匿名の提供精子で生まれて 私が出自を知る権利を求める理由(前編)
精子や卵子の提供を受けた不妊治療についてルールを定める「特定生殖補助医療法案(※)」。
当事者らから「子供の出自を知る権利が守られない」など反対の声が上がっている。
匿名の精子提供を受けて生まれ、実名と顔を出して子供の出自を知る権利の重要性を訴えているドナーリンクジャパン理事、石塚幸子さん(45)に話を聞いた。

石塚幸子さん(撮影・山田茂)
※自民党、公明党、日本維新の会、国民民主党が2月5日に共同で参議院に提出した法案。提供者の情報は、国立成育医療研究センターが100年間保管し、18歳以上の成人した子供から請求があれば、身長や血液型、年齢など、提供者が特定されない情報のみを開示。子供がそれ以上の個人が特定される情報開示を求めた場合、提供者の同意が得られた場合は開示されるとしており、「子供の出自を知る権利が守られない」と当事者らから反対の声が上がっている。
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父の遺伝子疾患をきっかけに、23歳の時に告知
——石塚さんがAID(精子提供による人工授精)で生まれたことを知ったきっかけを教えてください。
父には遺伝性疾患がありました。23歳の時にその診断書を見る機会があったんです。調べてみると男女関係なく50%の確率で遺伝することがわかった。
不安になって遺伝子検査を受けようかと考えて調べました。検査して遺伝していることがわかれば、いつ頃発症しそうかもわかるのに、治療法がない。かなり悩んでいる私の姿を母が見ていて、もう隠せないと思ったようです。
ある日、「大事な話がある。お父さんとは血がつながっていないから病気は遺伝していない」と言われました。
すごく悩んでいたので、まず遺伝の可能性はないのだとホッとしました。その時にもう一つ言われたのが、「昔、慶應大学病院で他の人から精子をもらって産んだ。でも誰の精子を使ったのかはわからない」ということです。それってどういうことなんだろうとネットで検索したら、AIDという言葉が出てきました。
当時はネット上にはほとんどAIDについての情報はなかったのですが、当時の私は大学院に通っていたので、論文検索や産婦人科の専門書を探して読むことができました。でも詳しい記述はなく、「50年以上前からやっているけれど、何も問題は起こっていない。子供にも秘密にし、周囲にも言わず、大きな問題は起きていない」ぐらいの説明です。
専門書にも出自を知る権利という言葉はありませんでした。
「騙されていた」と親に不信感
——それを知ったことでご両親との関係性は変わりましたか?
病気の遺伝の可能性がないことには安心したのですが、特に母親に対して「騙されていた」と思ってしまいました。母がついた嘘の上に私の23年間があったように思えてしまったんです。
なんでこんな大事なことを言ってくれなかったのか。しかもお父さんの病気がなかったら言わなかったのか。許せないと思いました。
提供者はわからないと言われて、私がわからないままでもいいと思っていたのも嫌だったし、私という人間が母親と、精子というモノからできたような気がしました。
色々な感情が湧いてきて、ご飯を食べられなくなり、人といると涙が出てしまうので極力一人になろうとし、終電ギリギリまで帰ろうともしないような日々でした。
——誰かに相談することはできなかったのですね。
他の当事者の人はどうやってそれを受け止めているのかを教えてほしかった。私が過剰に反応しているのかなとも思いました。それで患者会のようなものを探しても全然見つからない。
大学の友人や大学のカウンセリングルールで相談したりもしました。しかし私が誰かに話すことを母は良く思っていないようでした。そんなに隠したいようなことなのかと、それもすごいショックでした。
悩んでいること自体も否定されているような気持ちになって、私が母から聞かされたのが8月8日だったのですが、9月に入った頃家を出ました。
大学院の勉強もほとんど手がつかなくて、結局辞めることになりました。
初めて自分以外の当事者に会い「怒っていいんだ」
——他の当事者と出会えたのはいつ頃のことだったのでしょう?
