医療経済学者が高額療養費を独自に分析 若いがん患者が多大な恩恵を受ける制度見直しの悪影響とは?
「高額療養費制度」の見直しを表明した政府に対して、「自己負担の増加は治療の断念につながる」として撤回を求める声が高まっている問題。
政府は「現役世代を中心とした保険料負担の軽減」を目的の一つに掲げているが、高額療養費のデータを分析した研究者は、「今回の見直しで最も打撃を受けるのは、がんになった現役世代」と悪影響を心配する。
いったいどういうことなのか。
東京⼤学⼤学院薬学系研究科 医療政策・公衆衛⽣学 特任准教授の五十嵐中さんに聞いた。

高額療養費のデータを独自に分析した五十嵐中さん(撮影・岩永直子)
※インタビューは2月6日に行い、その時点の情報に基づいている。
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高額療養費は、若い人の負担の方が重い?
——雑誌『医薬経済』の連載「間違いだらけのHTA」で、ここのところ立て続けに高額療養費制度の分析を載せています。どんな問題意識を持っていますか?
昨年秋から高額療養費制度周りがきな臭くなっていることを耳にし、関心を持ちました。当初は、高額療養費は医療費を多く使う高齢者向けの制度。高齢者優遇を是正するために引き上げる——のような流れを想定していました。
しかし、がん患者団体の方の話を聞いていると、どうも実際はそうはなっていない。制度改正は高齢者だけでなく、もともと自己負担率が高い若い世代にも大きく影響するのでは?という疑いが芽生えたのです。
通常の医療保険のもとでも、患者の自己負担は3割や1割に圧縮されます。しかし医療費が非常に高額になって、圧縮されてもまだまだ支払いが厳しい——という人について、自己負担をさらに圧縮するのが高額療養費制度です。大企業の組合健保では付加給付という、高額療養費に加えてさらに自己負担を軽減する仕組みを持つところもあります。
負担上限がどこまで圧縮されるかは、収入に応じて決まります。69歳以下の区分を示します。年収に応じて区分アから区分オの5通りに分かれ、月額負担の上限が決まります。区分エの月額5万7600円や、区分ウの月額8万100円が中心となりますが、アイウエオに属する人は均等な割合でいるわけではなく、保険の種類によってもそれぞれの割合はかなり違ってきます。

五十嵐中「間違いだらけのHTA」『医薬経済』2024年12月1日号より

五十嵐中「間違いだらけのHTA」『医薬経済』2024年12月1日号より
同じ70歳未満でも、国保の人はエ(〜370万円)やオ(住民税非課税)の収入区分の割合がとても多い。一方で大企業に勤める人が多い組合健保だとア(1160万円〜)やイ(770万〜1160万円)の人もそれなりにいて、ウ(370万〜770万円)までで8割近くを占めます。
どの保険に加入しているかで、自己負担上限の傾向は大きく変わりますから、高額療養費の支給額(負担減少額)も大きく変わります。保険種別ごとに1件あたりの高額療養費の給付額を見ると、企業で働いている人が加入する組合健康保険がとても高くて、自営業者や退職者などの国保がそれに続き、後期高齢者はとても安いこともわかります。

五十嵐中「間違いだらけのHTA」『医薬経済』2025年2月1日号より
医療費のデータはどのような分析でも、通常は「高齢者は高くて、若い人が安い」結果になります。高額療養費に関しては逆のことが起きている。若い人は対象となる人数は少なくても、いったん対象になった人の給付額は大きくなるということにまず気づきました。
この制度のありがたみを世代ごとに考えると、「薄く、広く」恩恵を受ける高齢者と、「狭く、深く」恩恵を受ける若い世代に、明確に分かれます。
かかった医療費の総額だけを見て、もともと自己負担の低い高齢者だけを議論するのは、ミスリードになると思いました。
しかし、高額療養費に関する公表データは少なく、年齢や疾患で区切った分析はできません。そこで、レセプト(医療機関が保険者に提出する診療報酬明細書)を使って、自分で高額療養費の実態を分析することにしたのです。
長期に高額な医療費を払う人が使う「現物給付」を分析
若い人で「狭く、深く」この制度の恩恵を受けている人は誰かなと考えると、やはりがんだと思います。難病や、HIV、人工透析を受ける腎不全などの特定疾病の方は、高額療養費以外にも特別な助成制度があります。
だからがんなどポピュラーな重い病気にかかって、なおかつ、付加給付もない協会けんぽの人たちが今回の見直しで一番割を食うのではないかと予想しながら分析しました。
高額療養費の支払いシステムには、「現金給付」と「現物給付」があります。
現金給付は、いったん法定の自己負担額を払った後、高額療養費の自己負担上限額を超えた分が、後で保険者から加入者(患者)に還付されるものです。医療機関の窓口でいったんは自己負担分の全額を払うので、患者にとってはそれなりに負担となります。
「現物給付」は、事前に「限度額認定証」を申請することで、医療機関の窓口では最初から高額療養費の自己負担上限までを払えばよいシステムです。残りの部分は、保険者が医療機関にまとめて支払います。患者は一時的にでも大きな金額を用意せずに済みます。

