違う時間軸を生きる子供たちへの配慮、経済、教育、差別の問題「誠心誠意やったが、課題も残る」
政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家分科会」が廃止され、9月14日に退任の記者会見を開いた川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦さんが3年半を総括しました。
この3年半を総括する岡部信彦さん
詳報します。
怒鳴り合い、合意を作って、個人の意見は尊重
2009年に新型インフルエンザのパンデミックが起き、その対策以来、十数年間、尾身さん(尾身茂氏)と一緒に対策会議に引っ張り出されてきました。
彼(尾身氏)は2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)の時は、WHOの西太平洋事務局で陣頭指揮を取ったわけです。私はその時、国立感染症研究所の感染症情報センターにいて、国内の対応をしていました。
それを含めて、かれこれ20数年、こういったことに取り組んできました。そろそろ次世代が自分たちのこととして、自分たちの行動をとるべきではないかと脇田さん(脇田隆字・感染研所長)とも話していたので、分科会を離れるのは良かったのではないかと思っています。
分科会や厚労省のアドバイザリーボード、勉強会を通じて色々な議論をして、提言を出してきました。非常に多様な人たちが集まっていました。全く離れているわけではないですが、決して一枚岩ではない。
みんなで色々な話をしていくうちに、フランクに率直な意見交換をすることができるようになりました。掴み合いまではいきませんが、怒鳴り合いぐらいはすぐ出てくるような状況でした。
でもその中でコンセンサスを作ってきて、それを尾身さんがまとめるような形式になってきた。勉強会からアドバイザリーボード、分科会としての提言に結びついてきました。こういったまとめ役をやるのは尾身さんしかいなかったのではないかなと思います。
ああいう提言をまとめていく際に、全員一致はなかなかあり得ないのですが、ほぼ全員一致でした。専門家有志ということでまとめ、もちろんそれに納得がいかない場合は提言者の中に名前を連ねなくていいという流れがありました。
それぞれの考えがあることは確かですから、それぞれが可能な限り取材対応を引き受けたり、発信をしたり、色々なメディアを通じて自分の意見を語る。それも専門家の助言のあり方としては画期的なことではなかったかと思います。
コンセンサスはコンセンサスで受け入れて、個人の意見は個人の意見として尊重するという姿勢でした。
首相の学校閉鎖、議事録問題、緊急事態宣言
私自身が思い出してみて印象に残ることを2〜3ピックアップしてみます。
一番強烈だったのは、当時の安倍首相が学校を全部閉鎖するという決断をして求めたことです。
ちょうど専門家会議ができたばかりだったので、「それは専門家に聞きましたか。相談がありましたか?」という質問がありました。前後の状況がわからないので「そんなことはありません」と答えたら、それが大きく受け止められて、非常に大きい注目を浴びたことがありました。
もう一つは議事録の問題です。
最初は議事録を取る会議か取らない会議か確認をしたわけですが、「議事録はありません。どうぞフランクな意見を述べてください」と言われ、会議体のあり方として了承したわけです。途中から議事録があるかないかが、非常に大きく注目を浴びました。
私たちとしてはもっと重要な課題があるのではないかと思ったのですが、「議事録はどこですか?」という意見を常に求められることになりました。結果的には、議事録概要が出ることになった。それは私は非常にいいことだと思います。
それから、最初の緊急事態宣言が出るまで、随分議論がありましたが、私自身はどちらかというと慎重な姿勢でした。
しかしその時、医療関係にいた友人や専門家会議のメンバーからも、重症者や中等症ぐらいの患者さんがどんどん入院してきて、もしかするとあと1週間後には入院を断らなくてはならないかもしれないという話が専門家会議に出てきました。
このままの状態では、(コロナ対応の)医療が危ないということは全体の医療が崩れる可能性があるので、私自身も賛成に転じました。
