目指すのは「生きる希望の最大化」 難病になっても心のきらめきを持って生きられる未来へ
小学生の時に母親(54)が全身の筋肉が動かなくなっていく神経難病「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」を発症した南光開斗さん(20)。
ヤングケアラーとして母を介護し、不登校も経験したが、自由な校風の高校に進学し、人とのつながりの力に目覚めていく。
そんな南光さんが今、手がけ始めた難病患者や家族に役立つシステムづくりとは?(岩永直子)
自分の目指す事業について講演する南光さん(南光さん提供)
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課題を抱える学生も多く集まる自由な校風の高校に入学
勉強、部活、介護と頑張りすぎていた中、体調を崩し、中学時代、不登校を経験した南光さん。
成績は維持していたが、内申点が低くなり、当初目指していた進学校の受験は諦めた。その代わりに選んだのは、困難を経験した生徒を含めて多様な生徒が集まる、自由な校風で知られる高校だった。
そこでの生活は南光さんにすごく合っていた。
「先生方は親身に自分のことを考えてくれるし、挑戦しようと思うことをすべて応援してくれる。全校生徒は100人で、自分の所属していたコースは6人しかいないので全員と仲良く話せるし、それまで触れてこなかった苦しみや個性を持つ同級生と話せて、自分も過ごしやすかったです」
その高校は地域の人との交流も大切にしていた。地域の街づくりの活動に学校ぐるみで参加し、地域の人も学生に優しく接してくれた。
「過疎地域な分、地域の子どもを地域で育てようという意識が強くて、商店街の人も僕たち学生によく話しかけてくれてすごく暮らしやすかった。居心地がよく、学ぶことも多かったです」
地域を巻き込んだ映画祭が大成功
2年生になると生徒会長になり、南光さんは自分で大きなイベントを計画した。
「屋内と屋外両方で大きなスクリーンを立てて、映画上映をする屋内外映画祭です。高校生の僕たちが主催し運営するのですが、学校や地域の人たちを巻き込んで実現しました」
不登校だった時、自分を救ってくれたものの一つが、当時、盛り上がっていたマーベル映画(※)だった。
※アメリカの「マーベル・コミック」を原作とし、実写化したスーパーヒーロー映画のシリーズ。『アイアンマン』や『スパイダーマン』『アベンジャーズ』など。
「超人が出てくるんですけれども、その人たちの葛藤を描くことが多くて、それを自分のしんどさと重ねていました。『同じく大きな悩みを抱えているけれど、すごく楽しそうに生きている』と、自分が外に出られない分、全然違う世界に憧れを抱いていました」
そんなことから映画が大好きになっていた自分が生徒会に映画祭を提案すると、仲間も先生も「絶対やったほうがいいよ」と応援してくれた。生徒会役員を中心にプロジェクトが動き出した。でも、高校生だけでできるわけではない。
高校の近くには日本でトップのシェア率を誇るスクリーンを作っている会社の本社があった。そこに頼みにいって、スクリーンやプロジェクターを借りた。地域の人たちには募金をお願いにいって、そのお金で映画をレンタルした。
テーマは「やさしさの映画祭」に決めた。
「当時はコロナ禍で人との繋がりが薄れてしまって、日本中でギスギスした空気が流れているように感じていました。他者に寄り添うのではなく批判できるところを探す、疑心暗鬼になっている人が多くいるようにも感じていたんです。だから、色々な角度から人の優しさを感じたり、映画という一つのものを一緒に楽しむ空間を通じて、つながりを感じてほしかった」
田舎の環境だから、空間は広く使える。地域の自然を生かした屋外上映ではもちろん三密も避けられた。
当日は地域の人300人が参加してくれて、「とても面白かった」と喜んでくれた。大成功だった。
「すごく楽しくて、このことがきっかけで地域の人たちとのつながりもさらに広がり強まりました」
避けていた福祉とまちづくりに関わりたい思いに
このイベントを通じて、気づいたことがあった。
自分はそれまで、母の介護をしながら、介護や福祉から距離を取りたいという思いが強かった。
「母は大好きだけど、福祉についてはもう聞きたくないという思いがありました。単純な希望論だけでは解決しない残酷な現実があり、かなり気を使わなければいけない繊細な人間関係がある。逆に仕事と割り切ってケアが雑になるのもおかしい。大変さがわかる分、福祉の業界から距離を取りたいと思っていたんです」
