医療経済学者が考える、高額療養費制度のあるべき見直しとは?(後編)
「高額療養費制度」の見直しを表明した政府に対して、「自己負担の増加は治療の断念につながる」として撤回を求める声が高まっている問題。
しかし、医療費が増え、少子高齢化も進む日本で、不足する医療費を何で賄えばいいのか。そして高額療養費制度は見直す必要はないのか?
前編に引き続き、医療政策や医療経済学に詳しい日本福祉大学名誉教授、二木立さんに聞いた。
二木立さん
※インタビューは2月3日に行い、その時点の情報に基づいている。
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長期間高額な薬を使う患者への影響は深刻
——政府は高所得者ほど上限引き上げ幅を大きくし、「セーフティネットとしての高額療養費の役割を維持」「低所得者高齢者への影響を極力抑制しつつ、70歳以上固有の制度である外来特例の見直しを行う」としています。これについてどう評価されますか?
セーフティネットとして、低所得高齢者層や長期療養者への配慮が不十分です。中所得層で3割負担の現役世代の慢性疾患患者で、すでに高額の一部負担を支払っている患者にとって負担増は深刻だと思います。
特に長期間、または生涯、高額な薬を飲むような患者への影響は深刻です。
このことは、全国がん患者団体連合会の「高額療養費制度の負担上限額引き上げ反対に関するアンケート」でも繰り返し訴えられています。
また、「きめ細かい見直し」は良いように見えますが、制度がますます複雑になります。患者間の分断も生みます。
全がん連の「アンケート」でも、保険料負担と一部負担の両方が多い中・高所得者の患者は、両方の負担が少ない低所得患者や、それがない生活保護を受給して医療扶助がある患者に対して複雑な思いを抱いています。批判や揶揄する声も少なくない。
今回の見直しが実施されれば、公的医療保険だけでは必要な医療を受けられないと感じ、民間(がん)保険に加入する国民が増えるでしょう。そうなれば、国民の医療保険に対する信頼が低下する危険があると思います。
当然、民間保険に加入できる国民とできない国民の分断も進むでしょう。それに言うまでもありませんが、長期間、高額療養費制度の対象になっているがん患者等の大半は、民間医療保険に加入できないと思われます。
がん患者らの切実な声
——がん患者団体らから、高額療養費制度の見直しで、死ぬまで高額な薬物治療が続く患者や、教育費などにお金がかかる子育て世代の患者などが治療を諦めざるを得ない状況に追い込まれるとして、見直し反対の声が上がっています。この患者たちの声についてはどのように捉えていますか?
日本難病・疾病団体協議会の大臣宛「要望書」(2024年12月27日)や、全国がん患者団体連合会編「高額療養費制度の負担上限額引き上げ反対に関するアンケート取りまとめ結果(第1報)」(2025年1月17~19日)に書かれている通りだと思います。本当に切実だと思います。
3割負担の現役世代の患者は、高齢患者に比べて法定自己負担が多いだけでなく、さまざまな保険外負担を強いられていることを見落とすべきではありません。
厚生労働省は、高額療養費制度の見直しの根拠の1つとして、近年の医療保険の「実行給付率」の上昇をあげています。しかし、この主張は保険医療の枠内だけ見て、患者の保険外負担の存在を無視しています。
具体的にどんな保険外負担があるかと言えば、患者が治療を受けるための交通費はバカになりません。がんサバイバーは、自宅近くのかかりつけ医ではなく、自宅から遠い大病院に通院することが多いのです。
入院した場合の差額ベッド代や、それ以外の各種自己負担(冷蔵庫使用料、電気使用料)などもかかります。
全がん連のアンケート結果などによると、がん患者ではウィッグやストーマ、おむつ代(家族の持ち込みを禁止している病院もある)、入院時の寝具、タオル、スリッパ等にもお金がかかります。
それに加えて、現役世代では子どもの教育費などの家計負担も多いです。
全がん連の「アンケート」を読んで一番憂鬱になったのは、「死ぬことを受け入れ、子どもの将来のためにお金を少しでも残す方がいいのか追いつめられています」との深刻な声もあったことです。
全がん連の緊急アンケートの声は真っ当ですし、短期間に3623人もの患者の生の声を集めて、それを厚生労働省に届けた行動力に脱帽しました。この声が、来年度予算案審議の場で、予算修正につながることを期待しています。
石破首相も、1月31日の衆議院予算委員会で、立憲民主党の酒井菜摘議員に追及されて、「一番苦しんでいる方々の声を聞かずに制度を決めていいとは思えない。正式に聞く機会を設ける」と釈明したそうですね。これは、患者団体のヒアリングは行わない方針を示した福岡厚生労働大臣発言の否定であり、撤回です。
ただし、石破首相は、今も見直し案を撤回していません。
海外にはほとんどない高額療養費制度
——ところで、海外でも高額療養費制度のようなものはあるのでしょうか?
