「息子の死を無駄にしないで」過労死した医師の遺族が厚労省に再発防止を嘆願
兵庫県の甲南医療センターに勤務していた後期研修医、高島晨伍(しんご)さん(享年26歳)が長時間労働で精神を病み過労自死した問題を受けて、遺族や代理人弁護士が8月31日、加藤勝信厚生労働相宛に再発防止を求める嘆願書を提出し、厚労省記者会で会見した。
医師の働き方改革が2024年4月から本格的に施行する直前、過労死ラインを大幅に超える残業200時間以上で精神的に追い込まれた上での被害だ。
母親の淳子さん(60)は「甲南医療センターでの過労死を風化させれば、全国の病院で同様の事態が起きかねません。どうか息子の死を無駄にしないために皆様のお力をお貸しください」と再発防止を訴えた。
淳子さんと共に会見したやはり医師である兄(31)は、「弟が亡くなった死に意味を持たせてあげたい。その思いで厚労省の嘆願に至った。『自己研鑽』が隠れ蓑となり、『働き方改革をやったけれども若手医師が苦しんでいる』とはなってほしくない」と嘆願書にかけた思いを語った。
息子の遺影や白衣を前に会見する高島晨伍さんの母、淳子さん
100日間連続勤務、過労死ラインの2倍の時間外労働
高島さんは2020年4月に臨床研修医として甲南医療センターに採用され、2年目の22年2月から、2ヶ月間、前倒しのように先輩の後期研修医と同様の勤務が始まった。
22年4月に後期研修医となってからも、同期の医師がいない一番下の医師として上級医らから雑用を任されることが増えた。指示されたレポートの提出や学会発表の準備なども重なったことから、自死直前の100日間は連続で休みなく働いていた。
西宮労働基準監督署が今年6月に認定した時間外労働時間は、自死前1ヶ月(4月18日〜5月17日)で207時間50分、同2ヶ月(3月19日〜4月17日)で169時間55分、同3ヶ月(2月17日〜3月18日)で178時間29分。過労死ライン80時間を大幅に上回る過重労働だった。
心理的負荷を評価する労災認定基準として発病直前の1ヶ月に概ね160時間を超える時間外労働があることが例示されているが、高島さんはこれに該当している。また1ヶ月(24日間)以上の連続勤務も強い心理的負荷がある例として挙げられているが、高島さんは100日連続で勤務していた。
会見した代理人の波多野進弁護士は「今回のケースは労災を認定されて当然の事案」と語る。
一方、甲南医療センター側は労災を認定した西宮労基署と時間外労働の把握について見解の相違があると主張し、「病院として過重労働を付加した認識はなく、業務量は周囲と比較して多かったわけではない」「自己研鑽の時間もあり、全てが労働時間ではない」と病院側の責任を否定している。
遺族の求めで設置された高島さんの自死を検証する調査委員会の報告書も、遺族には開示されていない。
時間外労働を労使で定める「36協定」も自死後に改悪?
また、法定時間以上の時間外労働時間の上限を労使で決める「36協定」について、自死当時も過労死ラインを超える月95時間としていたが、高島さんの自死後の2023年4月の改定では「1ヶ月170時間、1年1860時間」と上限を上げていた。
波多野弁護士は「過労死ラインは80時間の時間外労働であるし、精神障害の労災認定は100時間の時間外労働があれば概ね認められる。同センターの36協定の規定自体が医師の健康を配慮していないと考えられても仕方ない。さらに2023年4月以降は1ヶ月170時間に酷く変えられており、高島さんが精神障害に追い込まれて自死に至った残業時間と匹敵する36協定になっていて非常に問題がある」と批判した。
高島さんの兄は、弟の自死後に残業時間をさらに増やした36協定の規定を見て驚愕したという。
「36協定に引っかからないようにするためにこうしているのか。一緒に見た母が『どうして病院こんなことやっているんだろう。笑えてしまうわ』と言いましたが、まさにそんな思いです」
さらに、自身の勉強のために行う「自己研鑽」の時間は労働時間から除外されるが、暗黙の指示である「黙示」があった場合は労働時間と認められる。しかし、同センターは上司から言葉での明確な指示がない限り、労働時間とは認めないとする内部基準を設けていた。
波多野弁護士は「こういう内部基準がある限り、黙示での業務指示が時間外勤務と認定されることはほぼ絶望的。勤務医は残業時間を申告できない、させない基準じゃないか」と指摘した。