家を出て半年が経った頃、ちょうど厚生労働省の厚生審議会生殖補助医療部会で、子供の出自を知る権利について議論しているタイミングでした。それを報じる朝日新聞の記事で、当事者の話が出てきました。私が初めて見た、自分以外の当事者の話でした。
関西方面の方でした。その人とは結局会っていません。
その方は「提供者がわからないことでむしろ自分には無限の可能性がある」というようなことを話していました。
それを読んで私は、当事者がみんなこんな思いだと思われたら嫌だと思ったんです。朝日新聞社にメールを出しました。「私も同じように生まれているけれど、そういう風に私は思っていない」と。
そうしたら、記事を書いた記者が対応してくださって、海外ですでに名乗りを上げている当事者の情報を教えてくれました。初めて、この技術に問題があってすごく苦しんでいる自分以外の当事者がいるとわかりました。
そうこうしているうちに、生殖補助医療部会が子供の出自を知る権利を認める、認めないについて最終報告書をまとめるタイミングになっていました。議論の段階では「子供に伝えないことでうまくいっている」という意見も出ていたのですが、最終的に出自を知る権利を認める内容になりました。
私は最終報告を出す前のパブリックコメントにも意見を色々書いて出しました。その頃、匿名で朝日の取材にも答えて、同じ境遇の医師の加藤英明さんが読んで連絡を取ってきたんです。加藤さんも出自を知る権利が保障されていないことにすごく怒っていました。
私より年上の人もこれだけ納得いかなくて怒っているなら、私の反応が過剰なわけではないんだな、怒ってもいいんだなと思って、やっとホッとしました。
——そこで同じ境遇の仲間で自助グループのようなものを作ったんですね。
今度は加藤さんが取材に答えた記事を見て、新たに他の当事者の方が連絡を取ってきて、その3人で自助グループを始めることになりました。
このグループで大事にしているのは、誰にも否定されずに話ができる場をつくることです。
この問題をあまり知らない人と話すと、「育ててもらったんだから感謝しなよ」とか「不妊治療までして産んだのだから愛されているに決まってる」というような意見を言われることがあります。
善意からの言葉だとは思うのですが、そう言われてしまうとそれ以上自分たちの思いを話すことができなくなってしまいます。そんな言葉で黙らされた経験が私たちにはよくある。だからこそ、そのまま聴き合える場をつくろうと思いました。
また提供者を知りたいと思ったときには知ることができる、そのような環境をつくってほしいと訴えていこうと思いました。
本を出版し、実名顔出しで発信を始める
——取材以外で公に発信するようになったのはいつ頃からなのですか?
2014年5月にこの「非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ(DOG: DI Offspring Group)」で本『AIDで生まれるということ 精子提供で生まれた子どもたちの声』(萬書房)を出したんです。この本を出すタイミングで私も名前や顔を出し始めました。
ちょうどこの頃、自民党が党内にプロジェクトチームを作って自民党の法案を出そうとしていました。
2003年に生殖補助医療部会が出した報告書は子供の出自を知る権利を認める内容だったのですが、自民党の案はそれを認めていませんでした。なぜわざわざ2003年の報告書から後退するものを作るのかと思いましたし、生殖補助医療をとにかく推進しようという流れも感じ、この法案がそのまま進められてしまうのが嫌でした。
AIDで起きている問題は何一つ解決していないのに、卵子提供も代理出産もなぜ進めるのか。それを止めるためには思い切ったことをしなければいけないと思いました。
それにメディアの取材は、結局その記者の伝えたいところだけが使われてしまうのが嫌でした。確かに私の言った言葉なのですが、前後の文脈が省かれてしまうし、「一番言いたいところはそこではないのに」と思うことが多かった。省略されずに自分の言いたいことを伝えるには、自分たちで書くしかないと思ったんです。
そして自民党の法案を止めたいという気持ちがあったので、私も本を出したタイミングで顔と名前を出して発言しようと思いました。
この問題を消化するために ドナーリンク・ジャパン設立
——ドナーリンク・ジャパンについても教えてください。
ドナーリンク・ジャパンは、日本で精子提供や卵子提供で生まれた人と過去に精子や卵子を提供した人、さらに同じ提供者から生まれた人同士を結び付けることを支援することを目的に作った団体です。
私は事実を知ってから幸運にもいろいろな専門家の方々と出会うことができました。初めは研究の一つとしてインタビュー調査を受けるところから始まりましたが、その専門家の方々と関わるなかで、海外の状況も知るようになりました。
そうして当事者同士が自主的に自分の情報を登録し合い、遺伝的につながりのある人を見つける仕組みが海外にあることを知りました。漠然と日本でもやりたいと思い、実現したのが2022年です。
——それは、提供者や精子提供を受けて生まれたきょうだいに会いたいという気持ちからですか?
