4学会ガイドラインの狙いは、必要な治療を始めることさえしない問題を阻止すること 救急医療の現場から
集中治療や救急医療を担う4学会が策定中の「救急・集中治療における生命維持治療の終了/差し控えに関する4学会合同ガイドライン」。
集中治療を受けた経験のある患者や難病患者らが強い懸念を示しているが、このガイドラインの作成にも加わった救急医は、どういう考えなのだろうか。
作成した委員の一人で、日本救急医学会の「救急医療における終末期医療のあり方に関する委員会」委員長でもある名古屋市立大学救急科主任教授の舩越拓さん(46)に聞いた。
なお、このインタビューでは組織は代表せず、個人の救急医としての立場で答えることを条件に受けてもらった。

名古屋市立大学救急科主任教授の舩越拓主任教授
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死なせない技術が上がり、浮かび上がってきた課題
——今回のガイドラインの問題意識として、旧ガイドラインの頃よりも生命維持治療が進歩したため、重い患者の生命維持が可能になった一方、その治療が本人の望む生き方と一致しないケースも増えてきたことが挙げられています。どれぐらい前から見直しは進んでいたんですか?
2022年ぐらいからですね。
いわゆる「人を死なせない技術」はすごく上がっています。人工呼吸器はもちろん、いわゆるECMO(体外式膜型人工肺)、循環器領域で言えばVAD(補助人工心臓)のようなものも出てきています。
それととともに、旧ガイドラインは「終末期」の定義をするつもりはなかったのですが、「集中治療室等で治療されている急性重症患者に対し適切な治療を尽くしても救命の見込みがないと判断される時期である。」としています。
そして「たとえば、医療チームが慎重かつ客観的に判断を行った結果として以下の(1)~(4)のいずれかに相当する場合などである」と例示(※)して、「など」で遊びを作ったつもりでした。しかし、(1)〜(4)に挙げていることのみが終末期で、それに該当しない状況はガイドラインの適応外であるかのように捉えられてしまいました。そのせいか、適応される範囲が狭く解釈されることが多かった。期待したほど普及できなかったわけです。
※旧ガイドラインでは、終末期について、(1)不可逆的な全脳機能不全(脳死診断後や脳血流停止の確認後などを含む)であると十分 な時間をかけて診断された場合 (2)生命が人工的な装置に依存し、生命維持に必須な複数の臓器が不可逆的機能不全となり、 移植などの代替手段もない場合 (3)その時点で行われている治療に加えて、さらに行うべき治療方法がなく、現状の治療を 継続しても近いうちに死亡することが予測される場合 (4)回復不可能な疾病の末期、例えば悪性腫瘍の末期であることが積極的治療の開始後に判明した場合 と例示されている。また、例示された(3)の「近いうち」については、旧ガイドラインのQ&A集で、「おおよそ2〜3日程度以内」とされている。
また、旧ガイドラインには、実際はどうするのか、という具体的な方法論があまり書かれず現場がどのように進めていけばよいのか困ってしまった課題もありました。
——「人を死なせない技術」が上がった結果、本人が望まない生き方をさせてしまう倫理的課題が出てきたと今度のガイドライン案に書かれています。先生が日々診療している中で、例えばこういう事例があって現場は苦悩しているんですよという具体例をご紹介いただけますか?
わかりやすい例で言うと、例えば窒息で心肺停止になったとします。色々と治療した結果、心臓は動き出し、血圧も呼吸も人工呼吸器につながっていれば安定しているけれど、集中治療しても目が覚めない場合があります。その状態で命が続くのが本人の望まない状況だった場合、現在の治療を中止できないと現場は本人の望まない治療を継続することになり、それが苦悩に繋がります。
だから、新しいガイドラインは、法律ではないのですが、ソフトロー(※)として機能してほしいし、倫理的な面を解決する筋道を照らす羅針盤になるという狙いがあります。医学的な面でも、具体的にどう対処して解決していくのか、方法論をしっかり定めてほしいというニーズが現場にはあります。
※法律のような強制力や罰則はないものの、対象となる現場で実質的に守るべきとされる規範。
——医療者側にもそういうニーズがあるという意味ですね?
そうですね。医療者側の法的責任に関する懸念に応えるものを作ろうというのもガイドライン改定のきっかけのひとつであると思います。
——ソフトローとして機能してほしいということですが、ガイドラインは裁判沙汰になった時に支えになるのでしょうか?
