出自を知ることができないのがなぜこんなにも苦しいのか 知りたいのは些細な生活感(後編)
精子や卵子の提供を受けた不妊治療についてルールを定める「特定生殖補助医療法案」に、当事者らから上がる「子供の出自を知る権利が守られない」などの反対の声。
匿名の精子提供を受けて生まれ、顔と名前を出して子供の出自を知る権利の重要性を訴えているドナーリンクジャパン理事の石塚幸子さんに、遺伝的なルーツがわからないとはどういうことなのか、話を聞いた。

石塚幸子さん(撮影・山田茂)
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非匿名の精子バンク、どう見ている?
——自身も精子提供を受けて子供を産んだ伊藤ひろみさんが、昨年、非匿名の精子バンクを作った時はどう思いましたか?
匿名、非匿名を選べる施設はこれまでもあったのですが、非匿名だけしか登録できないところはこれまでなかったですよね。この精子バンクで提供者が集まることを証明できたら、「子供の出自を知る権利を認めると提供者がいなくなる」と言っている人たちが反論できなくなるとは思いますね。
——実際、応募者は10ヶ月で170人で、現在、41人が正式に登録しているそうです。
やはり非匿名の精子提供で不妊治療をしているクリニックは他にもあり、非匿名の提供者が集まっていると聞いています。こうしたクリニックやバンクの話を聞くと、非匿名でもなんとかなるのではないかと私は思っていたりもします。
当事者が声を上げると「かわいそうだね」と言われることもあるのですが、もう同情ではこの問題は動かない。非匿名の提供者を受け付けている精子バンクやクリニックが、ちゃんとデータで提供者が集まっていることを示さないと説得できないのではないかと思うので、頑張ってほしいです。
昔は第三者からの精子提供自体に抵抗感があったのですが、現実は止められません。卵子提供と違い、精子提供は病院に行かなくてもできてしまいます。そういう意味では止められないのは現実として仕方ない。
SNSを介した個人間のリスクの高い提供方法も広がっていますし、それならルールを決めてやるしかないと今は思っています。賛成はしていないですが、妥協としてのYESのような感じです。
——プライベートケアクリニックは、親の立場の当事者が名前や顔出しで非匿名の精子提供を実現しています。立場は違いますが、子供の出自を知る権利を守ろうという点では共通するところがあるわけですね。
私がこの問題について発言し始めた時、不妊治療中の人からのバッシングが酷かったんです。「親に感謝しろ」と言われたり、「あなたたちが騒ぐことでこの問題に注目が集まって私たちが治療できなくなる」と言われたり。そういうのもあってすごく嫌だったんですね。
子供への告知についても「提供者がわからないのに告知しても可哀想だ」とか「告知の仕方がわからない」と言う親の方たちがいて、そういう言葉を聞くと、そんなの自分で調べてほしいと思っていました。「今ある選択肢の中からは、これしか選べなかった」と、匿名の精子提供を受けたこと、告知をしないことを仕方がないことのように言っている方たちを見ると、すごく嫌な気持ちになっていました。
でも伊藤さんは、子供の出自を知る権利を守るために自ら動いた。精子バンクを始めてからは、自身の体験も表で話していますよね、
私はそこにすごい本気を感じています。子供の権利のために活動する親が日本でなぜ出てこないのだろうと思っていたので、そういう意味で伊藤さんはすごいなと思うし、頑張ってほしいなと思っています。
——逆に自分の親御さんはそこまで自分の権利を考えてくれなかったというのが、今の断絶につながっているのですか?
それも理由の一つとしてあると思います。ただ私の親世代の方達の場合は、医師から適切な情報を与えられなかったこと、そして今ほど情報を集める手段がなかったことがあるかと思います。
海外には親たち自身で自助グループを作って、子供の出自を知る権利のために発信している人たちもいます。日本の中でも少しずつそういう動きは出てきているのかと最近は感じています。
ドナーリンク・ジャパンへの登録はまだわずか
——ドナーリンク・ジャパンには何人登録しているのですか?
