26人にけがを負わせた。男の思想に賛同するような言葉もネット上にあふれた。

 子どもが産めるかどうかで、「生産性がない」と性的マイノリティを切り捨てる政治家もいる。

 どこにも居場所がなくて、自ら命を絶つ若者が後を絶たない。

 緩和ケアは今も十分でなく、安楽死の実現を求める患者がいる。患者の自死に手を貸す医師や、医療費削減のために安楽死を持ち出す知識人もいる。

 私がホスピスに通っていた頃から30年近く経った今も、人の生死やケアの周辺には、「これでも人間かしら?」と他者や自身に問わせてしまう言葉や思想がはびこっている。

 その一方で、人生を揺るがすようなつらい体験や喪失を抱えながらも、打ちのめされたままではいない人間の底力のようなものに心を打たれた。理不尽な運命や悪意に抗う意志や人とのつながりが、生きる力を育むことも取材で出会った人たちから学んできた。

相模原事件や「生産性がない」発言には、障害者や性的マイノリティ以外だけでなく、様々な困りごとを抱えている人たちが抗議した。

 障害者が生きる権利や制度をつかむために声を上げる人がいる。

 大事な人を亡くした痛みを抱えながら、悲しみを生きる力に変えようと体験を分かち合う人がいる。

 病いや障害の苦悩の中から見出した灯りを創作につなげ、見知らぬ誰かを励ましている人もいる。

 そんな人たちを取材しながら、私はあの日、「これでも人間かしら?」と問いかけた彼女に伝えたい言葉を探す。

 しんどいことばかりで生きる気力を失いそうになる時、命綱のように自分をつなぎ止めてくれる言葉。どんな状態にあっても、そのままの自分を肯定し、それでも生きることを励ましてくれる言葉。

 もし、そんな言葉を誰かと分かち合えたなら、ひとりで引き受けなければいけない心の痛みが少しでも軽くはならないだろうか。誰かが心の奥底から発した言葉で自分の人生が照らされるなら、ひとりで生まれて、ひとりで生の苦しさを引き受け、ひとりで死ぬ絶対的な孤独が少しでも和らがないだろうか。

 そんなことを夢見て、私は今日も言葉を探しにいく。

***

以上、ニュースレター4回目は私の初めての単著『言葉はいのちを救えるか? 生と死、ケアの現場から』(晶文社)の「はじめに」全文でした。本も手に取っていただけたら嬉しいです。

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