もちろん提供者に興味はあるのですが、私はどちらかというと今の壊れている親との関係を回復したいという気持ちのほうが強いです。
父は私が家を出てから1年ぐらいで亡くなりました。結局この話はまったくしていないし、母は父に私が知ったことは伝えたそうですが、全く反応はなかったそうです。
母とは最近はやり取りできるようになりました。でも実家に帰っても泊まりはしない。そこはまだギクシャクしています。
——提供者とのつながりを見つけることが、なぜ親との関係の回復につながると思うのでしょう?
別にそれが直接役立つとは思いません。親との関係回復に何が有効なのかはわからない。たぶん自分の中でこの問題をもう少し消化することしかできなくて、その消化するための手段の一つとしてドナーリンク・ジャパンもあるし、法律ができることもあるのだと思います。
子供の出自を知る権利なのに、なぜ提供者が可否を決めるのか?
——でも、今の法案には反対しているわけですね。
そうです。そもそも2020年に成立した民法特例法(※)にも反対していました。
※他人の卵子を使った生殖補助医療で妊娠・出産した場合は産んだ女性を母とし、法律婚をした妻が夫の同意を得て夫以外の男性の精子を使った生殖補助医療で妊娠・出産した場合は嫡出子であることを夫は否認できないと定めた法律。また、おおむね2年を目処として、こうした生殖補助医療に関しての規制のあり方や、提供者の情報管理や開示に関する制度について必要な措置を講ずることが明記されており、これを受けて今回の特定生殖補助医療法案が提案されている。
民法特例法は、生殖医療技術自体の規制は決めずに、生まれた子の法的地位だけ決めています。
でもそれによって間接的に、第三者の精子提供はOKとお墨付きを与えた。それが嫌だったんです。
法的に精子提供も卵子提供もOKになり、多くのクリニックで第三者の精子を使った体外受精も行えるようになりました。
法案が提出された当時、法案だけを見ると、不安定だった子供の地位が安定するわけですから反対しにくい。しかしこれが認められると、間接的に精子も卵子も提供OKとなる。そのことがすごく嫌でした。最も重要なのは子供の出自を知る権利なのに、そこには一切触れていない。出自を知る権利は置き去りにされたわけです。
ただこの民法特例法には附則が3つつきました。
-
生殖補助医療やその提供に関する規制のあり方
-
生殖補助医療に用いられる精子、卵子又は胚の提供、あっせんに関する規制のあり方
-
他人の精子や卵子を使った生殖補助医療で生まれた子に関する情報の保存・管理・開示などに関する制度のあり方
この3つについてはその後検討し、2年を目途に法整備をするという内容です。その3つ目が出自を知る権利です。
この特例法はわずか数週間で成立してしまいました。私は法案が提出されてからその情報を知ったのですが、法案提出後、面会を申し込んでも、多くの議員は会ってくれませんでした。
当時わずかながら議員に対して要請はし、出自を知る権利の重要性などを訴えていたのですが、子供の不安定な地位が安定するという発議議員の方たちの説明のみで賛成しているような人もたくさんいて、こんなに簡単に私たちにとって大事なことが決まってしまうのかと愕然としました。
今回の法案もそうですが、法案の前に出た叩き台の段階から、身元を特定する情報を開示するかどうかの選択権が提供者にあるのはおかしいと思っていました。親が子供に告知する努力義務を入れたのは、少しは考えてくれたのかとも思いますが、最も重要な出自を知る権利が不完全です。
——提供者が拒否したら、子供は知ることができないわけですから、子供の権利と言えないですね。
そうです。そして、子供が望めば全員に開示される情報として、年齢、身長、血液型があり、その後に「等」とつけてあります。
——「等」に色々なものを含ませるよと。
そうです。最初は通りやすい内容で通して、その「等」で広げていけるよと言いたいのでしょう。でもそれ以上の情報開示は提供者が決めることについて、私たちはおかしいと言っているのに、そこはどうしても直らない。誰のための出自を知る権利なのかと思います。
(続く)
医療記者の岩永直子が吟味・取材した情報を深掘りしてお届けします。サポートメンバーのご支援のおかげで多くの記事を無料で公開できています。品質や頻度を保つため、サポートいただける方はぜひ下記ボタンから月額のサポートメンバーをご検討ください。
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