提供を受けて生まれた子供の立場の方は数人です。提供した経験を持つ方(提供者)は1人です。
私はこの活動を自分のためにやっています。この問題を自分の中で消化するために正直何をすればいいかわからない。提供者を知りたいというのも、自分の中でこの問題を消化していくために行なっていることの一つです。
もちろん提供者を知ったら全て解決するわけではないでしょう。でも少しは楽になるのかなと思いますし、きょうだいが見つかったらまた楽になるのかもしれない。
法律ができたとしても、法律によって私が提供者を知ることはできません。基本的に法律は、法律施行後生まれた人にしか適用されないからです。
でも、子供の出自を知る権利が盛り込まれた法律ができれば、私が主張してきた出自を知るということが生まれた人にとって大事なのだということが認められることになります。そうしたら少しは私も楽になるかもしれません。
——ドナーリンク・ジャパンで出会えた子供と提供者はいるのですか?
まだいません。だって提供者の登録がまだ一人だけですから。
——そのお一人はどうして登録してくれたのでしょう。
その方は医師なのですが、遺伝的な情報がわからないことは問題だとおっしゃっています。「自分が医者だからよりそう思うんだろうな」とおっしゃっていました。
——確かに今の医療には遺伝子検査がかなり導入されていますね。
そうなんです。単に子供のためというだけではなくて、自分の遺伝情報を巡るリスクのようなものを心配されています。
自助グループの私より年上のメンバーの方には、自分が色々な病気を持っていて、それが遺伝性かどうか知りたいという話をされている方もいます。
私は今45歳ですが、そこまで切実に自分の病気や遺伝情報にアクセスしたいとは今の時点では思っていません。
オーストラリアなどでは、法律ができた契機が、遺伝性の病気を持つ生まれた立場の当事者の方が出てきて、もっと早くその病気の可能性が高いことを知っていれば予防や治療ができたと訴えたことでした。血のつながった家系を見て、「こういう病気が家系に多いから、検査を早めにしておく」ということができなかったわけです。
そういう問題意識は、世論を動かすのではないかと思います。
なぜ提供者のことを知りたいのか?
——「母親と精子というモノからできたような気がする」と表現している違和感も、提供者を知ったら変わるでしょうか?
当事者が、提供者を知りたい理由はそこなんですね。そこには人間がいるはずなのに、その人のことが全く何も想像できない。でもその違和感は人に伝えづらいです。
——自分の遺伝的ルーツが生身の人間で、生きているという実感がほしいのですね。
そうなんです。実在する人なのだと思いたいのです。
これは私だけが思っていることではありません。私たちが『AIDで生まれるということ 精子提供で生まれた子どもたちの声』(萬書房)を作った時、他の人も自分のことを「人造人間」と言っていたり、海外の調査でも「自分はロボットのように作られた」という声があったりしました。
だからそんなに珍しい感覚ではないと思うのですが、他人に説明するのが難しい。出自を知ることができないことが、どうしてこんなにも私たちを生きづらくさせているのか。もう少し整理して、言語化してわかりやすく伝えたいとずっと思っています。
そのためには生殖医療で生まれた人だけでなくて、養子や取り違えられた方など、遺伝的なルーツをどうしても探したい、その人に会いたいと思っている人にも話を聞いてみたいと思っています。
——精子が提供されるからにはそこに人間が実在することは頭ではわかっても、心にストンと落ちない感覚なのでしょうか?
