中東情勢による医療資材の不足、防ぐために何ができる?がん治療の専門家に聞く今必要なこと
長引く中東情勢の不安定化で、医療資材の供給不足が心配されている。
患者団体代表やがん治療関連の学会は国に安定供給を続けるための要望書を出しているが、まだ大きな混乱は起きていない今、できることはあるのだろうか?
要望書を出した日本癌治療学会、日本臨床腫瘍学会の両理事長、吉野孝之さんに今の課題を聞いた。

吉野孝之・日本癌治療学会、日本臨床腫瘍学会両理事長
※インタビューは4月22日に行い、その時点の情報に基づいている。
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医療現場で徐々に不足し始めている医療資材
——中東情勢の影響で、がん治療の現場で不足し始めているものはあるのでしょうか?
パラフィンというロウのようなものが、病理診断(※)において組織を固めるために必要になるのですが、それが少なくなっていることが話題になってきています。
※患者から採取した組織や細胞を主に病理医が顕微鏡で観察し、病気の確定診断や進行度合いを判定する医療行為。その後の治療方針を決めるためにも重要となる。
——それがないと病理診断がしづらくなるのですか?
それがなくなると、確かに病理診断に影響が出ます。古い使用済みのパラフィンを再利用するという話も出ていますが、前の患者さんのDNAが溶け込んでいるわけで、ゲノム医療(遺伝子検査に基づく医療)ではリスクが出てきます。
——他にも何か不足し始めているものはあるのでしょうか?
他には、ホルマリン検体ブロックを作成するときに使われているキシレンという薬品が減ってきているという連絡が検査会社からありました。これについては、代替キシレンに一時的に変更することが始まっているようです。
代替物で作成できれば特に問題がないわけですが、通常のやり方ができなくなっているという話ですね。
——少しずつ医療現場にも影響が出始めているのですね。
これぐらいだったらまだいいかもしれません。今は、影響を感じ始めているというレベルです。医療業界以外でも不足し始めているものはありますよね。
——でもオイルショックの頃ほど、大きな影響は出ていませんし、トイレットペーパーが消えたみたいなパニックも起きていませんね。
ガソリンもそうですよね。僕は滅多に車は乗らないので、あまりガソリンを入れることがなくて、今いくらか知らないのですが。
——少し値上がりはしていますよね。
それぐらいですよね。
命に直結する患者の問題を忘れないよう釘を刺す段階
——先日、厚労省に要望書を出した時に参加していた記者会見では、学会などで必要な医療資材が不足しないよう周知徹底するとおっしゃっていました。それはもう始めているのですか?
それは国からそういう注意喚起が本格化したらやろうと思っています。今の段階で下手に騒ぎ立てるのも良くないことです。
新型コロナウイルス感染症の時もそうでしたが、医療関連の物品供給が滞っていた時に、学会からよく周知をしていました。それと同じようなことが必要になったら当然やりますが、現段階で国も我々に対して「至急お願いします」という連絡はない。まだそこまで問題視するほどの供給不足は起きていないと受け止めています。
——先生の診ている患者さんから不安の声は出てきていないですか?
むしろ患者さんには「まだ影響はないですよ」と伝えているところです。そういう不安の声はゼロではありませんが、主治医が問題ないよと言うと患者さんは安心するので、それで落ち着いています。
——確かにまだ何も起きていない段階で不安を煽るようなことを発信すると、逆にパニックを引き起こして、買い占めなどが起きてしまいますね。
そうなんです。難しいです。
ただ言えるのは、要望活動をなぜやるかといえば、国民全体に関わるエネルギーの問題と、患者さんに対する影響を考えると数が違います。より多くの国民全体に影響する問題に目が行きがちですが、医療資材が不足したら命に直結する弱者である患者さんのことを忘れないで、とアピールする必要があると思っています。
——確かに一般の人は車に乗るのを控えても生きていけますが、がん患者さんは抗がん剤治療や手術やそれに伴う検査ができなくなったら生きることも難しくなりますね。
先日、全国がん患者団体連合会の轟浩美さんが言っていましたが、治療が止まったら死ぬ、というのは本当の話です。
日本では年間38万〜39万人ががんで亡くなります。その人たちは何らかの治療を受けているはずです。その治療が止まったら生存期間にも影響を及ぼすし、治療が続いているから死なずに済んでいる人にも影響がある。日本全体で考えたら何十万人というレベルで命が危うくなると思います。
そんなことになれば、その人たちは無念ですよね。だからぜひそこは忘れないでほしいと政府に念押ししているわけです。
早期に工夫できるよう現状の見える化をしてほしい
——要望書では現状把握と実態調査を求めています。どれぐらい何があるのか、不足しそうなのかがわからないことが、不安を呼び起こしているのでは?