「きれいごとでは支え切れないけれども、介護する相手の裏の心理など、全てに気を遣わないといけないし、そうあるべき仕事だと思います。でもそれはキリがない。重すぎるから仕事にはしたくないし、母のそばにはいたいけど、自分の将来を全て止めて母を介護し続けるわけにもいかないと思っていました」
だが、地域の人を巻き込んだイベントを通じて、母のような病に苦しむ人や自分のように介護に関わる人に対して、別の形で何かできるのではないかという思いが生まれてきた。
「自分は人を巻き込んで、一緒に創って、一人では生み出せない大きなインパクトを生み出すことが楽しいし、得意だなと気づいたんです。そういうプロジェクトの形で母や福祉業界全体のためにできることはまだありそうだと思いました。そういう意味で福祉に興味が湧いてきました」
イベントを主催して社会と関わることで、自然と情報収集能力も高まっていた。
「社会問題を解決したいという意識が強くなり、ALSとは関係ない病気や社会課題にも目が行くようになりました。『これは母にも役立つんじゃないか』『このプロジェクトなら、まだできることがあるんじゃないか?』という考えが自分の中に生まれてきました。
大学進学を考える時期に差し掛かっていた。福祉とまちづくりの両方を視野に入れている、法政大学の現代福祉学部に目標が定まった。
「福祉と街づくりの観点から、well-being(幸福に生きる)を考えるのが法政大学の現代福祉学部です。自分にとってまちづくりとは、そこに住む人々をより幸せにする営みのことだと定義しているのですが、映画祭を通じてそんなまちづくりやコミュニティの可能性を強く感じました。良いコミュニティが作れたら、母のような人や自分のようなケアラーも幸せに生きやすくなるんじゃないか。福祉の視点でまちづくりを学んでみたいと思ったんです」
情報格差を埋めるサービス作りを
無事合格し、上京して1年は色々な分野で活躍している人に会いにいって、自分の夢を聞いてもらった。だんだん自分のやりたいことが明確になっていき、「難病患者やケアラーの情報格差を解消したい」というはっきりした目標ができた。
主に取り扱いたいのは、公的なサービスではない民間のサービス資源だ。
「その人の生活をより豊かにするためのあらゆる物事を社会資源と呼んでいるのですが、医療機関や公的機関から得られる社会資源の情報は、制度的なものばかりです。でも実は社会資源はもっと多様で、いっぱいある」
「たとえば、僕が母のためにもっと早く知りたかった視線入力装置もその一つですし、声を失う前に自分の声を録音しておいて、AIと合成させてコミュニケーションに使うことができる音声保存サービスもそうです。自動排泄処理機もそうですし、電動車椅子のレンタルサービスも知らない人が多い。分身ロボットも、さまざまな非営利サービスもそうです」
そういう情報は知っている人は知っているけれど、知らない人にはまったく届いていないのが現状だ。そのサービスを使えばもっと生活が豊かになるし、もっと幸せに生きられるにもかかわらず、知らずに取り残されている人が今も全国各地にいる。
コミュニティについてもそうだ。
患者会、当事者の作っているNPO、ピアサポートグループ、オンラインコミュニティ、ケアラーコミュニティ——。
「知っていたら、相談に乗ってもらえるし、情報量や知識も違ってくるのに、そこに辿り着けない人がいるんです。ALSやヤングケアラーに直接関係なくても、患者さんや家族が知っていたら役立つ情報は無数にある。それをトピックごとにまとめてデータベースを作りたい。誰でも検索したら情報を得られるようにしたいのです」
法人を立ち上げ、事業化へ
1年生の時は情報収集と、講演活動でやりたいことを訴えながら人脈を作り、2年生になった今は休学して、法人設立など事業化に向けて動き始めている。
現在、ALS患者の実業家、武藤将胤さんが設立した、ALSの課題解決を事業に掲げる一般社団法人「WITH ALS」でインターンをしながら、ALS関連の団体とつながり、情報収集に駆け回る。
自身の経験を通じた起業のアイディアを講演することで、つながりを増やしている(南光さん提供)
ALS患者がもっとも恐れるのは、意識がはっきりしているのに、意思を伝える手段がなくなる「Locked-in syndrome(閉じ込め症候群)」という状態になることだ。武藤さんの組織が取り組む、脳波を使ったコミュニケーション手段の研究に立ち会い、期待を寄せる。