僕は法律の専門家ではないので正確にはわかりませんが、規範としては機能することを期待しています。もちろん「ここに書いてあるからいいでしょ?」と全面的に採用されるものではないはずですが、規定する法律がない以上何かを参考にするしかないですよね。
そうした時に、関係学会がガイドラインとしてしっかりと発行しているものは後ろ盾にはなるとは思います。
旧ガイドライン下で現場はどんな法的リスクを恐れている?
——旧ガイドラインであっても、人工呼吸器を中止することはできるはずです。どんな法的リスクを恐れているのですか?
途中でやめることで訴えられるんじゃないかという懸念があります。現場の医師というよりは、病院内で進めようとした時に、医療安全の部署とか、上層部が何らかの懸念を示すことが多いのだと思います。
——それは新たなガイドラインを作ったとしても残る懸念ではないのでしょうか?今回のガイドラインのQ&Aでも医療安全委員会や倫理委員会から止められた場合について、現場の医療ケアチームが最終決定すべきであるということが書かれていますね。
おっしゃる通り、同じことが起きる可能性はあるでしょうね。
ただ、それが免責される法律がない中で、「ここに書いてありますよ」と新たなガイドラインの文章を示すことによって、医療安全側の理解につながるかもしれません。今回のようにガイドラインという形で学会が見解を出していることが、現場が差し控えなどを実行するための後押しになるのではないかと思います。
もう一つ、適用範囲の課題も旧ガイドラインにはありました。いわゆる旧ガイドラインで例示しているような、人工呼吸器に繋いでいても数日で亡くなってしまう状況ではない場合は多い。「ガイドラインの適用範囲外ではないか」という懸念は今回のガイドラインでは当てはまらなくなります。
終末期を定義しない意味
——そこはあえて終末期を定義しないことで乗り越えるわけですね。
乗り越えるというよりは、定義をしないことのメリットが大きいと考えます。いわゆる「死んだ方がマシ」とか「もう生きていてもしょうがない」と感じる状況は、個々人によって違います。
先ほど言ったような呼吸器につながっていても目を覚まさなくて、家族とコミュニケーションが取れない状況を、「死んだ方がましだな」とか「生きている価値がない」とその患者さんが思うかどうかは、患者さんの価値観に依存します。
もし、患者さんがそう思うのだったら、その生命維持治療は「延命治療」になります。
それが延命治療だと感じる人もいれば、例えば、例えば子供が成人するまでは生きていたい、心臓が動いているだけでいいんだと思う人もいる。そういう人にとっては、先ほどの状態は、治療を中止するシチュエーションではないわけです。
そうした人生の最終段階と考える状況は人それぞれやはり違うわけで、いつが生命維持治療を続けるべき時か、止めるべき時かは、一義的に定義できません。
——先日、患者団体などから、ガイドライン案に懸念を表明する記者会見がありました(前編、後編)。まず、意思表示が明確にできるか微妙なラインで生きている人がいることがあまり知られておらず、ガイドラインが想定している場面で、医療者が患者さんや家族と話し合う時に、「それでも生きている人はいますよ。自宅でこうやって福祉制度を使って他者の介護を受けながら生きることもできますよ」という情報提供がなされていないのではないかと指摘しています。そういう生き方の選択肢が示されないまま、差し控えや中止の方向に誘導されてしまうことに懸念を示しているのですが、その指摘についてはどう考えますか?
確かにその懸念はよくわかるところなんですよね。
ただ、その患者の推定意思がはっきりするかしないかによって、治療のプロセスやケアのゴールの設定はかなり違ってきます。このガイドラインでもいわゆる厚生省のプロセスガイドライン(人生の最終段階における医療・ケアの 決定プロセスに関するガイドライン )を参照してくださいと明記されています。
このプロセスガイドラインでは、患者さんと話せる場合は患者さんと話し、患者さんと話すことができない場合は家族等と意思を推定しましょうということになっています。それさえも全く分からない場合は、医療チームで最善の選択をするという、3段階に分かれています。そこに準拠する形です。
おっしゃるように、患者さんが、自身の価値観を家族や医療者にシェアできてない場合や、シェアしにくい環境がある場合は、プロセスガイドラインにのっとって、近しい人としっかり話し合うことになると思います。
もう一つ、推定意思が判断できない場合、医療者の価値観で決められてしまうことが一つの懸念点ですよね。
つまりいわゆる優生思想のような、「この人はもう生きていても仕方ないでしょう」という医師側の価値観で決められてしまうのではないかというのは重大な懸念点だと思います。
それについては今回のガイドラインで、患者の希望や患者の価値観に沿ってゴールは決められるべきで、医療者が判断するものではないとしっかり書いています。さらに言えば、家族の価値観にもならないようにしましょうとも、はっきり言っています。
介護を受けながら生きられる選択肢が示されていないのでは?