五十嵐中「間違いだらけのHTA」『医薬経済』2025年2月1日号より
レセプトのデータベース(DeSCデータベース)は医療機関から保険者への請求データを基にしています。現金給付の場合は、医療機関には通常のケースと同じ自己負担額を払うことになるので、レセプトからでは把握できません。
しかし、上の表で示しているように、給付全体のうち現金給付が占める割合は金額ベースで見ると1割程度で、現物給付が9割を占めます。
現物給付のメリットは、最初から高額療養費の上限分だけを払えばよい点です。このメリットは、長期間にわたって高額な医療を受けている人ほど大きくなります。
今回のテーマである「がんの人はどれぐらい自己負担があり、どれぐらい高額療養費の恩恵を受けているのか」についてであることを考えれば、現物給付分に焦点を当てることは妥当だと判断しました。
厚生労働省の審議会資料でも、中〜長期にわたって制度の適用を受けた人のデータ(多数回該当)が紹介されています。
しかし公表データの限界から、評価されているのは「現金給付」のみで、実態を捉えきれていない可能性が高くなります。
もちろんデータに限界があることは明示されていますが、十分注意してデータを吟味しなければ、「基本的に高額療養費はお年寄りを救うためのものだから、お年寄りの自己負担を増やすことで若い人が助かります」という間違った解釈につながってしまうことを危惧しています。
自分の問題意識としては、「狭く、深い」若い世代は負担が重いし、割合は少なくても、ひとたび高額療養費の対象になったら、かなり辛いことになるということを示してみたかったのです。
高額療養費制度の恩恵を強く受ける現役世代のがん患者
その結果、出したのがこのグラフです。

五十嵐中さん提供
2022年度のレセプトデータベースを使って、保険種・性別、がん患者・性別に分けて、高額療養費制度によって減少した自己負担額(年間)の平均を年代別に示したグラフです。
どの年代でも紫(がんの男性)、緑(がんの女性)が多いのがわかるでしょうか?
血液がんか固形がんの病名がついている男女で高額療養費制度を使った層が、最もこの制度の恩恵を受けていることがわかります。
——5〜9歳が高いですね。
これは人数が少ないので、突出してしまうのですが、小児がんになるとそれなりに医療費の負担は大きくなります。
このグラフの元になっている表の一部を示します。

健保組合の高額療養費の年齢別の状況(五十嵐中さん提供)
1が、その人の1年間にかかった全医療費です。2は、1のうち、高額療養費制度の対象となった医療費、3が制度適用後の自己負担額です。4が制度の「おかげ」で軽減された自己負担額です。5は制度を適用した後の、実質的な自己負担割合です。
例えば、健保の15〜19歳では、140万円近く医療費がかかっているから、本来だったら42万円ぐらい自己負担分を払う必要があった。だけど高額療養費制度があったから、17万円6000円ぐらいに圧縮された。だから24万円の差額は負担せずに済んだ。

(国保の高額療養費の年齢別の状況(五十嵐中さん提供)
実効自己負担率が7〜10%なのが健保の人たちで、一方、国保の人たちはそれよりも所得が低いから、少し数字は小さめになります。協会けんぽの人は付加給付がありません。
3で高額療養費対象者の自己負担額が見え、4である程度の負担減少額が見えるわけです。そして、やはりがんの人に関しては、数は少ないかもしれないけれど、ひとたび高額療養費の対象になると、金額は大きくなります。