厚労省も現状把握はしているのだと思います。でも把握した状況を、我々にも見える化してほしいです。見える化して、これがこれぐらいのレベルで減っているのだと早めに把握できれば、医療現場も工夫できることがある。先回りした対応ができるんです。
もちろんホルムズ海峡が解放されたらもう話は別になるし、一時船が行き来できた日がありましたが、それによってまた余裕ができたり、情勢は刻一刻と動いている。それをもう少し心配している人たちに見える化してほしいと思っています。
——医療資材のメーカーから今のところ注意喚起は全くないのですか?
ないです。SPD(Supply Processing and Distribution 物品管理物流システム)がそういう役割を持ちますが、「これが足りなくなっています、物資が枯渇しそうです」という話はまだありません。
無駄遣いしない意識を高めて
——医療現場で節約し始めているとか、代替物を使い始めていることはないのですね。
もちろん、例えば医療用手袋をつけるときに爪で引っ掻いて破れてしまうこともあるんです。それをこれまで以上に気をつけて破れないようにするとかね。
本来は一手技で一個使う資材をうまくいかなかった場合は2個目を出してもう一度やることもあります。本来の目的の処置をするためには、病院が赤字であったとしても、物品はしっかり使う。でもこういう現状がありますから、一回で成功させるよう集中する。
本来そうすべきことばかりなんですが、日常的にやっていると、どうしてもそこは疎かになってしまう。自分の基本動作を改めて正しているところですね。
——新型コロナの時も手袋やマスクがなくなって、大変でしたよね。
それは世界中で使用頻度が増えたからですよね。そこは生産量を増やせばよかったわけですが、今回は生産するための材料が手に入らないわけですから。現場の要求する量が届かないリスクを我々は心配しているわけですね。
今のところはそれほど危機感は強まっていないです。最初に要望書を出してから20日程度経ちましたが、これが3ヶ月とか、半年とかなってくるとまた状況は違ってくるかもしれません。日本が大変になる前に他の国が問題になるのではないでしょうか。
——アジアの他の国では生活制限も始まっていますね。
飛行機の燃料サーチャージも前倒しで値上がりしましたね。しかしそのほかはまだ目立った影響はありませんよね。パニックは起きていない。
だから我々としては現時点では逆に騒ぎ立ててしまうのも良くないと思います。現場には知恵があるので、たとえ何かが不足し始めても対応することはできる。不安を煽らないようにしないといけません。
——現場に知恵があるというのは、ディスポーザブルの製品が不足したら滅菌して使うなどの例を挙げていらっしゃいましたね。
本来はディスポーザブルの製品を繰り返し使ってはいけないのですが、全部できないわけではないんです。使い捨てではなくて、元々リサイクルできるものもありますし。昔の器具(リユース)をもう一度復活させて、やることもできるかもしれません。
とにかく患者さん第一に考えて工夫しますので、安心してほしいですね。
お互いを思い合って、買いだめは避けて
——在宅の患者さんからは、少し多めに療養用の医療資材を購入しておいて自己防衛をしているという話も聞きます。
買いだめのような行為は流通をおかしくします。そのあたりはみんなお互いを思い合ってほしい。自分だけ困らないようにしようとみんなが行動すると、危険です。全体最適化を一番に考えて行動することが必要だと思います。
——でも個人の患者さんにそれを言うのは少し酷ですよね。安心させるために、もう少し在庫の見える化とか、政府からアナウンスがあってもいいと思います。
政府や医療資材の企業からそういうことをやってほしいですね。「通常はこれだけ在庫があるけれど、今は何割減っています。でも流通が滞るレベルではありません」などと示してもらえると、みんな安心すると思います。それがあると医療者側も助かります。
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