——私が今、指摘したのは、患者さんも家族も自分の意思を考える時に、他者の介護を受けながら生きる道があるよという選択肢が知らされないまま、死ぬ方に誘導されるのではないかという懸念です。自分がこのまま生きていても家族や色々な人に迷惑をかけてしまうかもしれない、逆に家族もこのまま自分に介護の負担が重くのしかかるかもしれないと思って視野が狭まっているのではないかと患者さんたちは言っています。医療者もそういう選択肢があることを知らないから、自宅で介護を受けながら生きる選択肢が示されないのではないかという意味です。
両者がちゃんと患者の価値観を汲み取って方針を決められるという、いわゆるコミュニケーションのトレーニングをあまり受けてないことはあると思います。受ける機会があまりないんですよね。なのでガイドラインではコミュニケーションのトレーニングの重要性にも触れられています。
——それ以前に、重度訪問介護など、重度障害者が公的な介護制度を使いながら地域で生きられるという選択肢自体を医療者が知らなくないですか?
どういうサポートがあるかということですか?それを知らないということはあまりないような気がしますけど、そういうサポートがあることを知らないから、そういう状況では生きていけないよという説明になってしまうということですか?
——こういう集中治療の現場で、患者さんや家族は「この先生きていても、家族に非常に重い介護の負担がかかりますよ」と説得されることが多いのだそうです。実際には、家族が介護しなくてもプロの介護を受けて生きられる福祉制度があるんだよということを、医療者も知らないし、患者さんも、家族も知らない。だから、この先、身の回りのことをできないまま生きていけば大変な負担になってしまうと思わされてしまう。そう会見では繰り返し指摘され、フェアじゃないのではないかと疑問を投げかけられています。
今回のガイドラインは、そういうコミュニケーションを求めているわけでも、正当化しているわけでも全くない。そのようなコミュニケーションが今も行われているならば、根っこの問題は同じで、患者の価値観に基づいたケアのゴールの設定ができていないわけです。なので、このガイドラインによって、そんな状況が加速することはないような気もします。
そうしたコミュニケーションが問題だという点は非常に共感しますが、ガイドラインがそれを正当化しているものだというわけでは全くないですよね。
終末期の定義が外れたら、差し控えや中止が広がらないか?
——例えば、今回のガイドラインで、終末期の定義が外れることで、より広い範囲の人が治療中止とか治療差し控えの対象に誘導されてしまうのではないかと指摘されています。
つまり、定義をしなくなることによって、差し控えが一般化してしまう、もしくは増えてしまうんじゃないかという懸念ですよね。
——そうですね。
我々が懸念しているのはむしろ、中止できないことによって、差し控えが横行している問題です。つまり、旧ガイドラインしかない現状、「1回始めたらやめられませんよ」という言葉のもと、じゃあ始めるのはやめときましょうかという差し控えが多いのではないかと心配しています。
例えば、「高齢だからやめときましょう」とか、もしくは「お金かかるようになっちゃうから、やめときましょう」と言われる。
その先にどんな状況が待っているかも分からずに、「今決めてください」と迫られて、情報が不十分なまま、やらないか、やるかを決めさせられているシチュエーションが多いんじゃないかという懸念があるわけです。
今回のガイドラインでは、「Time Limited Trial(TLT)(期限を決めた治療の試行)」で、まずはやってみましょうという話ができるようになるわけです。そのように時間的な余裕をもって進めていく中で、より内容の充実した情報提供によって意思決定ができていくようになります。
TLTがあったら佐藤さんは生きられたのか?