がん患者の高額療養費の年齢別の状況(五十嵐中さん提供)
0~4歳も男女で8人しかいませんが、高額療養費の対象医療費は1000万近くになっています。
桁感も、がんの人は一段階上がってきます。高齢になるほど高いかといえば、実はそうでもありません。若い世代でもかなり助けとなる制度であることが、データからもみてとれます。
マイノリティを狙い撃ちするのは公正性の観点からもっと問題
——現役世代ほど恩恵を受けているこの制度で、全体に上限を上げると、若い世代がその恩恵が減って苦しくなる可能性が高いわけですね。
そうです。ちょっと保険を勉強した人なら、国保は高齢者が多くて、健保組合や協会けんぽは若い人が多いとわかります。
医療保険部会の資料を見ると、「若い人では高額療養費制度を何度も使う多数該当(※)がいないのではないか、それなら狙い撃ちして自己負担を増やしても大丈夫と思っているのかもしれません。
でも、これに対しては私も二木立先生がインタビューでおっしゃっていたように、マイノリティを狙い撃ちするのは公正性の観点から見て、もっと問題があると思います。
※直近12ヶ月で3回以上高額療養費の対象になった場合、4回目以降はさらに自己負担限度額が引き下げられ、多数該当の限度額が適用される特例制度。

五十嵐中さん提供
見直しを議論した医療部会の資料では、現金給付のデータしかありません。もともと高額療養費はデータが乏しく、公表されているデータが保険者からのものにほぼ限られます。部会でもデータの限界点には触れられています。ただ、大きなウェイトを占める現物給付のデータを見ることなしに議論を進めるのは、やや問題があるのでは?と感じています。
レセプトを使って、高額療養費の現物給付利用者のうち多数該当者を見ると、若い世代でも10〜50%が占めています。若年層は決して蚊帳の外ではありません。

五十嵐中さん提供
高額療養費の上限見直しは、「経済毒性」を拡大させる恐れ
どんな病気を保険で面倒を見るのか考えたとき、「多くの人がかかるけれども個人の負担は小さい病気」と、「かかる人はごく少なくても個人の負担が極めて大きくなる病気」なら、本来後者の救済に力点を置くべきだと私は思います。「大きな負担」に対する不安感や不確実性を和らげるのは、保険の大事な機能です。
国民皆保険制度、ユニバーサルヘルスカバレッジの本来の趣旨は、「みんなに」「安価で」「必要な」医療を提供することです。

自身の分析データから、今回の高額療養費制度見直しを批判する五十嵐中さん(撮影・岩永直子)
「安価な」のところをもう少しかみくだけば、「患者さんや家族の生活が苦しくならない程度」となります。
この観点から見ますと、全体からすればごく少数だとしても、若いがん患者さんの自己負担を今から引き上げることは、生活を苦しくすることにつながってしまいます。
最近私は、「経済毒性」に注目しています。経済毒性は「お金がなくて薬が買えず、健康を損ねてしまう」だけでなく、「何とか医療費はまかなえるが、費用の工面で精一杯で、そのことで健康を損ねてしまう」のような副次的な影響も含む言葉です。
日本は公的な医療保険があるし、高額療養費制度もあるから経済毒性なんてないのではないかといわれてきましたが、婦人科系のがんなどで、8割以上の患者に経済毒性の問題が生じていることが、私たちの研究でも明らかになっています。
そういう意味で、今回の高額療養費制度の見直しは、全体から見ればわずかな人ではあるけれど、確実に発生している経済毒性の問題をある意味、さらに拡大させることになるのではないかと思います。
【五十嵐中(いがらし・あたる)】東京⼤学⼤学院薬学系研究科 医療政策・公衆衛⽣学 特任准教授、横浜市⽴⼤学医学群データサイエンス研究科 客員准教授、日本医療政策機構 フェロー
2002年東京⼤学薬学部薬学科卒業、2008年東京⼤学⼤学院薬学系研究科博⼠後期課程修了、2008年から東京⼤学⼤学院薬学系研究科特任助教、特任准教授、2019年より横浜市⽴⼤学医学群健康社会医学ユニット准教授を経て、2024年より現職。
専⾨は薬剤経済学。 医療経済ガイドラインの作成・個別の医療技術の費⽤対効果評価・QOL 評価指標の構築など、多⽅⾯から意思決定の助けとなるデータの構築を続けてきた。著書に、「医療統計わかりません (東京図書, 2010)」「わかってきたかも医療統計 (東京図書, 2012)」「薬剤経済わかりません (東京図書, 2014)」などがある。
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