叶わなかった夢「上級医になったら優しい、優しい先生になりたい」
母親の淳子さんは、2022年4月下旬頃から高島さんの顔つきが暗くなり、5月頃からは「楽しいことが一つもない」「しんどい。誰も助けてくれない」と漏らすようになったことに気づいた。
淳子さんが会見に持参した息子の白衣と聴診器、携帯の遺影
病院のシャトルバスがない早朝にタクシーで出勤し、タクシーで深夜に帰宅する日々。
それでも医師の夫や兄の働きぶりを見ていた淳子さんは「3年目ぐらいは仕事を覚えなければいけないから仕方ないのかな」と息子の健康を気遣う気持ちを押し殺していたという。
「上司から仕事を投げられると愚痴っていましたが、社会人になった息子のことなので、母親から病院に電話したりはできません。息子が『そういうことはしてくれるな』と言っていたので余計できませんでした」
人の悪口を一切言わない息子が、「(職場は)悪口や陰口ばかりで、上の先生も取りまとめる力がない」と愚痴を吐き出すようになっていた。
他の診療科に移ることや休職すること、精神科を受診することも勧めたが、そもそも精神科を受診する時間もなかった。陰口や悪口が横行する職場で、自分が職務から離脱して評価が低くなるのを恐れていたという。それが息子を精神的に追い込んだのではないかと語る。
自死直前の1週間は、日々顔色が悪くなっていく息子のことが心配で毎日車で病院に迎えに行った。亡くなる2日前は車に乗るなり、突っ伏して泣くばかりだった。
亡くなる直前、上司の言葉遣いを「どうしてあんな言い方をするのか。聞くに耐えない」と愚痴りながら、「僕は上級医になったら優しい、優しい先生になりたい」と話したことがあった。「わー素敵。おかあさん楽しみにしているよ」と淳子さんは喜んだ。
だが、その夢は叶わなかった。
甲南医療センターの研修医募集の資料。高島晨伍さんも掲載されており「初期研究先として甲南医療センターをお勧めします」と語っている。
高島さんは2022年5月17日、勤務を終えた後、両親や病院スタッフへの遺書を残して自死した。謝ってばかりで、残された人を気遣う言葉ばかりが並んでいた。
おかあさん、おとうさんへ 本当に感謝しています。ずっと感謝しています。悪いのは全て僕です。誰も悪くないです。最後にお母さんが来て、お父さんが電話をくれたこと嬉しかったです。幸せでした。お母さんに辛い思いをさせるのが苦しいです。知らぬ間に一段ずつ階段を昇っていたみたいです。おかあさん、おとうさんのことを考えてこうならないようにしていらけれど、限界です。最後に全てしてくれた両親に本当に感謝しています。できることは全部してくれました。おかあさん、後悔して自分を責めないで下さい。
病院スタッフの皆様 優しく気遣ってくれてありがとうございました。少し無理をするのに限界があったみたいです。何も貢献出来ていないのにさらに仕事を増やしご迷惑をおかけしてすいません。
淳子さんは「労災認定を受けても、あの心優しい大事な息子は私たち家族のもとには帰ってきません。甲南医療センターにとって医師の代わりはいくらでもいるのでしょうが、私たち家族にとっては、泣いて、笑って大切に育てた、かけがえのない宝物なのです」と語る。
「労務管理もできず、そこで働くいし、職員を守れない病院、上層部の医師らに患者を守り救う資格はあるのでしょうか。社会的責務ある医師であっても生身の人間であり、人の命を預かるという重責ある職業だからこそ、より慎重な指導や労務管理が必要です」
厚労省に嘆願書を提出「問題が認められた場合は、指導を徹底したい」
会見に先立ち、淳子さんは厚労省の労働基準局監督課長に甲南医療センターに対する労働基準法違反の調査と是正や医師の働き方改革の実現などを求める嘆願書を手渡した。
嘆願書を監督課長に手渡す淳子さん
嘆願書を受け取った課長は「まずはお亡くなりになられたご冥福をお祈りするとともにご家族にはお悔やみを申し上げたい。厚労省としては医師の健康確保のために医師の働き方改革を着実に進めてまいりたい。嘆願書もしっかり受け止めさせていただきます」と答えた。
また医師の働き方改革が4月から本格施行される直前にまた過酷な労働環境の下でこのような犠牲者が出たことについては、「長時間労働是正のために、厚労省としては長時間労働が疑われる事業所に対しては監督指導を行いたい。問題が認められた場合は指導を徹底したい」と話した。
「自己研鑽」は労働時間か私的時間か?