——そのTLTにも患者さんたちは懸念を抱いています。とりあえず治療を開始して、一定期間、その治療の効果の見込みがなかったら止めるというやり方ですね。もっとゆっくり考える時間があって、いろいろなところから情報提供を受けられたら違う選択肢が選べたかもしれないのに、「何日までに効果がなかったら治療を止めますよ」と機械的な判断をされたら、逆に死への誘導が加速するのではないかという懸念が示されています。
TLTは機械的に決める手段ではないですよ。何日までに、というのは一般的な議論だと思います。例えば、心肺心停止の人の蘇生後だったら、72時間ぐらい経ってから考えましょうと言われていたり、疾患のいわゆる一般的なコースがありますね。肺炎だったら、5日から10日でどうなっているかという話をしたり。画一的に期間を決めているわけではないとは思います。
——今回、患者側の記者会見に出た佐藤安夫さんは、重症心不全で、心拍が戻った後も、繰り返し治療停止を勧められて、説得の材料として、このまま生かしても重い後遺症が残る可能性が高いので介護が大変になりますよと言われています。結局10日後に意識が戻るのですが、本人も妻も、もしTLTが導入されていたら、「〜日までに効果が見られなかったら治療を止めましょう」と誘導されていたのではないかと問いかけていました。佐藤さんのケースは一般的なコースからは外れているかもしれませんが、その人にとっては唯一の命なので、稀であったとしてもこういう可能性がつぶされるとしたら恐ろしいんじゃないかと問いかけています。

重症心不全で10日間の昏睡後、目覚めて今では記者会見で話せるぐらいまで回復した佐藤安夫さん
その例を聞いて、非常に難しいなと思いました。詳細がわからないのですが、10日間昏睡状態だったのが戻ってきたわけですね。それはなかなか難しいです。
いわゆるTLTが導入されていた場合、この人に悪影響を及ぼした可能性はわかりません。ただお医者さんのコミュニケーション自体、不適切過ぎますね。
でも、このガイドラインがあったら主治医が押し切ってしまう材料にされてしまうのか。つまり、「もう時間切れです。もう絶対に動いたり、目を覚ましたりすることはないでしょうからこれでおしまいです」と言われてしまう。家族が「治療を続けてください」とお願いしても「このガイドラインに書いてあるんですよ」と言って振り切る根拠にされてしまうのか。
そんな懸念は確かにわからなくもないのですが、作った側としてはそういうふうに使われる想定は全くしていません。治療を止める理由付けにこのガイドラインが使われたり、そういうコミュニケーションの中で使われる根拠にされたりすることは、どう考えても適切使用ではないですね。
悪用されてしまう懸念
どちらかというと、どういうふうにケアのゴールを設定していくかにかなり重点を置いて解説しています。そこからすると、医師主導で、「もうこの人には医療をやる意味がありません」とか、「もう目を覚まさないからやめます」というような形で治療を中止することを勧めているものでは全くない。
そういうことに使われてしまわないかという心配は非常にわかりますし、そう言われると、確かに「そんなことはないですよ」と論理的に反論しにくいですね。
その方は、例えば3日目や5日目の時点で、意識が戻ることはないからもうやめましょうと言われていたら、自分は死んでいただろうってことですよね。
——胸骨圧迫の時点から妻は何度も「いつ治療をやめましょうか?」と医療側から打診されています。妻は「とにかく心臓だけ動かしてください」とお願いして、続けていたら戻ったんです。最初から治療を止めたい気持ちが主治医にあったのだと思いますが、その後も繰り返し「もう止めることを考えてください」と説得され、話し合いをしています。
そうなんですね。
——実をいうと、先生方のような心ある医師のことはあんまり心配していないです。このガイドラインがあってもなくても大丈夫だろうと思っていますが、優性思想をナチュラルに持ってるお医者さんはかなりたくさんいます。そんなお医者さんに、このガイドラインが悪用されないか、みんな心配してるんですよね。
なるほど、そういうことですね。そういう表面上の言葉を、ピッキングして自分の考える方向に導くために使う人は確かにいるかもしれませんね。
(続く)
【舩越拓(ふなこし・ひらく)】名古屋市立大学病院 救命救急センター長、同大医学研究科先進救急災害医学主任教授
2005年、千葉大学医学部卒業。千葉大学総合診療部、国保旭中央病院を経て、2012年3月から東京ベイ浦安市川医療センター救急科。2017年、東京ベイ・浦安市川医療センター救急集中治療科(救急外来部門)部長、放射線科(IVR部門)部長に就任。2025年11月より、現職。日本救急医学会「救急医療における終末期医療のあり方に関する委員会」委員長。「救急・集中治療における生命維持治療の終了/差し控えに関する4学会合同ガイドライン」作成委員。
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