今年7月には仲間の大学生二人と、まず任意団体の形で「Infora」という組織を立ち上げた。起業家を後押ししてくれるプログラムにも採択された。このプログラムの支援を受けて、今年中にはクラウドファンディングで資金集めを始める。10月には一般社団法人として登記する予定だ。
「将来は当事者やご家族の人と共に創る形にしていきたい。情報提供してもらえるし、もちろんこちらも情報提供して、一緒に創りたいのです」
自分も母の介護で家族仲が一時危うくなる経験をしただけに、当事者やケアラーの生活をより直接的に支える情報も大事だと思っている。
「当事者やケアラーの体験談もデータベース化したいですし、特に罹患初期に自分と家族に「これを伝えておきたかった」ということを集めておきたい。生活上の色々な困り事や工夫について、後に続く人が早く知ることができるようにしたいのです」
事業を続けていくために収益化は課題だ。企業や個人に寄付を募り、ワークショップや企業研修、講演で稼ぎながら、安定的な運営を目指したいと思っている。
じっと見つめて応援してくれる母
母は今、視線で文字を入力できる装置を扱えるほど眼球が動かなくなっている。イエスかノーで答えられる質問をしては母の意思を探る日々だ。
中学3年までは、時折入院しながら在宅で暮らしていた。南光さんが高校に入ったタイミングで新型コロナウイルスの流行が始まり、自宅に戻るのは危険だとそのまま病院で過ごすようになった。しばらくは面会もできなかった。
今は退院はできる状況だが、受け入れ態勢が整わないということで保留になっている。
「体が動かない中で、どう生きる喜びを感じてもらえるか模索したいのですが、病院にいるとなかなか叶えてあげられない。病院の皆さんはすごく良くしてくださっていて感謝していますが、それでも例えば音楽は聞かせてあげられないし、家にいるように自由にはできません」
「家にいれば一日のどこかで必ず家族と触れ合う時間がある。それは自分たちにとっても幸せだし、母にとっても家族の温度を感じることができます。だから早く母を退院させてあげたいと思うのです」
今、人工呼吸器はつけていないが、気管切開をして呼吸しやすくし、誤嚥を防ぐ喉頭気管分離術を受けた。それでもさらに呼吸しづらくなっている。
人工呼吸器をつけるかどうか。今後さらなる大きな決断をしなければいけない時も来るだろう。
その時までに、母に「生きていてよかった」と思える仕組みを作りたい。母にも、難病患者やケアラー向けのデータベースを作るという将来の夢を話したことがある。反応が読み取りづらくなったその時は、ずっと南光さんを見つめてくれた。
「ネガティブな感情の時はわかるので、そうじゃないと思います。応援してくれていると受け止めています」
目指すのは「生きる希望の最大化」
これまで母の病気や介護で自分も大変な思いをしてきた。でも母の病気や介護は自分の人生に苦しみだけでなく、深い人間理解や課題解決に取り組む力を与えてくれもした。
「大変さよりも、母と一緒にいられたことの幸せがとても大きくて。もちろん母がALSにならず、自分がケアラーにならなくて済んだならそれが一番です。でも、一緒に暮らす中で学ばせてもらったことや、だからこそ気づけたことも多いんです」
「コミュニケーションの繊細さや、体が動かない人の実情や精神力、哲学を教わってきました。そして自分がヤングケアラーや不登校になった苦しみを通じて、視野が広がり、深まったと思います」
だが、それは周りの人の支えなしには掴み取れなかったものだ。
「両親は子供思いの人で、学校の先生、友達や仲間など、支えてくれる人と環境に恵まれたからできたことです。そのおかげで思いつけたこともいっぱいあった。だから、自分も困っている誰かを支えられる人間になりたい」
目指すのは「生きる希望の最大化」だ。
「自分の活動を通してあらゆる選択肢を知った上で、今ある資源を最大限フル活用していただき、たとえ困難下でも誰もが『心のきらめき』を持って生きられるようにしたい。生きているかどうかと同じくらい、あるいはそれ以上に、そこに生きたさがあるかどうかがすごく重要だなと思っています」
(終わり)
南光さんのデータベース作りに協力したい方は、メール(nanko94676@gmail.com)まで。
医療記者の岩永直子が吟味・取材した情報を深掘りしてお届けします。サポートメンバーのご支援のおかげで多くの記事を無料で公開できています。品質や頻度を保つため、サポートいただける方はぜひ下記ボタンから月額のサポートメンバーをご検討ください。
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