厚労相に「医師の働き方改革に逆行する動きを止め改革の着実な実行を求める要請書」を提出し、会見した全国医師ユニオンの植山直人代表は、「専攻医は研鑽しないといけない、非常に忙しいと思われているが、高島さんの場合は自己研鑽する時間も与えられなかったほど働かされた。このことが非常に大きい」と話す。
「長時間労働が原因のうつ病に関しては、やりがいがあるかどうかも関係する。研究時間が取れないことでやりがいがないことも影響したと考えられる。消化器内科の中で同期の医師がおらず、他の医師がやりたがらない雑用を回されていた。学会発表のスライド作りをする時間もないと訴えたら、『だったら白紙で出せ』と言われたような酷い状況があったとも聞く」と指摘した。
全国医師ユニオンらが昨年、行った「勤務医労働実態調査2022」(有効回答7558人)によれば、過酷な労働環境により「死や自殺について、1週間に数回、数分間にわたって考えることがある」医師が4.5%、「死や自殺について、1日に何回か細部にわたって考える、または、実際に死のうとしたりしたことがあった」が2.4%もいた。
裁量権がなく、雑用が押し付けられやすい若い医師ほどこの割合は増える。高島さんのような20歳代の医師に至っては、14%が日常的に死や自殺について考える異常な事態となっている。
長時間労働が医療過誤の原因に関係していると思うかという問いにも、37.4%が「大いに関係している」、45.9%が「ある程度関係している」と答え、8割以上の医師が長時間労働が患者の安全をも脅かしている実態を明かす。
国は残業時間の上限(原則年間960時間)などを定めた医師の働き方改革を2024年4月から本格的に施行する予定だ。
だが、地域医療を守るために特別に認定された病院や、集中して医療の知識や技術を身につける必要のある研修医は特例が設けられ、残業時間の上限は年間1860時間と、原則より2倍近い残業時間を許容する基準となっている。
今回、焦点の一つとなっている学会発表の準備などに費やす「自己研鑽」の時間についても、労働時間なのかプライベートな時間なのかの境目は曖昧だ。院内の力関係の中で裁量権が狭められている若い医師らを追い詰めていると指摘されている。
厚生労働省は2018年に策定した「医師の研鑽と労働時間に関する考え方について」という文書で、自己研鑽の基準を示している。
1. 労働から離れることが保障された状態で行われている
2. 就業規則上の制裁等の不利益取扱による実施の強制がないなど、自由な意思に基づき実施されている。
院内で学会準備や最新のガイドラインの勉強などをしている最中に上司から仕事の指示を出されたら応じなければいけない状態で行う勉強は自己研鑽ではなく労働だ。
また、直接的な指示でなくとも、専門医の資格を取るために必要な学会発表などを怠って専門医になれなかったら人事で不利な扱いを受けることが明らかであるような場合も、その学会発表の準備のための時間は労働時間に該当すると考えられる。
「医師の過労死遺族の会(仮称)」を設立
淳子さんは1999年に小児科医の夫、中原利郎さんを過労自殺で無くした中原のり子さんと共同代表となり、「医師の過労死遺族の会(仮称)」を同日設立した。過労死遺族と共に、一向に改善されない医師の労働環境を改善する活動を行うという。
全ての医師に対して労働法の研修や教育を行うこと、自己研鑽と労働の見極めに関しては厚労省通達を守り、病院が自分勝手なルールを作ることがないよう指導すること、など6項目を国や政治家に求めていく。
「医師の過労死遺族の会(仮称)」を設立した中原のり子さん(右)と淳子さん
会見に参加した中原さんは、大切な家族を失った遺族が裁判などでなお医療機関側と戦わなければいけない苦悩を明かした上で、「医師の働く環境を改善することは、自分たちの家族の供養になるし、私たちが生き直す勇気になる」と改善に向けた決意を述べた。
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