高額療養費制度に類似した制度は、医療保障給付が手厚く、患者の自己負担がないか、少額の西欧諸国にはありません。
イギリスは待ち患者が多いですけれども、自己負担は原則無料です。フランスはよく原則3割と言われます。ただ、ほとんどの国民が加入している民間保険、といっても日本でいう共済組合が3割のほとんどをカバーしています。
日本以上に患者の自己負担が多い韓国にはあります。ただ、日本よりは手薄です。
それに対して、全国民を対象にした公的医療保障制度がなく、しかも大半の民間保険に自己負担上限がないアメリカでは、以前から、過大な医療負債が自己破産のもっとも多い原因になっています。近
年は、医療機関や医療機関から医療負債を購入した医療負債回収会社による患者への強引な取り立てが増えているとも報じられています。(「アメリカ医療における[医療]負債の回収-その歴史」Messac L: Debt collection in American medicine - A history. NEJM 389(17):1621-1625,2023.「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」234号(2024年2月):17頁)。
医療費の不足はどこから捻出すべき?
——先生は、以前、高齢者の自己負担率の引き上げについても反対の声を上げていました。医療費増加や少子高齢化に対応するためには、不足する医療費はどこから捻出すべきだと考えているのでしょうか?
大前提として、国民皆保険制度は、今や、医療(保障)制度の枠を超えて、日本社会の統合を維持するための最後の砦となっています。現在国会に議席を有する全政党がその維持・堅持を主張しています。
ただし、日本維新の会の前身の「大阪維新の会」は2011年に、「混合診療の解禁による市場メカニズムの導入」を主張し、事実上の国民皆保険制度の解体を唱えた”前科”があります。
国民皆保険制度は、社会保険方式を維持する以上、主財源は保険料で補助的財源が租税なんです。
では保険料をどうするか考えたら、保険料率の引き上げと、保険料を決める標準報酬月額の上限の撤廃が必要でしょう。ただし、国民健康保険はお金に余裕がない人が多いですから、低所得者に配慮する必要があります。
租税に関しては、権丈善一さんがよく主張しているように、「すべての税目を増税するプラスアルファ増税」「財源は全員野球」という考えが必要でしょう。
「高額薬剤が今後も続々登場するから、医療保険財政が破綻する」との懸念がよく聞かれますが、私は、新医薬品・医療技術の適正な値付けと適正利用を推進すれば、技術進歩と国民皆保険制度は両立できると考えています。
このことは「高額新薬で医療費は高騰するとの言説の再検討」(『2020年代初頭の医療・社会保障』勁草書房, 2022, 178-189頁)で詳しく述べています。
例えば、高額な免疫療法薬のオプジーボが良い例で、一人の患者に使うと年間3500万円かかるとされていた2014~15年には「オプジーボ亡国論」が吹き荒れました。
しかし、オプジーボの薬価は2014~21年にかけて5分の1に引き下げられました。それの処方も誰でも処方できるわけではないんです。「最適使用推進ガイドライン」により厳しい「施設要件」「医師要件」が課されましたから。
その後オプジーボ適応のがんはどんどん広がっていますが、その薬剤費は完全にコントロールできています。製薬会社も健全経営を続けています。
がん患者や難病治療で何年も高額な医療を受ける患者の上限額を1万円に
——結局、先生は高額療養費制度は見直すべきではないとお考えですか?
私が考える高額療養費制度のあるべき改革をお伝えしましょう。
がん治療や難病治療の発展により数年単位、または生涯、高額薬を服用する患者が増えていることを踏まえると、そのような患者には、逆に高額療養費制度の特例措置を適用すべきだと思います。
血友病、人工透析、HIVといった非常に高額な治療を長期間にわたって継続しなければならない患者については、特例として、原則として負担の上限額は月額1万円にしています。一定所得以上では2万円です。
逆に言えば、透析や血友病だけに認めて、がん患者に認めないのは差別です。
これについては、国民やジャーナリズムや多くの政党の支持も得られると思うので、患者団体は政府に是非要求してほしいと願っています。
最低限、多数回該当者の患者負担は現状維持とする。できれば、軽減すべきですが、軽減が難しいとしても、今回の見直しのギリギリの「落としどころ」は、多数回該当者の患者負担の現状維持だと思います。
(終わり)
【二木立(にき・りゅう)】日本福祉大学相談役・名誉教授
1947年生まれ。1972年、東京医科歯科大学医学部卒業。代々木病院リハビリテーション科科長、病棟医療部長、日本福祉大学社会福祉学部教授を経て、2013年日本福祉大学学長に。
2018年3月末、定年退職。『文化連情報』と『日本医事新報』に連載を続けており、毎月メールで配信する「二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター」は医療政策を論じる多くの官僚、学者、医療関係者が参考にしている。
著書は、『コロナ危機後の医療・社会保障改革』『2020年代初頭の医療・社会保障』『病院の将来とかかりつけ医機能』(いずれも勁草書房)等、多数。
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