やるのであれば効果的にやらなければいけないと思いました。緊急事態宣言を出すに当たっては、本当にこれでいいのかなという自問自答はずっと続いていました。
ただ、2021年5月、政府提案で北海道は重点措置(まん延防止等重点措置)ではどうかという提言が出たときに、専門家は「いやいや緊急事態宣言を出さなければならないのではないか」と反対意見を出しました。
結果的にはその日のうちに政府は専門家の意見を採用したわけですけれども、むしろメディアからは驚きの声が上がりました。「そういうことをひっくり返すなんて根回しはどうなっているんだ?」など、色々な質問が飛び交いました。
私自身は会議で提案して、それについて議論し、意見を交換しながら最終的に結論に至るというのは本当の民主的な議論ではないかと思いました。それ自体は悪いことではないのではないかと述べたこともありました。
調整が難しかったオリンピック、役割を果たしたワクチン
大きい事件としてはオリンピックがありました。
オリンピックについても専門家グループの中で議論がありましたが、基本的には「組織委員会の決めることなので」と距離を置いたような感じがありました。
オリパラの新型コロナ感染症対策調整会議ができて、議長をやってくれという話があったので、専門家の中での議論と、調整会議の中で調整をしながらの議論を行うのは非常に難しい役割だったと思います。
また、ワクチンについては今も色々な問題があるわけですが、ワクチンはそれなりの役割を相当果たしたと考えています。
私自身はずっとワクチンを専門領域としてやってきたわけですが、専門家会議、分科会の中にはワクチンに詳しい人ばかりがいるわけではないのです。そういう細かいことは分科会ではなくてワクチンの専門家の集団である厚労省の審議会に任せるべきであると当初から申し上げていました。
結果的に、専門的な話は専門のところで議論していくということになったことは良かったと思っています。
違う時間軸を生きる子供への対応が課題
この病気は基本的に大人の病気です。
高齢者が特にリスクが高く、会議のメンバーもほとんどが大人に関わる専門家でした。だからどうしても対策の考え方は、主に大人中心の考え方です。大人社会への対応になりました。
私はもともと小児科医で、子供という多様性や大人と違った時間軸を生きていることに対する
配慮が非常に乏しいという状況がしばしばありました。
3年半の会議の後半では、小児科医を呼んで意見を聞いたり、小児科医としての意見を出したりするようになって、だんだん子供への配慮が見られるようになったと思います。
さらに今後、子供の病気としてどう考えるかは、課題としてまだまだ残っていると思います。
次の世代が自分たちのこととして備えて
最後に全体的なことですが、危機、リスクという言葉に対してです。危機が目の前にあると、どうしてもしゃにむに大きく動いてしまうことがしばしば生じてしまいます。イケイケドンドンで、なんでもかんでもリスクだ、リスクだと持っていってしまいます。そうすると、時に基本的な大切なことを見失ってしまうのではないかという考えが私の中にあります。
アクセルは踏みっぱなしではなくて、ちょっと緩めてみたり、クラッチを入れてみたりするのが自分の役割かなと思いながら、勉強会や会議に出ていました。
色々と多様な考え方の議論が行われていたわけですが、どこにも正解はないわけです。
ベストアンサーはない中で、多様なメンバーがそれぞれ誠心誠意対応したと思います。その結果として、累積死亡数は世界に比しても低いです。致死率も高齢化社会にありながら低い。
これはいいことだと思うのですが、ただ経済、教育、差別の問題など、色々な社会の影響が深刻に及んだのも事実です。
私たちはやるべきことはやったという思いはありますが、決して完璧にはできないわけです。次回のパンデミックがあるかよく話題になります。それに対して備えていくことは必要ではないかと思います。
こういう交代をきっかけに、次世代の人たちが自分たちのツールを使いながら、自分たちのこととして、起こりうる感染症のアウトブレイクに対して備える。そして究極的には病気ですから、一人でも死亡者を少なくして、感染症の複雑なところである社会の迷惑、停滞が最小になるように努力を続けていってもらいたいなと思います。
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