具体的な姿が浮かばないですしね。
超党派の議員連盟のヒアリンングで、明治学院大学の柘植あづみ先生が海外の当事者の方のお話をされていました。「どうして提供者を知りたいと思うのか」と聞いたとき、その女性は、「私はチョコレートが好きで、提供者もチョコレートが好きだったらいいな」という話をしたそうです。
これってチョコレートが好きかどうかが重要なのではなくて、好みとか好き嫌いは、普通の親子関係だったら、一緒に暮らす中で少しずつ体験を蓄積しながら自然に確認できることですよね。
そういうものの一例として挙げたに過ぎないと思うのですが、政治家の方々は、身長や年齢や血液型の他に何があったらいいんだという話になる。そして「チョコレートが好きかどうかが重要なのか」と言われてしまう。
——その受け止め方は酷いですね。人間としての手触りのようなもの、自分との近しさのようなものを知りたいという自然な感情ですよね。
そうなんです。だからこの方たちに何を言ってももう無理だな、わかってはもらえないなという諦めが正直あります。
自分でもうまく言語化できないんですよ。普通に一緒に暮らしたり、ご飯を食べたりすることで、ちょっとずつ確認していく何か。別に一つの要素がわかったからといって全てが解決するわけではないのですが、なんか似てるね、ここは似てないね、というやりとりを私は提供者の方とやってみたいし、そのために会いたいと思っています。
非特定情報を聞くための質問項目をたくさん挙げるのではなくて、会えるルートがほしい。お茶を飲みながら少し話をするだけでも、埋まっていくものがあると思うのです。そういうことをしたいのですが、なかなかそこがうまく伝わらないですね。
——チョコレートの話を聞いて伝わりました。些細な手触りを感じたいわけですよね。
そうなんです。本当に自然に些細なこと。その些細なことの積み重ねで人間の生活って成り立っていて、その生活感のようなものが知りたいわけですよね。でもそれがうまく伝わらない。
両親との違いを感じたことは?
——ご自身は、これまで生きてきて、ご両親と自分はちょっと違うなと感じることはあったのですか?
AIDで生まれたと言われるまでは感じないものなんですよ。実の親子でも似ている似てないがありますしね。顔は母とすごく似ているんです。だから疑ったことも一度もない。
——ご自身は結婚や子供を持つことを考える時に、この出生のあり方が影響したと感じていますか?
結婚はしていないです。影響はあったと思いますが、もともと育った家庭の家族仲が良くなかった。だから結婚はしてもしなくてもいいかなと思っていました。AIDで生まれたことを知ってからはより結婚しなくてもいいかなという気持ちは強くなりました。
なぜ結婚して子供を産まなければいけないのだろうとも思いましたね。子供を産みたくないという気持ちは、自分がAIDで生まれたことを知ってから余計強まったと思います。
自助グループの仲間の中には、30代、40代で知った人も多くて、親が高齢になって死を意識してやっと告知されたという感じです。そうするとすでに、その方にも家族がいるわけです。その方たちは「知らずに産んでしまった」という言い方をしています。
遺伝的ルーツがわからないのは4分の1だけとはいえ、自分の問題を子孫に引き継いでしまったということに罪悪感を持っていたりします。子供にどう伝えるかもすごく悩んでいたりもします。
でも逆にAIDで生まれたことを知ってから結婚した人ももちろんいます。私よりもう少し受け入れている感じがします。
法整備に求めること
——最後に今、石塚さんが納得できない法案が国会に提案されていますが、どんな法整備を求めますか?
子どもの出自を知る権利を認めるための法整備だというならば、生まれた人の声に耳を傾けてほしいと思います。生まれた人が何を望んでいるのか、その家庭でどんな問題が起きていて、どう解決してほしいと思っているのかを聞いてほしいです。
AIDが始まってから70年以上が経ちました。それにより生まれた人たちの中から声を挙げる人が出てき始め、やっとこれまでの技術を振り返って評価できる段階にきているんだと思います。提供者を匿名にし、AIDを行った事実を隠し通すことが良いことだと思われてきたけれど、それにより傷ついた子どもや親がいます。過去に精子を提供した人だって、もしかしたら過去の自分の行動に不安を抱いているかもしれません。
これからもAIDという技術を続けるのであれば、子ども、親、提供者、皆が幸せになれるやり方に変えるべきだと思います。
私は、出自を知る権利の需要性を理解し、将来自分の情報が開示される可能性に了承した人のみが提供者になるべきだと思っています。そして幼少期から親が子供に告知できるような支援体制もつくってほしいと思っています。
(終わり)
医療記者の岩永直子が吟味・取材した情報を深掘りしてお届けします。サポートメンバーのご支援のおかげで多くの記事を無料で公開できています。品質や頻度を保つため、サポートいただける方はぜひ下記ボタンから月額のサポートメンバーをご検討ください。
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